あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

2008.03.05
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カテゴリ: プロ野球
一昨年の秋、ボクはいつものように東京新大学
リーグの試合を県営大宮球場で観戦していた。


神戸拓光 (現・ロッテ、土浦日大高)が所属して
いた流通経済大の試合は、いつものようにガラガラ
のスタンドだった。神戸を目当てにしたスカウト
たちがネット裏に数人と、野球部員やその父兄たち
がまばらに応援席に座っている以外、一般客は
数十人程度。


ボクは、流通経済大の応援席に近い場所で試合を

父母会の世話役と思しき男性に近づき、何か食べ物
を差し入れているのが見えた。


「みなさん、こうべさんから差し入れをいただきま
した」
世話役さんは、周辺にまばらに座っている父母
たちに向かってこう叫んでいた。


いまなんて言った? 「こうべさん」と聞こえたけど。
ということは、ひょっとしてプロ注目・神戸拓光の
お父さん? ボクは一瞬間をおいて、そのことに気づ
いた。(間違っていたら、ごめんなさい)


その時、学生野球のスター選手の親といえども、まわり
への配慮が大切なのだなぁ・・・、と思ったものだ。
いや、今では「スター選手だからこそ」なのかもしれな





昨年は一軍の試合出場がなかった神戸、ロッテに入団し
て2年目を迎えた。まだオープン戦ではあるけど、その
存在感を十分にアピールしている。


6試合ほとんどが途中出場であるものの、2本塁打を放

2月24日の横浜戦ではバックスクリーンに。そして同
28日には、ホークス戦では軽々とライトスタンドに
3ランを放り込んだ。


大学時代もそうだった。
身長191cm、体重98kgの巨漢・神戸の打つ打球は、
とにかくよく飛んでいた。当時「穴」が多かったように思
うけど、いったん得意なコースに投球が来ると、力強いス
イングでピンポン玉のよう強い打球をかっ飛ばしていた。




神戸拓光


日刊ゲンダイによると、
茨城・竜ヶ崎シニア時代は投手だった。だが土浦日大高に
進学後は、外野手に転向して1年生の秋から4番に座って
いた。ふつうに140kmの速球を投げる神戸、当時の監
督は投手として育てたい意向をもっていたが、ヒザ痛の持
病があってそれを諦めた経緯がある。


そして流通経済大へ進学するが、その進路は土浦日大高の
菅原進 監督(当時)と神戸のお父さんが決めた。なぜなら、
神戸のお父さんは、菅原さんが竜ヶ崎一高・監督時代の教
え子だったという深い関係がある。


当然、系列の日本大からも勧誘もあったが、それは断った。
後日、神戸はこんなことを言っていた。
「ボクは、走攻守の三拍子を求められる、東京6大学や東都
に行かなくて良かったと思う。流経大に入ったからこそ、自
慢の打に磨きをかけることができたから」





東京新大学リーグを見ていて驚いたことがある。
それは、ベンチ入りの選手たちが試合前・途中(5回終了後)
・試合後にグランド整備を行っていること。


一昨年の10月15日、神戸にとって大学生活最後のゲームが
終了した後、秋の夕陽が射しこむマウンド付近で、彼はいつも
のようにトンボをかけていた。


そしてネット裏にいる誰かに気づき、手を休めてその人に向か
って帽子をとりお辞儀をしていた。背中に夕陽を受けて映し出
される神戸の姿、ボクはなぜか今でもよく憶えている。



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Last updated  2008.03.06 00:27:01
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