※戸村健次投手に関する最新情報は
「戸村健次、上位でプロ指名へ」
で紹介しています。ぜひ、どうぞ!
立教大・ 戸村健次
(新4年、立教新座高)。
いま発売中の雑誌『野球小僧-ドラフトスカウティングレポート2009』
(白夜書房刊)では、戸村をこう評していた。
「身長185cm、76kg、右投げ右打ち。体重移動が実感できるよう
になれば球質がガラッと変わるはず。潜在力は底知れず」
もっと活躍してもよさそうな素材なのに、いまひとつパッとしないまま。
今年は最上級生となりエースと呼ばれても不思議じゃないのに、
下の学年の 仁平昌人
(新3年、日大鶴ケ丘高)や 増田健太
(新3年、
静岡市立高)らの陰に隠れてしまった感もある。
以前、ある雑誌では「ハートに問題がある」と戸村のことを書いていた。
本当のところはどうなのか、ボクにはよくわからないが・・・。
昨秋のリーグ戦。戸村は2勝(3敗)を挙げ、防御率2.23、投手十傑
8位、まずまずの成績でシーズンを終えた。あとは、この成績に弾みを
つけて今年こそは大きく飛躍するのみだ。
※戸村の通算成績。
25試合、3勝6敗、投球回数78回1/3、防御率3.68。
戸村健次、 動画
は こちら
(2008年9月、秋季リーグ戦)
戸村健次
。
ボクが彼のことで一番印象に残っているのは今から3年前、05年の
ことだ。当時から相当に有名な投手で、地元紙(埼玉新聞)にはこん
な評が掲載されていた。
「まだあどけなさの残る17歳。色白で優しげな印象を受けるその顔から
リーチの長い右腕をしならせて、県内最速145キロの直球を投げ込む。
「普段は80パーセントの力で低めに抑えた投球を心掛けている。それで
も接戦や終盤になると、絶対に打たれないという気持ちで気合が入る」
中学時代に大きな実績があったわけではない。入部当初の目標も、
「3年間やめないで頑張ろう」という平凡なものだった。だが、素質あふれ
る原石だったことは確かだ。石森一輝監督は「腕の振りはよかったし、
切れのあるボールを投げていた。3年間けがをさせないように大事に
育てた」と話す。
「とにかく一戦一戦勝つだけ」(戸村)。メジャーリーグからも注目される
原石が、甲子園を懸けた最後の戦いでさらに磨かれ、光り輝こうとして
いる。
(以上、埼玉新聞)
05年夏季埼玉県大会。7月10日、ボクは戸村を見るために川越初雁
球場に行っていた。一回戦、相手は埼玉平成高。
決して相手をナメたわけではないだろうが立教新座高、エース・戸村は
先発しなかった。試合中、肩を作るため、一塁側のベンチとブルペンを
何度も行ったり来たりしているうち、ただ時間が過ぎていた。
試合は立教新座高がリード 。「戸村の出番はナシか、あ~ぁ
」
そんなことを思っていた時、いきなり試合が動いた。そして甲子園どころ
か、県大会を勝ち進むこともなく、初戦であっという間に消えてしまった。
以下、当時の「あま野球日記」から抜粋して紹介します。
「立教新座高、まさかの初戦敗退!」
(2005.7.10)
戸村投手は登板せずにずっとベンチを温めていた。ところがスコア
2-1で立教新座高がリードしていた9回、埼玉平成高校が代打攻勢
をかけて同点になってしまう。
なおも一死走者一・二塁のピンチに、堪らず立教ベンチはエース・戸村
をマウンドに送った。二度・三度とヒザを大きく曲げてジャンプを繰り返して
マウンドに向かう戸村。
9回裏、埼玉平成高の攻撃。
ゲーム中、肩を作っていたものの、登板が急だったためかストレート
が高めに浮く。制球が定まらない。どうにか後続の打者を投ゴロと
三振で打ち取りピンチを乗り切るものの、不安な滑り出し・・・。
ゲームは延長戦へ。
立教新座高、10回に一死二塁のチャンスを作るが後続なし。
同点のまま試合は13回に突入する。
延長13回、埼玉平成高が戸村を捕まえる。しかも二死走者なしから。
死球の走者を一塁において、次打者は右翼線へ二塁打を放つ。一塁走者
が一気に生還し、スコア2-3に。その後も左前打、中前打と3連打でスコア
は2-4。事実上、この時点で勝敗は決まった。
同時に、戸村と立教新座高の夏があまりにもあっけなく終わってしまった。
1日1クリックお願いします![]()
【東京六大学2025秋】小早川毅彦氏の始球… 2025.09.28
【東京六大学2025秋】開幕カード。慶應、7… 2025.09.14
【東京六大学2025春】東京大学vs.横浜高校… 2025.03.08
PR
Keyword Search
Calendar
Comments