WBC日本代表合宿(17日、サンマリンスタジアム宮崎)山田久志投手コーチ
(60)は17日、松坂(レッドソックス)、ダルビッシュ(日本ハム)、岩隈(楽天)、
杉内(ソフトバンク)の4投手を、強化試合の豪州戦(24、25日・京セラドーム
大阪)に登板させることを明かした。25日にメンバー28人が正式登録されるため、
4人の代表入りは当確となった。
杉内以外は「先発3本柱」に指名しており、同コーチは「本人たちには告げました。
私と監督、本人だけが知っています」と、東京ラウンドでの先発も通達済み。
21、22日に練習試合を行う巨人打線も強力だが、最後の調整登板は外国人を
相手に、本番直前の"国際試合勘"を養う狙いだ。(サンスポ)
松坂大輔
、 ダルビッシュ有
、 岩隈久志
の3人に加え、 杉内俊哉
(ホークス)が
事実上、投手部門で確定したらしい。 山田久志
コーチが来週行われる強化試合
(対豪州戦)に、この4人を登板させることを話したことで明らかになった。
杉内俊哉 (鹿児島実高-三菱重工長崎)
。
多種の変化球を自在に操った制球力が武器の投手。そして、いわゆる 「松坂世代」
の一人である。
<鹿児島実高時代>
1998年夏、杉内が高校3年の時、鹿児島県大会の決勝で川内高・ 木佐貫洋
(現・読売、亜細亜大)と投げ合い、優勝を争ったことがある。結果はスコア3-1で
杉内のいた鹿児島実高が優勝を決めたが、後日、敗れた木佐貫はこんなコメント
を残している。
「僕にとって甲子園は行きたかった所。でも杉内君にとっては行かなければいけな
い所であって、その差が決勝の勝敗を分けました」
調べてみると、杉内の家庭は貧しく、プロに行って早く家計を助けなければいけない
といった使命感をもって、高校時代からマウンドに立っていた事情が背景にあった
ようだ。
そして木佐貫。実は中学を卒業する時、名門・鹿児島実高に進学することが決まり
かけていた。だが、川内高野球部コーチの熱心な誘いを受けて進路を変更した経緯
がある。もし当初の予定どおり鹿児島実に進学していたら、杉内とチームメイトに
なってお互いにエースナンバーを競っていた可能性がある。
そういった人と人の「結びつき」や「縁」というのは、たとえすれ違いであっても面白い。
1997年夏(2年生)、そして翌98年夏(3年生)の2回、甲子園に出場している。
97年は背番号「10」をつけて先発したものの、浜松工高にスコア2-4で逆転負けを
喫した。そして翌98年、1回戦で対戦した八戸工大一高を相手に縦に大きく割れる
カーブを駆使してノーヒットノーランを達成。続く2回戦は横浜高と対戦。中盤まで
好投したものの、松坂大輔(現・レッドソックス)に2点本塁打を浴るなど、結局スコア
0-5で涙を飲んだ。
■チームメイト■
2年先輩に 下窪陽介
(現・横浜、日本大-日本通運)がいた。
■鹿児島県内のライバル■
前出の木佐貫洋をはじめ、樟南には一年後輩の 鶴岡慎也
(現・日本ハム、三菱
重工横浜)、 上野弘文
(現・広島、トヨタ)。また、鹿児島工高にも同じく1年後輩
の 川崎宗則
(現・ホークス)がいた。
■甲子園のライバル■
「松坂世代」の選手であるため、多数いる。
98年夏に対戦した横浜高には、前出の松坂大輔をはじめ、 後藤武敏
(現・西武、
法政大)、 小池正晃
(現・中日)、 小山良男
(元・中日、亜細亜大-JR東日本)らが
いた。
※余談だけど、 木佐貫が亜細亜大に入学したキッカケは、先に亜大進学を決めて
いた小山良男の熱心な勧誘があった
からだという。
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