■以下、サンケイスポーツより。 「江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍したことで知られる、巨人や阪神で
投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏(57)が17日、
心不全のため亡くなった。57歳だった」
「引退後はテレビ、ラジオ解説者を経て97から01年までは近鉄で、07年には
韓国のSKワイバーンズで、08年からは日本ハムでコーチを務めていた。通算
成績は374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率は3.18。最多勝利に
1度、最優秀投手に2度輝いている。沢村賞、ベストナインも2度選ばれている」
(以上、サンケイスポーツ)
■ 小林繁
さんが亡くなった。昨日(1月17日)、ボクはテレビを見ていなかったので、
このニュースを今日の朝刊で知った。
小林繁さんといえば、まず思い出すのは 「空白の一日」
(1978年11月21日)の
こと。当時クラウンライターライオンズの代表だった 坂井保之
氏の著書『深層「空白
の一日」』(ベースボールマガジン社新書)で、小林さんの阪神へのトレードが決まった
直後の経緯を次のように記している。
以下、同著(86頁)より引用。
小林投手はキャンプイン前日、羽田空港から巨人職員に連れ戻され、阪神への
トレードを通告された。この突然の変化にファンは驚き小林に同情を寄せたが、
「同情していただかなくても結構です。ぼくは野球をやるだけです」と言って、この
健気な態度で男をあげた。ちなみにその年(79年)小林は対巨人戦8勝0敗の
好成績を挙げ、自分を売った古巣に一矢を報いた・・・。
(以上『深層・・・』)
■つい先ほど、ボクは 近鉄バファローズが最後の優勝を決めた試合
のビデオ
(2001年9月26日)を見ていた。 北川博敏
(現・オリックス、大宮東高-日本大)の
逆転サヨナラ満塁本塁打で逆転勝利を決めた試合だ。この年、小林繁さんは
近鉄の投手コーチを務めていた。
梨田昌孝
監督(現・日本ハム監督)が表彰式でチャンピオンフラッグを受け取った後、
近鉄の首脳陣や選手たちは大阪ドーム(旧称)をグラウンドパレードが始まった。
(ボクは小林コーチの姿をテレビ画面から追ってみた)
先頭に梨田さんが立ち、そして 中村紀洋
(現・楽天、渋谷高)、 水口栄二
(現・
オリックスコーチ、松山商高-早稲田大)、 吉岡雄二
(現・メキシカンリーグ・ヌエボラレド
オウルズ、帝京高)、 盛田幸妃
(函館有斗高)らがチャンピオンフラッグを握りしめて
グラウンドを一周していた。
その脇では タフィ・ローズ
(現・オリックス)がひとり離れてスタンドに向かって万歳!
を繰り返し、少し遅れて 門倉健
(現・韓国SKワイバーンズ、聖望学園高-東北福祉大)
や 三沢興一
(現・米独立Lロングビーチアーマダ、帝京高-早稲田大)らがジャレあって
歩いている。
(まだ小林コーチの姿が見えない・・・)
少し遅れて見えたのは、 ジェレミー・パウエル
(現・米3Aインディアナポリス・インディ
アンス)。そして 高村祐
(現・楽天コーチ、宇都宮南高-法政大)、 益田大介
(現・楽天
ジュニアコーチ、滝川二高-龍谷大)、 柴田佳主也
(明石高)、 大塚晶則
(元・レンジ
ャーズ、千葉敬愛高-東海大)、 香田勲男
(現・読売コーチ、佐世保工高)、 前田忠節
(現・四国九州IL香川オリーブガイナーズコーチ、PL学園高-東洋大)らが続く。
髪をハデな金色に染めた 前川勝彦
(元・米3Aメンフィスレッドバーズ、PL学園高)
も見える。
■そして最後の集団を 正田耕三
コーチ(現・オリックスコーチ)らとともに歩く小林
コーチの姿を、やっと見つけることができた。付けていた背番号は「70」。
表情は特に嬉しいというのでもなく、どちらかというと無表情・・・。
この直後に(優勝したものの)投手陣の不成績(防御率5点台)の責任をとって退団
したのだから、この優勝が決定した瞬間には、すでにその意思を固めていたのかも
知れない。
合掌。
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