昨日書いた記事 (「野球と其害毒」東京朝日新聞より)
の続き。
■1911年(明治44年)8月29日から連載を開始した「野球と其害毒」。その第1回目は
『武士道』を著した 新渡戸稲造
一高校長が登場した。曰く、
▽野球は賤技なり剛勇の気なし
▽日本選手は運動の作法に暗し
▽本場の米国すでに弊害を嘆ず
▽父兄の野球を厭える実例
私も日本の野球史以前には自分で球を縫ったり打棒(バット)を作ったりして野球をやった
ことがあった。野球という遊戯は悪くいえば、
巾着切り(スリ)の遊戯
相手をペテンに掛けよう、計略に陥れよう、塁を盗もうなどと眼を四方八面に配り神経を
鋭くしてやる遊びである。故に米人には適するが、英人や独逸人には決してできない。
さらに、
たくさんの父兄の懇話
私は幾人か数は忘れた位たくさんの父兄からその子弟に野球選手を止めるように忠告
してください、親兄弟ではいうことをききませぬから、と頼まれた云々。(座に法制局参
事官法学士柳田國男あり、いわく)私の甥は今年一高へ入りましたが体格も成績もよ
いから選手になれと勧誘されるかもしれませんが、もしそんなことがあれば私は出掛け
て行って打ちこわしてやる考えです。
■野球というスポーツにのめり込んでしまった息子たちの、将来を案ずる父兄や親せき
らの様子を知ることができる。まさに野球は現代でいう「悪い薬」や「ギャンブル」と同等
の扱いだったのだ。
ただ、野球害毒論をはじめ野球史に詳しいSF作家・ 横田順弥
さんは、この東京朝日新
聞の記事の信ぴょう性に疑問を抱いている。自著『嗚呼!! 明治の日本野球』(平凡社刊)
の中で、次のように書いていた。
その翌々日
(※連載第1回の2日後、8月31日のこと) 新渡戸博士は日米交換教授として
処女航海の春洋丸で、アメリカに向かって出発してしまったのだから、問題はさらに大き
くなった。これは、おそらく東京朝日新聞が、博士の渡米を計算して行ったことと思わ
れる。資料を集めて行く過程で、
新渡戸稲造博士の言葉は、ほとんど捏造と誤認によっ
ていることが判明した。実際、新渡戸博士が、この記事を読んでいたかも疑わしい。
■自らの学校に野球部を持つ新渡戸博士が野球を非難する記事が出たものだから、
世間は動揺し、大きな社会問題に発展したらしい。
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