あま野球日記@大学野球

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2011.06.11
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カテゴリ: 近鉄バファローズ

「江夏の21球」について続き。

西本幸雄 さんが同点に追いつくために出したスクイズのサイン。だが失敗に終わり、それをきっかけに大毎は大洋に4連敗、日本一を逃すことになった。

そしてこの第2戦終了後、すかさず大言壮語な語り口で 「永田ラッパ」 と呼ばれた 永田雅一 オーナーからは怒りの電話が。 「なんでスクイズなんかやるのか?」 と非難し、西本さんを 「バカヤロー」 と罵倒してガチャンと電話を切った。2人の間は険悪な事態になったことは言うまでもない。


■このスクイズ失敗は、翌日の新聞各紙の格好の標的になった。
「西本 スクイズ失敗 / 大毎 消極的な作戦」
「ペース乱れた? 西本作戦 / とにかく打つこと / 併殺が恐くてスクイズ」
などなど。 

後者の記事は、評論家・ 佐々木信也 さんの署名記事である。後年、『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)で見せた温和そうな表情からは想像できない、痛烈なものだ。 「併殺が 恐くて スクイズ」 という表現に、佐々木さんの西本さんに対する特別な感情をボクは感じた。


■調べてみると、1959年(昭和34年)オフ、2人にある確執があったことがわかった。大毎の監督に就任したばかりの西本さん、球団からまず与えられたミッションは「少数精鋭主義」という名の「選手数削減」だった。そして当時、選手としてのピークは過ぎたものの大毎の中心選手として活躍していたのが佐々木さんだった。以下、『私の履歴書-プロ野球伝説の名将』(日経ビジネス人文庫)より引用。西本さん曰く、

苦い思い出は、佐々木信也をクビにしたことだった。一人でも二人でも選手を減らしたい球団は、頭数の多い二塁手を一人切れと言ってきた。坂本文次郎、須藤豊、八田正に佐々木。さらに、小森光生、柳田利夫も二塁を守ることができる。佐々木の打撃は素晴らしかったが、二塁しかできないのが、「少数」を強行する上で問題だった。

辞めてもらうには、後の仕事の問題もあった。野球を離れてもやっていけそうなのは佐々木で、他の連中はなんらかの形で野球にかかわらないと、食っていけないと思って佐々木を指名した。あれから30年たった今も、佐々木とはマスコミの世界で仕事をすることがある (※注、本文は1992年8月、日本経済新聞に掲載された) 。あの時はお互い苦しんだが、今の佐々木を見ると、あそこで辞めて大成功だったのではないかと思う。 
(以上、『私の履歴書』)

西本さんの話は本当だろうか? 監督就任1年目、ぜひ実績を残したいときに選手一人ひとりの今後の生活を考える余裕があるものだろうか。もし本当なら素晴らしいことだし、懐の深さに敬服するしかないが、佐々木さん自身がどう感じていたかは疑問が残る。


■wikipediaにはこう書いてあった。以下に引用。
1959年オフ、大毎オリオンズの監督に西本幸雄の就任が決まる。その西本は身長の低い選手はいらないとの考えを打ち出し、身長170cmに満たない佐々木も解雇の対象となり、他球団からの誘いも有ったが現役引退を決意する。その後、プロ野球ニュースで「自分が引退するきっかけとなった西本と仕事をする事になるのだから、人生というものは不思議なものだ」と (佐々木は) 語った。

このwikipediaに書かれた内容の方が、ボクは理解しやすいが、本当はどうなんだろう?


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Last updated  2011.06.11 12:55:15
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