あま野球日記@大学野球

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2013.11.23
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テーマ: 日本野球史(139)
カテゴリ: 近鉄バファローズ

前回の続き。




この年、近鉄にとって頭の痛い出来事があった。 藤井寺球場 を巡る騒動である。2月、藤井寺にホームグラウンドを移すことを決定し、7月にナイター工事を着工したものの、地域住民に反対の声が上がり、10月、大阪地裁が条件付きながらナイター工事続行中止処分を下された。



■この顛末について、『近鉄球団、かく戦えり。』(浜田昭八著、日経ビジネス人文庫)に詳しいので、以下に引用する。

高い家賃を払うぐらいなら、多少無理してでもマイホームを建てる。まして使っていない古い家があるなら、手入れして使いたいと思うだろう。近鉄球団の思いは、まさにこれだった。

近鉄は1958年、「家賃」値上げのため、それまでナイターで借りていた大阪球場を去り、新たにナイター設備をつけた日生球場に「転居」した。ところが、移った先の「家主(日生)」も年々、「家賃」の値上げを要求してきた。

72年の年間使用料は3290万円。1試合当たりだと約70万円。これに各種興行経費を加えると、1試合あたりの経費は約115万円になった。しかも球場のフェンスなどへの広告収入は、すべて日生側が受け取る契約だった。その上、73年度からは1試合の使用料を100万円とする申し入れがあったため、もはや、日生に固執するメリットは近鉄にはなかった。

■そこで浮上したのが、「古い家」の藤井寺球場への回帰プラン。それは、この藤井寺に照明をつけてナイターも興行しようというものだった(それまではデーゲームと練習だけに使用していた)。

自前の球場を有効利用することで、余計な出費を抑えることができる。当然と言えば、当然のプランだ。ところが地域住民への説明が後手にまわり、思いがけない事態が起きた。 

そもそもこの地は、閑静を売り文句にして、近鉄自身が開発した住宅地。その住民がナイターによる騒音、光、自動車の行き来などによる公害を恐れるのは当たり前だった。したがい、73年7月、見切り発車で着工するも、住民から「ナンセンス!」と問答無用で退けられた。結局裁判に持ち込まれ、紆余曲折の末、工事着工が認められたのは、10年後の83年9月である。



■その後も藤井寺球場は、悲運に見舞われた。近鉄のホームグラウンドとして再スタートするも、97年に大阪ドームが完成し、再び準フランチャイズに降格。さらにオリックスとの合併により、2005年1月をもって球場を閉鎖し、ついに翌06年、解体された。

しかし、球場の看板だけは現存するらしい。近くでスナックを経営する70年代の主砲・ 栗橋茂

  • 2013.11.23 藤井寺球場 001.JPG

(写真)藤井寺球場 ~『近鉄バファローズ大全』(洋泉社)~






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Last updated  2013.11.23 22:17:37
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