とある田舎の喫茶店

とある田舎の喫茶店

友情(ラヴ)








 それは、なんの変哲もない出会いだった。

「あの、もしお暇でしたら一緒に冒険してくれませんか……?」

 マク・アヌのカオスゲートから中央広場へと続く長い一本道。
 その調度真ん中あたりで、俺は橋の欄干に腕を乗せて、沈むことのない大きな太陽をぼぉーっと見つめていた。
 別に格好つけて黄昏ていたわけじゃなく、今日の晩御飯はなんだろう、とか、そろそろ宿題やらなきゃなーとか、そういう他愛もない考え事をしていただけだ。
 そして、エリアに出る気分でもないしそろそろ落ちようか。そう思ったところで、俺は風鈴のような直接頭の中に響く声を聞いた。
 今まで出会った人間とは明らかに異なる種類の声音に、俺は振り向かずにはいられなかった。
 振り向けば、そこには一人の少女がいた。

「わたし、これから友達とクエストに挑もうと思っているんですけど、二人だけだとちょっと心もとなくて……もう一人欲しいなぁって。それであなたをお誘いしたんです。もしよかったらお供してくれませんか?」

 雑音と言ってもいい周囲から聞こえる者たちの声と比べ、彼女の声は明らかに違っていた。
 凛とした、という表現が一番しっくりくる。清流を思わせるその綺麗な声音に、俺は一瞬聞き入ってしまった。

「あの……どうでしょうか?」

 気がつけば、彼女は一歩こちらへと歩み寄り、その女性と言うには幼さの残る端整なつくりの顔を覗きこませていた。
 一点のくすみもない、潤った黒く大きな瞳と目が合い、俺の心臓はひとつ大きく鼓動する。

「あー、うん、別に対した用事はないから俺でよければ」
「ありがとうございます!」

 俺が答えると彼女から元気のいい言葉とともに、桜のような艶やかな笑みがこぼれた。
 空色のグラデーションが入った白い衣装を風に揺らしながら、彼女は俺の手をひいた。

「カオスゲートで友達が待っているので一緒に行きましょう」
「あ、ちょっと待って。その前に、俺はネック。君の名前は?」
「よもぎです。よろしくお願いしますね、ネックさん」

 笑みをたずさえた彼女の顔は、俺からすれば想像上にある女神のそれと寸分違わなかった。





                   ■





 カオスゲートの扉を開けると、すぐに彼女の連れが誰かわかった。

「サキネちゃん! 前衛の人、誘ってきたよ!」

 俺と話した時とは違い、よもぎが背の高い一人の少女に近づきながら元気のいい声をあげた。
 広げれば蝶のようになるよもぎの衣装とは違い、カオスゲートの前に立っている少女の格好はまさに冒険者といった感じだった。
 モデル顔負けの細い手足を惜しげもなく見せる身体を動かすのに最適な服を着た、目のきりっとした少女だ。ショートヘアに加え、背が俺とほとんど変わらないほどに高いため、だいぶ男の子っぽくも見える。

「よもぎ、そいつがもう一人の前衛か?」
「うん、ネックさんって言うの」

 よもぎに俺を紹介された少女は、少し遠くにいる俺へと眼の焦点を合わせ――

「あいつを加えたところであのクエストを攻略できるとは思えない。私はあれを誘うくらいなら二人で行ったほうがいいと思う」

 一瞥をくれた。

「な……」
「サキネちゃん! 本人の前で失礼だよ!」
「私はただ……可能性の問題を言っているだけだ」

 若干のためらいが混じった言葉を、彼女は自分よりずいぶんと目線の低い少女へと投げかけた。

「私たちが受けるクエスト『永久問う奴(えいきゅうとうど)』はただレベルが高ければクリアできるというものじゃない。チームワークを必要とするクエストだ。……だったら私たち二人で行ったほうがクリアできる可能性が高い。そう言っているんだ」

 事務的な物言い。そして感情を表さない眼。その姿は一見すると感情を一切無視した機械的な人間を連想させる。
 そんなサキネという少女に対し、よもぎは第一印象から考えると驚いてしまうほどに声を荒げた。

「だからって今の言葉は失礼すぎるよサキネちゃんっ! それにいくらチームワークが必要だからってわたしたちのレベルで二人で挑むのは無謀だよ!」
「無謀だとはじめから決めていたらクリアできるものもクリアできない」
「そういうことを言っているんじゃないよサキネちゃん! ネックさんに謝ってって言っているの!」
「私はただ……!」
「あーストップストップ! ……なんだか俺のせいで揉めてるみたいだから俺はやめとくよ。それで丸く収まるだろ?」

 言いながらサキネを見ると、その眼にはどこか動揺の色が伺えた。
 普段は毅然としているのだろうということを容易に想像できる彼女に、今は戸惑いの表情が見える
 そのことに俺は気づいていたが、俺には関係ないとしてすぐに視線をはずした。
 これは彼女たち二人の問題だ。赤の他人である俺が口を出すことじゃない。そう思ったからだ。

 だがベターな提案をした俺に、よもぎは詰め寄ってきて、出会ったさきほどからすると別人ではないかと思うほどの、力のこもった眼を向けてきた。

「ダメです! それじゃネックさんが悪いみたいじゃないですか! 今のは明らかにサキネちゃんが悪いです! ネックさんがぬけるにしてもサキネちゃんが謝ってからにしてください!」

 なんで俺が怒られているみたいなんだ?
 そう思わなくもなかったが、よもぎの真っ直ぐな瞳を見たらそんな疑問も吹っ飛んでしまった。
 さっき出会ったばかりだがなんとなく分かる。
 彼女は真面目なのだ。理不尽なこと。不公平なことが許せない。それを潜在的に思っているから妥協は選択肢の中には入る余地もない。簡単に言えば「曲がったことが大嫌い」
 彼女はそういう性格なのだろう。
 個人的にはそういう性格は嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだが……。

 詰め寄っているよもぎから目線をはずし、もう一方の少女へとチラリと目を向けた。

「―――っ」

 わずかだが一瞬怯えに近いものを表情に写したサキネ。
 彼女からすれば、なかなかに扱いづらい性格のようだ。
 客観的に見て、両者ともに不器用、と言いたいところだ。

「サキネちゃん! ネックさんに謝って!」
「いや、いいよ、よもぎちゃん。正直俺もそこまで乗り気じゃなかったんだ。だからやっぱぬけるわ。悪いね。せっかく誘ってもらったのに」
「そんなっ」
「あと……」

 気まずいのか何も言えずにいるサキネへと視線を向け

「ごめんな」

 一言だけ言って、俺は扉を開けて出て行った。









                  ■








「あー、まったく、嘘つくなら最後まで悪役をつらぬけっての!」

 俺はあれからイベントでしか行くことができない孤島、イ・ブラセル行きの船がおいてある船着場で海に足を投げ出すようにして腰を下ろしていた。。
 本当はドル・ドナあたりで深緑の匂いでも肌で感じようとか思っていたのだが、なんの考えもなしにカオスゲートから出てしまった。今更もどって彼女らと再会した日には気まずくてしょうがない。
 だったらここで時間つぶしでもしようと思ったのだが……自分の意思とは関係なく、自分に対しての悪態が口をついて出てきていた。

「ったく、まだまだ俺も精進が足りねえ」

 ここだけの話、めちゃくちゃ乗り気だったのだ。運命の出会いじゃないかと勘違いしてしまいそうなほどの直球ど真ん中の美少女に誘われたのだ。嫌がる理由がない。だがそこは二人の仲を取り持つために嘘をついたのだ。
そこまではよかった。自分的にも80点くらいはあげてもいいくらいの紳士っぷりだった。
 だが最後のやつは駄目だ。あれはいただけない。

「あー、あれじゃ絶対自分自身に対して嫌悪感持っちゃったよな……。悪いことしちゃったな……」


 最後の「ごめんな」。あれを言われたサキネという少女はどう思っただろう。
 きっとこう思ってしまったに違いない。
 自分はなんて嫌な人間なんだろう。
 あそこで逆に舌打ちのひとつでも彼女にやっていれば「あんな奴はぬけてもらって正解だった」と思っていたに違いない。
 むしろ豹変して「ケッ」くらいのことはやったほうがよかったかもしれない。そこまで露骨ならよもぎという少女もサキネへの態度を改めていたかもしれないから。
 それをせずに、自分かわいさに優しい人ぶって「ごめんな」なんて言った俺は人間としてまだまだ未熟なのだろう。
 そんな自分が嫌になる。

「うあー、あの二人の仲を悪くさせてしまったと思うと……」

 今一度天を見上げて考え―――うなだれた。

「すげー罪悪感」

 おそらく、あの二人はまだケンカしたままだろう。仲直りするには時間がかかりそうだ。
 だが俺にできることはもうない。俺が出て行けばもっとややこしくなるだけだろうし、それにこれは二人の問題だろう。
 俺のせいでケンカしたのだから二人の間に入って仲直りをさせてやろうと考えるほど浅はかな偽善者であるつもりはない。

「ま、あの二人なら大丈夫かな」

 まさに“燃えている”という表現がぴったりの太陽をただひたすら眺めながらつぶやいた。
 信念に近い感情をいつも持ってズバズバ物を言ってしまうがゆえにサキネの本心を考えられないよもぎ。
 よもぎに本心を知ってほしいのにそれを押し殺して事務的に言葉を吐いてしまい勘違いされるサキネ。
 お互いに不器用な二人だが、それでも今まで付き合ってきたのだろう。あれしきのことで絶交になるとは思えない。

「さて、ちょっくら金稼ぎにでも……」

「行こうかね」そう言おうとして。

 ―――。

 背後に気配を感じて振り向いた。

「あ……」

 驚きの声をあげたのは俺ではなく相手のほうだった。
 露出の高い格好にきりっとした顔立ち。
 サキネだ。
 声をかけようか決心できないうちに相手が自分に気づいてしまった。そんな顔を、彼女はしていた。
 もしかして、俺を捜していたのだろうか。
 こちらが話しかけなければ言いたいことを言わないまま立ち去ってしまう。反射的にそう思った俺は、彼女に声をかけていた。

「えっと……サキネちゃんだっけ」

 “ちゃん”づけで呼ぶのは彼女の雰囲気からして若干の躊躇があったが、すぐに自分を納得させた。
 目つきなどの外見にとらわれないで考えると、彼女にどこかシャイなところがあると思ったからだ。
 彼女自身が違和感をえることはあっても、拒絶することはない。俺はそう判断した。

「……」

 見るからに気まずそうに瞳をおろおろさせるサキネ。そんな彼女に、俺はどこか幼さのようなものを感じた。

「あー……さっきは……うん、ごめん」
「え……」

 見れば彼女は予想外の答えを聞いたかのように目を丸くさせていた。
 いや、ように、じゃない。おそらくそのまんまだろう。
 その俺の予想は、次の彼女の言葉で確固としたものになった。

「あの……なんで……が謝る、の……?」
「あはは……えーと……」

 今度は俺が言葉につまる番だった。
 俺をどういうふうに呼ぶかを、言葉を開くまでに考えつかなかったうえに、俺への罪悪感からかロールをせずに口調が柔らかくなってしまっている。ついでに言えば声量が極小。
 これはだいぶ彼女は戸惑っているようだ。そして予想していた以上に根は良い子らしい。
 ここは慎重に対応しろ、と頭の中の自分が訴えかけてくる。

「俺のせいで君が嫌な気持ちになったんじゃないかって思ってさ」
「私が……?」
「あー、そっか」

 彼女からすれば逆に俺のほうが嫌な気持ちになったんじゃないかと思っていたのだろう。

「さっきのことだけどさ、俺は別に嫌な気持ちになんかなってないから大丈夫だよ。それよりも、仲直りは……まだしてないか」

 答えを聞くまでもなく、彼女の表情を見ればわかった。仲直りという単語を言った瞬間表情に影が落ちたからだ。

「よもぎ、怒ってどっか行っちゃった……」

 完全にロールを忘れている。だがそれほどまでにショックだったのだろう。

「あー……」

 これは考えが甘かったかもしれない。彼女たちは想像以上に不器用だったらしい。
 ここまで落ち込んでいるとさすがに「彼女たちの問題だから」とか言っている場合じゃない。
 むしろ俺にも責任はあるのだから「乗りかかった船」だろう。さっきと考えが真逆になっているがそこは臨機応変に対応しなければいけない、というのが俺のポリシーだ。
 そのためにはまず……

「話、聞いてもいいかな?」

 彼女たちを知ることからだ。



「えーと、とりあえず。ロール忘れてるよ」
「あ……」

 キョトンとするサキネの顔は、さきほどまでの冷たい彼女とは別人に思えるほどにあどけなかった。

「ふ、くくっ、サキネちゃんってリアルはけっこう可愛らしいんだね」

 ふざけた調子で言うと目に見えてサキネの顔は赤くなった。

「な――っ、へ、変なことを言うなっ! それと“ちゃん”づけで呼ぶな! サキネでいい!」

 赤くなりながら声を張り上げる様はなんとも女の子らしくて、外見とのギャップに俺は内心で打ちのめされていた。態度にはもちろん出さない。
 だが俺はそれとは別に安心もしていた。
 呼び方を変えろということは話をするつもりがあるということに他ならないのだから。

「じゃあサキネ。歩きながら話さないか?」
「え、あ……ああ、わかった」

 ちょっとだけぎこちない返事に、俺は立ち上がりながら思わず笑みをこぼすと、サキネはもう一度顔を赤くして怒った。
んー、このやりとりはけっこうおもしろいな。ハマりそうだ。
こんなことを言えばまたサキネは怒るだろうなと思いながら、サキネの照れの混じった罵声を受け流しつつ歩きはじめた。







             ■











 マク・アヌの川はいい。
 優しく流れる音が心を癒してくれて、俺とサキネの間にある壁も心なしか薄くしてくれるような気がするからだ。
 街行くPCたちの声も、いつもはなんとも思わないのに今は程よいBGMと化して緊張をやわらいでくれている。
 俺はサキネを連れて川に架かる橋まで行き、おもむろに欄干に腕を乗せて寄りかかった。

「なあ、サキネとよもぎちゃんはどれくらいの付き合いなんだ?」
「……なんだか途端に馴れ馴れしくなったな」
「あー、なんだろ。お前と付き合う場合こんな感じがお互いに楽かなーって。どうよ?」
「どうよって……知るかっ! 勝手にしろ」

 つっけんどんに返しながらも俺と同じように欄干に寄りかかるサキネの横顔をこっそり伺い見る。
 さきほどの照れていたときのサキネも個人的にはけっこう好きだったりするが、やっぱりこっちのほうが似合っている気がする。
 いや、今のサキネの顔はさっきとはちょっと違う。
 俺を拒絶していないのだ。だが受け入れるとは違う。横にいることを許してくれている。そんな感じだ。

「んで?」
「……よもぎがモンスターに襲われていたところを私が助けた」
「……」

 なんともまあ……。

「無言になるなっ! 悪かったな! ありきたりで!」
「いやいや、まあいいんじゃない? ……出会いは? 人の数ほど? あるんだし?」
「皮肉か! それは皮肉なのか!? ありきたりな出会いをした私たちを侮辱しているのか! そしてその気持ちの悪い半笑いをやめろ!」
「ははははは、もっと冷静沈着な奴かと思っていたけどそうでもなかったみたいだな。意外と短気なんだな。それで、よもぎちゃんともこういう風に騒いでるのか?」
「―――っ」

 この質問は実はけっこう本気で知りたかったことだった。
 カオスゲートでのサキネは今とは違いずいぶんと堅っ苦しいしゃべり方をしていた。
 俺がいたことを差し引いたとしても、今のサキネとはだいぶ違う雰囲気のように思える。
 ということはよもぎにすら素で接していないということなのか。
 そんな俺の内心を読んだのか、サキネが重たく口を開いた。

「よもぎは、私のことを強い女だと思っているんだ。私は、よもぎのそんな期待に応えてあげたい。だから私は――」
「素を隠して付き合う?」
「そうだ」

 サキネが欄干から腕を離し、俺と視線を合わせた。強い意志のこもった目を。
 だがそれは、間違ったベクトルを向いているように俺には思えた。
 俺も真剣にサキネの目を見た。
 ここからはもう他人の問題とかじゃない。だからと言って乗りかかった船というわけでもない。
 ここからは――

 偽善者で、自分勝手な俺の、彼女のためを想って言う言葉だ。

「お前はそれでいいのか?」
「もちろんだ。嫌だったら今までよもぎと付き合ってなんかいない。……お前はたぶん、私が我慢しているんだろうって思っているんだろう? だけどそれは違うぞ。私はよもぎといる時もロールしているだけだ。ロールすることは苦じゃない。それはお前も同じだろう。違うか?」
「……」

 はっきりとサキネは言った。
 それはきっと本心だろう。
 いや、正確に言えば、それは嘘で塗り固められた心で、本人ですらそんな分厚い壁を持った心を本心だと思い込んでしまっているんだ。
 だけどそれは本心なんかじゃない。
 本心であるわけがない。
 なぜなら――

「じゃあ聞くが、今のお前はなんだ? カオスゲートでよもぎちゃんと喧嘩したときの氷みたいだったお前がロールだとすれば、今のお前はなんなんだ?」
「これは……もうひとつのロールだ。私はよもぎの前では強い女でありたい。だけどそれはお前の前では必要ない。だから別のロールをする。それだけのことだ」
「そりゃ光栄だね。俺専用ロールか」

 大仰に肩をすくませた。
 我ながらなんてヒネた奴だ。もし自分がこんな奴と向き合ったら舌打ちのひとつでもしてこの場から即刻立ち去っていただろう。
 だがサキネは引き下がらない。

「……ネック、その態度は私を怒らせようとしているのか?」
「いや? ただお前って自分を見失っているんだなあって」
「……どうやらお前はどうしても私をよもぎの前で素になれない臆病者に仕立てあげたいようだな。そうか、そこまでカオスゲートでのことが気に障ったのか。だったら謝ろう。失礼なことを言って申し訳なかった」

 そう言って白々しく頭を下げるサキネを見て、俺の心の温度は上昇していく。
 そんなことを知る由もない彼女はもう一度視線を合わせた。
 カオスゲートで見た、氷のような冷たい眼を。

「これで満足か? じゃあこれでももう用はないな。今後、街ですれ違うことはあっても二度と話すことはないだろう。では失礼する」
「待てよ」

 自分でも驚くほどに、俺の怒りゲージは針を動かしていた。
 もはや針はマックスまで達していた。
 自分の短気さに驚いたがそれを静止する理性ははるか遠くにおいてきてしまっていた。
 意思より先に、背を向けるサキネの肩を手が掴んでいた。

「待てよ、臆病者」

 言った瞬間

「―――っ」

 サキネの右手が頬を打っていた。

「貴様に、貴様に私の何がわかる! 私のことを何も知らないくせに知ったような口を聞くなっ! さっき出会ったばかりの貴様に私の何がわかるって言うんだ!」

「わかるさ。自慢じゃないが俺は人より心を読むのが得意なんだ。穴だらけの鎧を着たお前のことなんかなんでもわかるさ。お前はな、よもぎちゃんを言い訳にして自分に嘘をついている最低の臆病者だ!」

「なんだと――」

「いいか、付き合いが長いからって相手のことをよくわかるわけじゃない。むしろ付き合いが浅いからこそわかることもあるんだ。お前はな、サキネ、本当はさっきの俺とのやりとりみたいな付き合いをよもぎちゃんとしたいんだ。なのにそれが怖いからよもぎちゃんを言い訳にしているんだ」

「だまれ、だまれだまれだまれだまれ! 何様だ貴様は! どんな権利があって私たちのことに口出しするんだ!? 赤の他人である貴様なんかにとやかく言われる筋合いはない!」

 激昂したサキネは思いきり腕を振った。
 その気迫は、普段の俺だったら後ずさっていただろう。それほどに彼女は“キレていた”
 だけど俺は絶対に引かない。引くものか。
 なぜなら俺も、最高にキレているからだ。

「赤の他人? そんなもん知るかっ! いいか、俺はてめえのことを思って言っているわけじゃねえ! 俺はな―――てめえがむかつくから言ってんだよ!」

「な――っ」

「表面上では平気な振りして内心ではウジウジウジウジ。てめえは誰にもバレてないつもりでも俺にはバレッバレなんだよタコ!」

「た――」

「ホントはよもぎちゃんとさっきの俺とみたいに話したいんだろ!?」

「違う!」

「違わないさ。じゃあなんでカオスゲートのところで『二人でクエストをクリアしたかった』って言わなかった!」

「―――!」

「あのときのお前が本当に心の底から望んだロールをしていたのなら言えたはずだろ! どれだけぶっきらぼうでも『二人でクリアしないか?』って! ……ああそうさ、言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。それを言ってしまったら――本心を“あの”お前が言ってしまったら、もう後戻りできなくなるから。本心は本当の自分でなきゃ言っちゃいけないってお前自身わかっていたんだ。だから言えなかった」

「ちが……私は――」

 サキネの心は大きく揺れていた。
 そこについさっきまであった頑強な壁はない。あるのはむき出しになって蜃気楼のようにおぼろげに揺れる小さな心だけだ。

「もう一度だけ聞くぞ。本当は、よもぎに本当の自分で接したいんだろ……?」
「……」

 サキネは顔を深く伏せるだけだった。まだ意地を張っているのか。
 ここまでくると拍手を送りたいほどだ。
 よく見れば、サキネは拳を硬くにぎって震わせていた。
 身体はこんなにも正直なのに、心はどこまでもヒネくれている。
 まったく、こいつを見ていると昔の自分を見ているようで異様なほどイライラしてくる。
 いや、さすがの俺もこいつほど意地っ張りじゃなかったかもしれない。
 もっともこいつにとってのよもぎのような友達は俺にはいなかったのだが……。
 俺は落ち着きを取り戻した心を確認しつつ、サキネへと数歩歩み寄った。手を伸ばせば余裕で触れられる距離だ。
 そしてゆっくりと右腕を振り上げた。

 サキネにもう乱暴に壁を壊す言葉は必要ない。
 必要なのは――

「サキネ!」

 ハッと彼女が顔をあげる。
 彼女の目には腕を振り上げている俺が映っているはずだ。
 四半秒、それを確認して

 俺は右腕を振り下ろした。

「このわからず屋め!」

 サキネが、反射的に首をすくめた。








           ■








 サキネはじっと動かなかった。
 まるで時が止まったかのように。
 俺が右手を宙に静止させても、彼女は動かなかった。
 まるで、叩かれることを覚悟しているかのように。

 だから俺は、そんな不器用なサキネの頭の上に

「あー、ったく、ほんとお前って昔の俺に似てるのな」

 ぽん、と右手をのせてやった。

「え……」

 意外そうにあげられた顔とともに出されたその声は、何に対してのものなのか。
 まだ混乱から回復していない―――バリアを張る前のサキネから手をどけて、俺は今一度問いかけた。
 これが、最後だ。

「サービスでもう一回だけ聞いてやる。イエスだったら首を縦に、ノーだったら横に振れ。サキネはさ、よもぎちゃんに本当の自分を打ち明けて、それを受け入れて欲しいんだろ?」

 俺が問うと、サキネは眼を伏せた。
 その眼に映っているのは、いったいなんだろうか。
 動いていても本当は一歩も進んでいない、己の足か。
 一歩を踏み出そうとしている、己の心か。
 それを決めるのはサキネ自身だ。
 だけど――俺のことを大馬鹿野郎とか、行き過ぎたおせっかい野郎だとか言ってもいい――もう一押しくらいなら、背中を押してやってもいいんじゃないだろうか。

「サキネ」

 なるべく優しく、転ばないようにゆっくりと歩み始められるように、俺はできる限りのやさしい声で、言ってやった。

「そろそろさ、肩の荷おろせよ」

 俺の言葉は力になっただろうか。
 それがわからずとも、俺はよかった。
 なぜなら

「ばか……」

 そんなつぶやきとともに、サキネがコクンと首を縦に振ったからだ。










                ■










「家政婦は見た! ツンデレ娘と熱血おせっかい男の、二人の間に友情(と書いてラヴと読め!)が芽生えるその瞬間を!」

 すべてをぶち壊すそんな科白を口にしながらどこからともなく現れたのは、誰であろう、よもぎ、その人であった。
 時間が止まるっていうのはこういうことだろう。
 俺とサキネは見事なまでに銅像と化していた。
 いつからだ? 
 いつから彼女はいたんだ? 
 今の科白はなんだ? 
 ツンデレ? サキネのことか?
 おせっかいって俺のことか?
 友情と書いてラヴってなんだ?
 そして彼女はこんなことを言う娘だったのか?
 一瞬にして数え切れないほどの疑問を抱えた脳みそはコンマ何秒かで配線が焼き切れてショートしていた。

「おーい、二人とも何固まってんのー? 二宮金次郎ごっこは1世紀前の遊びだよ~」

 うそだ。そんな遊びは一世紀前でもやっていた奴なんかいない。

「それともこれは芸術品ごっこかな~? うーん、題名はなにがいいのかな~? えーとえーと……うん、決めた! 友情(ラヴ)の芽吹き!……ってうあ~ん! なんで二人とも固定視点のまま迫ってくるの~~っ! こわいよ~~っ!」

 真っ白になりながらも俺とサキネは本能で理解していた。
 今のこいつの発言の数々でわかったことがひとつだけある。
 俺とサキネの苦労は救いようのないほどに、徒労に終わったのだ。

 よもぎ、許すまじ。

「あ~んっ、冗談です、冗談ですから許してください~~っ。二人とも怖いよぉ~!」

 俺とサキネは、彼女が涙目で土下座するまで一心不乱にゾンビのようによもぎを追い回し続けた。
 その光景たるや、きっとBBSで噂されるであろうほどの不気味さだっただろう。

 状況把握はできなくともやっと思考回路の復帰した俺とサキネは、どちらともなくよもぎ二号(ニセモノの可能性もあるため暫定)へと問いを重ねた。

 問い1「お前は本当にあのよもぎか」

 よもぎはえへへと頭をさすりながら言った。

「今までのよもぎちゃんは仮の姿。真のよもぎは天真爛漫で茶目っ気たっぷりな女の子なのでした~」

 一目ぼれしそうになった少女に、俺は容赦なくチョップを食らわしてやった。

 問い2「いつから俺たちのことを見ていたのか」

 よもぎは人差し指を口の前に立ててウインクをしながら言った。

 「ふふふふふ、ヒ・ミ・ツ、なのですよ♪」

 本当の自分を打ち明けたいと思っていた相手に対し、サキネはその身長差を生かしたかかと落としをお見舞いした。

 問い3「なぜ今までその性格を隠していたのか」

 よもぎは小首をかしげながら言った。

「え~とですね~それは話すと長くなるんですけど……。そう、あれはリアルで冷凍庫にあるカレーマンとアンマンどちらを食べようか迷ってしまって夢中になるあまりレベルの高すぎるエリアへと行ってしまったときのことでした。エリアに降り立って直後にモンスターに襲われた私を何者かが助けてくれたのです。そう、サキネちゃんです! 私は思いました。ああ、なんてかっこいい。ファンになりそう。でも頭のいい私は考えました。ファンになってしまったら距離をあけられてしまうのではないか。サキネちゃんの近くにいるには友達になったほうがいいのではないか。そこで再度私は考えました。そう、この性格は万人向けではないということに気づいたのです。だから私は決断しました。サキネちゃんは猫をかぶっている。ならばサキネちゃんが心を開いてくれるまで、私は本当の私を封印しよう。心を開いてくれたサキネちゃんならばきっと本当の私を受け入れてくれるだろう。そう思ったのです。そして! 時は満ちた! 間接的にとは言えサキネちゃんの本音を聞けた今! 本当の自分をさらけ出すことに躊躇する理由はありません! さあ! 今こそ真の友情(と書いてラ(ry)を芽吹かせる時なのです! さあ! サキネちゃん! 私の胸にドーンと飛び込んでおいで!」


 一部始終を聞き終わった俺とサキネは無言のままそれぞれ動いていた。
 俺はよもぎの背後へと。サキネはよもぎの正面、30メートルほど離れた場所へと。

 そして俺はよもぎを後ろからがしっと羽交い絞めにし、サキネはクラウチングスタートの体勢をとった。

「え? なに? 二人ともなんですか? ナニスルンデスカ?」

 そのよもぎの言葉を合図とし、サキネは助走へと入る。
 拳術士特有の瞬発力を生かし、速度は瞬く間にあがる。
 そしてわずか1秒足らずで最高速度まで達したサキネは標的のよもぎを見据え――

「え、ちょっとサキネさん? なにをす――」

 飛んだ。



「ギョふぅ――っ」



 後ろで羽交い絞めされている人間への両足そろえてのドロップキック。
 美少女にあるまじきうめき声を発したよもぎはその場でうずくまり、泡を吹いて動かなくなった。

 一応、言っておこう。決して、友達にやる行為では、ない。
 真似は――――するな。










                   ■








「お~~~い、サ~キ~ネ~ちゃ~~~~~~~~~~~~~ん」
「うるさいよもぎっ! 恥ずかしいから叫ぶな!」
「いや、サキネ、お前のほうが目立ってるから」

 マク・アヌの中央広場へと降りる階段にいる俺とサキネからは、えらく遠いところでニッコニコの笑顔をつくるよもぎ。
 叫んだことで視線を集めまくって恥ずかしさからか顔を赤くしているサキネ。
 そして背後でクールにツッコミを入れている俺。

 何がどう転んだらこうなるんだというのは自分でも思うが、なったものはしょうがないというのが俺の考えだ。
 どうやら、美少女とお知り合いになって、その友達の涙を胸で受け止めて両手に花状態でハッピーエンド、なんてのはこの世界の神様が許してくれなかったらしい。
 まあこれもこれで悪くないと思う俺もいるわけで、そんな甘っちょろい幻想なんて実際に体験してみりゃきっとすぐに飽きてしまうものなんだろう。
 ……そう自分の胸に言い聞かせる俺もいる。

「お~~い、ネック~~~行っちゃうよ~~」
「ネック! 置いてくぞ!」

 いや、本当にこれでいいんだろう。

「お前ら急ぎすぎなんだっての!」

 なぜなら、今の俺たちは3人とも、心の底から笑っているのだから。





~~あとがき~~
はじめはね、こんなオチにするつもりじゃなかったんですよ。
でも書いてるうちにあれよあれよと転がってしまい……。
よもぎがヒロインだと思った人はごめんなさい。ヒロインはサキネです。
土日月ともちょっと用事があって小説を書く暇がなかったのでこんな時間に投稿するハメになってしまいました。今回は時間守ろうと意気込んでいたのになぁ……orz
これまでにないくらいにだいぶ壊れている作品ですが読んでいただいただけで幸いです。

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