とある田舎の喫茶店

とある田舎の喫茶店

蓮華草が咲く時―1





「ねえねえ、まどか、今度の土曜日一緒に遊ばない?」
「あ……ごめん。わたし用事あるから……」
「そっか~。残念。じゃ、また今度行こうね~」
「……うん」

――これでいい。これでいいんだ。あたしは誰かと親しくなっちゃいけない。だって――。

だけど―――大丈夫。私はもうひとつの世界がある。私は、一人じゃない。

そう。この世界がなくても、私にはあの世界がある。

信じている者に見放されない、私の理想の世界が。

だから、これでいいんだ。







               ■





「あ~、どうしたもんかな~」

言いながら椅子の背もたれをこれでもかと言わんばかりに反らせ、 後頭部を右手で掻いた。
母親譲りの無駄に真っ直ぐな髪の毛がボサボサになるがどうでもいい。
あたしは母親と違って外見なんぞに大した興味がない。
それにそんなことよりももっと大事なことがあるのだ。
それは今、目の前にあるノートパソコンの画面に映し出されている。

「はぁ……なかなかに、デリケートな問題だよなぁ」
「どうしたんですか~? 大神先生、いつにも増して悩んじゃって」

突然横から声がかかった。
反射的に振り向けば、そこには同僚の女教師、波多野広美が担当教科である数学の教材を抱くようにして持って立っていた。
端整な顔立ちにすらっとした体躯。後ろで一つに縛った髪の毛。トドメに巨乳。
男子生徒に絶大な人気を誇る25歳の女教師だ。
その性格は極めて穏やかで、この学校の教師の中ではあたしが一番親しくしている教師だ。

「あー、波多野先生か。今はグルメ話に付き合っている時間はないんだ。しっしっ」
「そ、そんな私が年がら年中食べ物の話をすると決め付けないでください! そりゃたしかに食べることは好きですけど~? ちゃーんと普通の話もできるんですからね!」

その豊満な胸を張りながら言った彼女は、きっと「ド天然」という希少種に属されるのだろう。
普通の話ができることを、胸を張って自信満々に言ってのけるとはさすがだ。
だがそんなこちらの内心を彼女が悟られるわけもなく、彼女はあたしが睨めっこしていたノートパソコンの画面へと視線を移した。
そこにはある一人の生徒の情報が映し出されている。

「ああ、例の転校生ですかぁ。たしかご両親の都合でこちらに引っ越してきたとか。えーと名前は……とり、鳥……」
「鳥居(とりい)まどか」
「そうそう、とりいまどかさん。……彼女のことで何か悩みでも?」
「ああ、鳥居が転校してきてから1ヶ月になるんだけどな、まだクラスに馴染めていないみたいなんだよ」

それがここ最近、あたしの頭を悩ましている要因だった。
鳥居まどか。
第一印象は『内向的で真面目な女の子』
実際もそのとおりで、話しかけられればちゃんと答えるが、自分からはほとんど話しかけない。
彼女が転入してからすぐに行われた中間テストでは学年3位と、学力の方は極めて優秀。
部活は美術部に所属している。
自分のことを話したがらず、こちらが聞いても黙りこくることはなくても、うやむやにするような答え方をすることがよくある。
頭の中で今一度鳥居の情報を整理していると、波多野先生がふいに声をあげた。

「あれ? でもたしか大神先生のクラスって……」
「ああ、2-Cだよ」
「ですよね? あの異様なほどに団結力が強いことで有名な」

あたしの受け持っている2年C組は学校の中じゃ言わずとしれた仲良しクラスだ。
いや、それじゃ表現が生ぬるいかもしれない。
学校の中で革命でも起こせそうなほどの団結力を持っている、と言ったほうが的確だろうか。
とにかくクラス全員の仲が良く、いじめなんてものとは無縁の連中だ。

「あのクラスでもやっぱり転入生ともなると浮いちゃうんですかね~?」

あごに人差し指をつけながら首をかしげるというあまりにもベタな仕草をする波多野だが、その姿からはまったくわざとらしさを感じさせない。
このような仕草を自然とできるとは、もはや才能と言っても過言ではないのかもしれない。
ともあれ波多野先生も数学の授業で2-Cを受け持っているため、その仲の良さを目の当たりにしている。
そのため疑問が湧くのも当然だろう。
だがその疑問は根本的なところで間違っている。

「あのクラスでも、じゃない。あのクラスだからこそ、だよ」
「ほえ? どういうことですか?」

マジにベタすぎる擬音語を吐いた彼女に一瞬呆気に取られたが、すぐに我をとりもどしその質問に答えた。

「ウチのクラスの連中ってさ、転入生が入ってもウェルカムムード全開で迎えそうな感じだろ? 実際そうだったよ。だけどそれがかえって鳥居がなじめない原因になっているんじゃないかってあたしは思うんだ」
「えっと、わかりやすいように言ってください」
「ああっとだな。たとえば、50ピースはまるジグソーパズルの枠があるとする。ひとつひとつのピースは生徒で、ピースをはめる枠はクラスだと思ってくれ。普通のクラスの場合、枠が50個分あっても実際のピースは40個で、ところどころで5,6個の固まりをつくっているんだ。男女間の壁ってのもあるし、単純に好き嫌いから40個すべて一塊になっているわけじゃない。だから新しいピースが加わっても枠にはまることはできるんだ。だけどウチのクラスの場合、40個分の枠にピースが40個。登校拒否もいなければいじめもない。男女間の仲も良い。すでにパズルが完成しちまってるんだ」
「へぇ~、大神先生のクラスの子達って良い子ばかりなんですねぇ~」

目線を上にしている波多野先生の脳裏にはいったいどんなものが構築されているのだろうか。
ちゃんと伝わっていることを願いつつ、話を続けることにする。

「じゃあここでクエスチョンだ。すでに完成しているパズルに、新しいピースをはめることが出来ると思うか?」
「あ、なるほどぉ~。その新しいピースっていうのが鳥居さんのことなんですね~?」
「そういうことだ」

2年C組は担任である自分でも驚いてしまうほどに理想的なクラスだ。
だがそれゆえに他とは違う空気を放っていて、新参者は孤立感を得てしまってなかなか慣れにくい環境であることは間違いない。
よほどきれいに想像ができたのか「なるほど」を連発していた波多野だったが、突然さきほどと同じように「ほえ?」と気のぬけるような声をあげた。

「でもそしたら鳥居さんはずっとあのクラスに馴染めないままってことですか?」
「いや、今言ったのはあくまであたしが想像する、鳥居の考えだ。鳥居はこう思っているんじゃないかっていうな」
「ああ~なるほど。鳥居さんは自分で壁をつくっちゃっているわけですね~」

ほのぼのとした口調だが的を射たその発言に、あたしは内心で感心した。
この女、ただのド天然ではないというところが侮れない。

「ま、そんな壁、あたしが取っ払ってやるさ」
「お~、大神先生かっこいいです! ……それはそうと大神先生。この前やった全校アンケート、クラス担任がクラスごとにまとめるように指示されていましたけど、もう終わりましたぁ?」
「あ」

思い出したと同時。

――キーン、コーン、カーン、コーン

「のあぁぁ―――っ! もうSHRの時間じゃねえか!」
「今日は放課後残りですねぇ~。頑張ってください大神せんせ~」
「チキショー! あんたと話していたせいで時間がなくなったんだろうが!」

笑顔で去ってゆく波多野先生の背中へと悔し紛れの言葉をかけてやったが、彼女はふふふと笑みをこぼすだけですすすーっと幽霊のように消えていった。
あの女。やはり侮れない。

「あーもういいや、さっさと行こ」

今日もいつも通りSHRに2分遅れ。
なにも問題ない一日になるはずだ。




              ■





「おはよーみっちゃん!」
「みっちゃんおっはよ~」

 2-Cの教室に入ると、チャイムが鳴っているというのに当然のごとく席に座っていない生徒たちが、口々にあいさつをしてきた。
こちらがあいさつをする前にあいさつをしてくれるのはいいことだ。
 そう思う。
 思うのだが。

「はよーございまーす。みっちゃん今日もお肌がバンジーしてるね~。え? ほら、絶叫をあげているっていう……っていだだだだだだだっ! みみっ! 耳がちぎれるぅぅぅ――っ!」

 馴れ馴れしすぎるのも考えものだ。
 そもそも「みっちゃん」とは名前が「みちこ」だとか「みさえ」だとかいう理由でつけられたのではない。
 あたしの名前は『大神(おおがみ)たづる』だ。
 みっちゃんとはすなわち三十路の“み”。もうすぐ三十路を迎える29歳のあたしへの皮肉を含んだ愛称なのだ。
 そして現在進行形で耳を引っ張りあげている茶髪の男子生徒の名は、花見耕平(はなみ こうへい)。
 このあだ名をつけた張本人であり、このクラスで一番やかましい生徒だ。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい大神さまぁぁぁ――っ!」
「分かればいいんだ分かれば。さっさと席につけ。SHRはじめるから」
「はいはい。まったくそんなだから三十路手前でも結婚のけの字もねえんだっつーの」
「……ふん。なるほど。上等だ。そんなにあたしの奥義が見たきゃ見せてやる」

 そう言って花見の背が黒板側にくるように回りこみ

「―――あぐっ」

 目にも止まらぬ速さでアゴを掴んだ。

「いいか、よ~く聞け花見ぃ~? あたしはな、結婚できないんじゃない。し・な・い・ん・だ!」
「ふぁ~にをまけおひみをぉ~」
「その言葉、後悔するなよ」

 クラス中が注目していることを横目で確認しつつ、ゆっくりと右腕をあげ、花見の眼前へと持っていった。
 その動作に恐れをなしたのか、花見の後頭部は自然と黒板へとついてしまう。
 そして親指の上に中指を乗せ照準を額に合わせる。
 これこそあたし、大神たづるが今まで禁じ手として封じてきた最終奥義。
 リミットを全開放したフィンガーショット。
 通称デコピンだ。

「逝ってこい花見!!」

 ――ゴスッ!!

 デコピンという名にしては凶悪すぎる効果音がクラス内に響き、花見はその場に崩れ落ちた。
 それを一瞥、いつの間にか全員そろって席に座っていることを確認し。

「さあ、次の獲物はどいつだ?」

 自分でも最高と思うほどの満面の笑みを浮かべて生徒の顔を見渡すと、皆一様に右、左と首を横に振った。
 きっとこれでみんなはひとつ学んだはずだ。
 世の中には、絶対に触れてはいけないものがあるということを。
 ああ、あたしはなんて素晴らしい教師なんだろう。
 花見の亡骸を意識的に視界の外に放置しながら、あたしは大きく頷いた。





              ■






 黒板をチョークが打つ音がクラス内に響く。
 我ながらお世辞にも丁寧とは言えない文体で黒板に書かれたのは二文字の漢字だ。
 2-Cの1時間目の授業は国語。
 自分がクラス担任であるためか、クラス内の雰囲気はどこか緊張感に欠ける……どころか、これでもかと言うほどに緩みきっている。

「あ~まだ痛ぇ」

 自分の意志とは裏腹に、40人の生徒のど真ん中に居座っている男子生徒、花見が、横へと歩いてきたあたしへとわざとらしく額を押さえながら呻いた。

「天誅だ天誅。ほら花見、あれを読んでみろ」

 右手に持った教科書を黒板に掲げてみせる。
 花見は一瞬黒板をじっと見つめた後。

「“ばしょう”だろ? みっちゃん俺をなめすぎだぜ?」
「そうだな。かの有名な松尾芭蕉の名前だ。まあこっからはプチ情報なんだが……。芭蕉という字はもうひとつの読み方がある。さて、それは何かわかるか? 花見」
「ああ~? そんなの聞いたことねえよ」
「そうだな。ヒントをあげよう。……と、その前に」

 花見の斜め左前の席にいる女子生徒へと振り返り

「あたしの授業中にお絵かきとはいい度胸だな鳥居。放課後に取りに来い」

 ノートを閉じる暇も与えぬ速さでその女子生徒、鳥居まどかからノートを取り上げた。

「えっ、あ……」

 あっという間の出来事に鳥居はぽかんとしていた。
 次いで皆に注目されているということを理解し、その頬を赤く染める。
 顔のパーツが綺麗に整っている童顔に、見るからにツヤと潤いを持ったセミロングの髪の毛。
 上級生の間では密かに人気を得ている控えめの美少女はまだこの学校に来て1ヶ月。
 あたしを甘く見ていたらしい。
 あたしがすでに自分の横を通り過ぎたからお絵かきを再会してもバレないと思ったのだろうが甘い。
 これであたしの恐ろしさを少しはわかっただろう。
 そう思っていたところに。

「あ~あ、まどか~。見つからないようにやらなきゃダメだって。それがプロってもんよ。プロ!」

 マセた小学生のような悪意のない笑みを鳥居に見せたのは、2-Cの看板娘、烏帽子田 鳴(えぼしだ めい)だ。
 誰にでも同じように接する、裏表のないいたずらっぽい笑みが印象的な少女。
 彼女はこのクラスでは言わば個々の橋渡し役。無自覚ながらも2―Cの先導役になっている。
 だがそんなクラスメイトの“フォロー”にも、鳥居はただうつむくだけだった。
 鳥居と他のクラスメイトの間には目を凝らさないと見えない、しかしそれでいて確かに頑丈な壁が作られている。
 そう思わずにはいられない。
 その見えない壁を見つつも、ノートの中身をちらりと確認してから閉じ、教壇の上へとのせて今一度花見へと視線を固定する。

「ヒントは、お前の大好きなThe worldだ」
「ざわーるどぉ~?」
「みんなもわかったら言っていいぞ」

 さあ、わかるだろうか。
 皆隣や前後の人とひそひそと話し合い始めるが、なかなか正解は出てこなかった。
 さすがにヒントが「The world」だけでは無理があったか。
 もうひとつヒントをくれてやろう。
 そう思ったときだ。

「はせを……」

 小さな声だが、確かにそう聞こえた。
 それを答えた生徒はおそらく、いや間違いない。
 鳥居まどかだ。

「そう! あの超有名プレイヤー、ハセヲだ! The worldをやってない人でもニュースにもなったから一度くらいは聞いたことがあるだろう。『はせを』ってのは芭蕉の別称なんだよ。ま、彼の名前の由来が芭蕉からきているのかはわからないがな。……それにしてもよくわかったな鳥居。」
「あの、じゃあご褒美にあのノート、返してください……」

 なんとかそう言い終えた鳥居はすでにあたしの顔を直視しておらず俯いていた。
 そして代わりに向けられたのは右手だ。
 正直かなりびっくりした。
 こんなことをすればさらに注目されることは必至。
 元より注目されることに喜びを感じる2年C組一のおめでた男、花見ならともかく、目立つことを恥ずかしがっていた鳥居がこんな行動に出るとは思いもよらなかった。
 今は教壇の上に置いてあるあのノート。それほどまでに見られたくないのだろうか。
 クラス中が見守る中、鳥居は腕を下ろそうとはしなかった。
さて、どうしたものか。
 しばし考え。

「やだ」

 あたしはそう答えた。

「え……?」

 当然、鳥居はあたしの顔を仰ぎ見る。
 ここまでしたのだから返してくれるはず。そう思っていたのだろう。
 だが甘い。つくづく甘い。

「あたしの授業中に関係のないことをした罪はそう簡単には償えないぞ。さっき言ったとおり、放課後に取りに来い」
「そんな――っ」
「ちなみに」

 無理矢理さえぎり、告げた。

「以前あたしの授業中にマンガを読んでいた花見はマンガを取り戻すために1時間、あたしの肩揉みをしたわけだが……」
「・・・」
「肩揉み、したいか?」

 ぶんぶんと勢いよくかぶりを振る鳥居。
 よし、いい子だ。これでまたひとつ学習できたはずだ。
 さて、じゃあそろそろ授業に戻るか。
 そう思って口を開いたと同時

 ――キーン、コーン、カーン、コーン

「あー、無駄話が過ぎたな。……まいっか。じゃあ今日はここまで。委員長」
「きりーっつ、れー」
「じゃ、鳥居、放課後なー。あっと、そうだ。今日は遅い時間まで職員室にいるから、来るのはいつでもいいぞ」

 どこか不安げにこちらを見つめる鳥居の顔を脳裏に焼き付けながら、教室を後にした。





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