とある田舎の喫茶店

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蓮華草が咲く時―2




全校生徒対象生活調査アンケート
 アンケート事項は、学校生活は楽しいか、などのありきたりな質問からはじまり、趣味、好きなテレビ番組は、など50項目にまで及んでいる。
 なんでもこのアンケート。いじめ、傷害などの少年犯罪が多い昨今を危惧しての対応らしい。
 最近の生徒の風潮を知り、問題となりうるものがあれば早急に対策を練るという目的で実施されたのだ。
 クラス担任は自分のクラスの分をまとめるように言われているため、あたしもこうして放課後にノートパソコンと向き合っているというわけだ。

「えーと、次は……花見か……」

 その独特で雑な文体から一発で彼だとわかる。
 とりあえず花見のアンケートに目を通してみよう。

 ―――――――――――――――――――――――――――
 氏名:みっちゃん

 1、学校生活は楽しいですか?

  結婚できればもっと楽しくなれるかも!!
 ―――――――――――――――――――――――――――

 即座にぐしゃぐしゃに丸めた。そしてそのままゴミ箱へシュート。
 決まった。さらば花見のアンケート。悪いがお前はいなかったことにしてもらう。
 そのまま次の教え子のアンケートへと移っていく。
 3分の1ほど終わったところで、ふいに斜め後ろから声がかかった。

「あれ~? 大神先生、この絵、うまいですね~」

 振り返れば波多野先生が、あたしのデスクに広げて置いてあるノートを見て目を丸くしていた。

「ああ、それ書いたのはあたしじゃないよ。あたしのクラスの鳥居だ」
「へぇ~。鳥居さんってこんな才能あったんだあ~」

 それには同感だ。
 そのノートに目を落とせば、そこにはとある“武器”が鉛筆で描かれていた。
 鉛筆だけでこうも上手く描けるものなのかと驚いてしまうほどに、その武器、双剣の絵は見事だった。
 美術部だからこそこんな絵が描けるのだろう。ある箇所は力強く、またある箇所は繊細なタッチで描かれている。
 素人のあたしにはどこをどのようにして描いたのかがさっぱりわからない。
 双剣の刃は舞い落ちる花びらを細長くしたような形で、シンプルゆえに双剣の美しさが際立っている。
 鉛筆のみでこれほどの存在感を醸し出しているのだから、色がつけばさらに魅力的な絵になるに違いない。
 絵の左上にはこの双剣の名前なのだろうか。
 『紫雲英』と書かれていた。

「波多野先生、これ読めるか?」
「うーん、と……しばくもえい?」
「なんの捻りもない答えをありがとう。そして紫(むらさき)を柴(しば)と読んだ君に乾杯だ。ハナからアテにしてなかったが……ドンマイ、波多野先生」
「お、落ち込んでもいないのになぐさめないでください!」

 そう言いながら必死に詰め寄ってくる波多野先生に対し、内心で「あいからわずおもしろい人だな」と思いつつ、彼女の言葉を右耳から左耳へとスルーさせる。

「あーっと、波多野先生、あたしはそろそろアンケートの集計に戻りたいんだ。邪魔だからどっか行ってくれるか?」
「ひ、ひどいっ! 大神先生のばかぁ~! そんなだから結婚できないんですよ~!」
「余計なお世話だ!」

 あたしの声が聞こえていたのか聞こえていなかったのか、波多野先生は失恋した乙女よろしく指で目元をぬぐいながら職員室から出ていった。
 予想以上にリアクションが大きかったのも気になるがもうひとつ。

「どこへ行く。波多野広美」

 今は放課後。数学の教材を持っていったい何処へ行ったのだろう。

「まあいいや。そのうちふらっと帰ってくるだろ」

 自分でそう言っておきながらしばし思考。

「まるで猫だな……」

 今度水の入ったペットボトルを目の前でちらつかせてみようか。
 もしかしたら「フギャー」とか言いながら逃げるかもしれない。
 ネコ缶を机の上に置いておくのもいいなと思いつつ、アンケートの集計作業へと戻った。
 ふざけた内容が多々あるが、いい加減それも慣れたのでそつなくこなしてゆく。
 3,4人終わったところで、その生徒の番が来た。
 鳥居まどか。
 他の女子のような丸文字とは違う、書道の段位でも持っていそうなほどに綺麗な字を目で追っていくと、その言葉にたどり着いた。

「やっぱりか……」

 趣味の質問の答えに、それは書かれていた。
 『絵を描くこと』
 そして
 『The world』と。

 女の子が描く絵として、武器というのは異質すぎる。
 彼女が双剣を描いた理由として真っ先に思いつくのは、やはり中高生の間ではぶっちぎりの人気を誇るオンラインゲーム、『The world R:2』だろう。
 最近の子供、その半分以上がThe worldをプレイしているという状況を踏まえて考えれば、意外、と言うのはナンセンスなのかもしれない。
 しかしそれでもなお意外だと思ってしまう。
 それはやはりあの鳥居まどかだからだ。
 授業はちゃんと聞いて、成績にも現れている。
 大人しい性格で、普段は積極的に話そうとしない。
 そんな彼女とゲームというものが結びつかないのだ。

「……やばい。こういう考えってなんかおばさんくさいかも」

 自らの言葉にダメージを負って机に突っ伏した時。

「大神先生」
「んあ? おお、鳥居か。あのノートか?」

 鳥居まどかがそこにいた。
 自然体でぴっと背筋が伸びている彼女を見ていると、計り切れないという思いがどこからともなく湧いてくる。
 小さくうなずいた彼女はあたしの机の上に置いてあるノートを見つけ、そのまま視線をあたしへと移した。

「……見たんですか?」
「ああ。それにしてもお前、絵上手いんだな~。びっくりしたぞ」
「え、いや、その……あれです。一応、美術部ですから」

 照れくさそうに笑顔を見せる彼女を見て思う。
 こりゃ上級生にモテるわけだ。
 彼女はいつでも自然体で、飾らない可愛らしさというものがあるのだ。
 ここまで無意識に可愛らしさを振りまく女の子というのも珍しい。

「そういやさ、これ、なんて読むんだ? 双剣の名前か?」
「はい、“げんげ”って読むんです。花の名前なんですよ」
「あ、なるほど。どおりで国語教師のあたしでも読めないわけだ」
「あ……」

 思わず鳥居の口から声がもれた。
 それを聞き逃すあたしじゃない。

「くく、お前今、そういえば国語教師だった、って思っただろ?」
「えっ、い、いや! その……」
「あはははっ、そんな焦んなって。別に責めてるわけじゃあないんだからさ。それはそうと。お前The worldやってんのか?」
「はい。やっぱりそれ見ればわかりますよね」
「そりゃあな。つかアンケートにも書いてあったし」
「あ……」

 どこまで真っ直ぐなやつなんだ。あたしが見るということにまったく考えつかなかったのか。
 なんというか、本当に珍しい子だ。彼女も波多野先生と同じ希少種と呼ばれる人種なのかもしれない。

「あたしもさ、The worldやってんだ。“タヅル”って名前でな」
「たづる……本名でプレイしているんですね」

 なにげなく言った鳥居の一言が、あたしの心を震わせた。
 素早く腕を伸ばして鳥居の両肩を掴む。

「鳥居! お前まさかあたしの本名を覚えてくれていたのか!?」
「え!? は、はい……」
「うあー、先生感動だよ~。もう諦めてたからさぁ~」
「えっと、なにがですか?」

 わけがわからないのも無理はないだろう。
 だけどこれはあたしにとっては感涙してもいいくらいのことなのだ。

「聞いてくれよ鳥居ぃ~。お前が転校してくる前にな、ウチのクラスのやつらにあたしがThe worldで“タヅル”って名前でプレイしているって言ったんだよ。そしたらみんななんて言ったと思う?」
「さ、さあ……」
「『どういう意味?』って言ったんだぞ! みーんな同じように首かしげながら! どういう意味ってなんだ! 由来か!? それは名前の由来を聞いているのか!? ……そうだよ……みーんなあたしの下の名前を覚えてなかったんだよ。あのときは泣きたくなったね。マジで」
「そ、それはお気の毒に……」

 そう言ってから困ったような顔を向けてくる鳥居。
 いかん。教え子に泣きつくとはなにをやっているんだあたしは。
 慌てて鳥居の肩から手を離した。

「悪い……つい興奮しちまった。いや、なにしろ変わり者が集まったクラスだからなぁ。なにかと気苦労が絶えなくてな……」
「変わり者、ですか……」

 そう言ったあと、鳥居は視線を右上に持っていった。
 たぶんクラスの連中のことをひとりひとり思い出しているのだろう
 そしてあたしの言葉の意味を理解したのか、「あはは」と短くひきつりながら笑みを浮かべた。
 しかしだ。そんな他人事のように考えていてはいつまで経ってもクラスに馴染めるわけがない。

「ま、心配するな。お前も十分変わり者の部類に入っているから」
「……どういうふうに変わっているのかよくわからないんですけど」
「変わり者は皆そう言うんだよ。ま、そういうわけだからはい、ノート返すわ。これからはあたしの授業では絵描くなよ」
「……他の先生の授業ではいいんですか?」
「ん、見つからないようにしろよ。あ、そだ。もしThe worldであたしを見かけたら一声かけてやってくれ」

 あたしがにかっと笑いながらそう言うと、鳥居は軽くお辞儀をしただけでノートを抱えながら職員室から出て行ってしまった。

「……なかなかガードが固いな……」

 The worldの話ならばちっとはガードが薄くなると思ったのだが一筋縄ではいかないらしい。
 だがいくつか穴を開けることはできた。無論本人は気づいていないだろうが。
 後はいかにしてその穴をこじ開けていくかだが……。
 どうしようか策を練ろうとした矢先に、そいつは来た。

「ふわ~ん、大神せんせぇ~聞いてくださいよぉ~。美味しい匂いにつられて家庭科室まで行ったら、料理研究部のみなさんがクッキー焼いていたので味見したんです。そしたら手が止まらなくて、半分以上食べちゃって、そしたらそしたらすっごく怒られちゃったんですよ~? あんなに怒ることないのに。ひどくないですか~?」
「ああ、ひどいな。この短時間で生徒の楽しみを台無しにしてくるとは。さすが波多野先生だ。見直したぞ」
「ほえ? そうですかぁ? えへへ~」

 ……ここまでくるともはや天然記念物ものだ。この人が教師になれただけでも驚きだが数学教師というのもさらに驚きだ。
 もしかして中学の授業で九九を教えているわけじゃないだろうな。ものすごく不安だ。
 まあそれは置いといて。

「波多野先生」
「はい?」
「今すぐ料理研究部に謝りに行ってきなさい」
「ええ~」

 駄々をこねやがった。この人は本気で自分のしたことを悪いとは思っていないらしい。
 いや、正確に言えば理解できていないのだろう。
 食べ物には目がない人だから食欲が増加するのと引き換えに理性が低下するのかもしれない。いわゆる本能というやつだ。

「波多野先生」
「なんですかぁ~」

 手招きをして、首をかしげながら耳をこちらへと近づける波多野先生に。

「今すぐ謝ってこい!!」
「にゃぁー!」

 大声をあげると脱兎のごとく駆けていった。いや、脱猫……?
 それにしても本当に「にゃー」と言ってくれるとは。期待を裏切らない人だ。
 よし決めた。

「今度ネコ缶買ってこようっと」


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