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とある田舎の喫茶店
蓮華草が咲く時―3
子供のころに見たアニメに出てきたサングラス男が、狂ったように悦に浸りながら言っていた言葉を思い出す。
「まるで人がゴミのようだ」
言って、さすがに言葉が汚すぎたかと思った。
だがこうして街を行き交う無数の人々を階段の最上段から見下ろしていると、そんな思いを巡らせても致し方ないことだとも思う。
悠久の古都マク・アヌ
この街は他の街とは違う。
初心者が初めに訪れる街のため人の声は静まることを知らず、そのためその初心者たちを標的としたギルドショップが数多く出店され、さらにそれらを求めて冒険者たちがこの街に集う。
さらに初心者にとって、武器や防具などのアイテムの情報は、その経験の浅さから上級者と比べてより必要とされている。
つまり、情報通のPCがいる可能性が高く、情報収集をするにはうってつけの街だということだ。
その情報通の中の一人、とある分野の情報に秀でている一人のPCに会うために、あたしはこの街のとあるギルドショップへと赴いていた。
「よお、バング。あいかわらずヒゲが似合ってねえな」
「おお、タヅルか。あいかわらず品の欠片もねえ」
大きな歯を覗かせながら豪快な笑みをつくったのは、大男と言うにふさわしい鼻のしたにダンディな髭を生やしたPCだ。
「品なんかいらないさ。欲しいのは情報だ」
「情報? おいおいタヅル。俺がここにいる理由を言ってみろ」
「ギルドショップの店番だろ? あんたは武器を専門に扱っているギルド『座敷童子(ざしきわらし)』のギルドマスターだ。武器のことはバングに聞け。それがあたしの中でのマニュアルだ」
「そりゃ光栄なこった。商品の一つでも買ってくれりゃあ花丸あげたいところなんだがな」
商品である剣を布で磨きながらバングは言った。
その手にしている剣はおそらく相当の価値があるものだろう。
バングはこのThe worldを始めて間もないころに知り合った旧友で、もとより武器コレクターだった。
それが転じて武器を専門に扱う商業ギルドを創設し、今では20人ほどのメンバーが在籍するに至っている。
あたしが知る限りでは武器の情報に関しては、この男の右に出るものはそうはいない。
「なあ、あんた“げんげ”って知っているか?」
バングの横顔を見ながらそう聞くと、バングはいぶかしげな顔をあたしへと向けた。
「“げんげ”ってあれか。紫雲英のことか?」
「知っているのか。どんな武器なんだ?」
「あーっとちょっと待て。えーと、なんだっけな……。ああ、そうだ、思い出した。あいつはかなりレアな双剣だ。そう簡単に手に入るものじゃあない」
そのいかめしい顔には似合わないやたらと上品なヒゲを手で撫でつつバングはそう言った。
武器の名前を言うだけでこの男の頭からはその情報がすらすら出てくる。
大雑把な性格をしていそうな男だがその記憶力は目を見張るものがある。
「俺も一度だけ見たことがあるが……そうだな。綺麗な双剣だった。紫色と白色がグラデーションになっている花びらみたいな形だ」
放課後に見た鳥居の絵を思い出す。
鉛筆のみを使った絵だったため色はわからなかったが、たしかに花びらみたいな形だった。
紫色と白色というのもあの形にはよく合っているように思える。
純粋にその双剣を見てみたいという気持ちが湧いてくる。それほどにわかりやすく魅力のある双剣なのだろう。
「他の情報っていうと……。そうだな、紫雲英ってのは花の名前だ」
「それは知っている」
これも鳥居から聞いた話だ。
しかし「げんげ」なんていう花は聞いたことがなかった。
よほど珍しい花なのだろうか。
そう思っていたが、次のバング言葉でその疑問は氷解した。
「じゃあこれは知っているか? 紫雲英ってのは蓮華草(れんげそう)の別称だ。花の色は紫色と白色。おそらくこの花にちなんだカラーリングになっているんだろう」
「そうだったのか。なるほど、蓮華草か……」
「それともうひとつ。最近になってよもやまBBSのThe world板で話題になっているPCがいるんだ。そいつが使っている武器が紫雲英らしい」
「……なに? 」
「そのPC、名前が“蓮華”って言ってな。PC名と武器の名前が同じとはまた洒落が効いていると思うだろ? なんでもその蓮華とか言うPC。何人ものPKに目ぇつけられてはことごとく返り討ちにしているって話だ。その強さが半端じゃないらしい。中にはあの死の恐怖につぐPKKだって話もある」
「あの死の恐怖の? そりゃ大袈裟すぎるだろ」
さすがに死の恐怖に次ぐというのはない気がする。
あいつは別格だ。というよりもこのThe world最強と言っても言いすぎではないだろう。
とにかく、そのPCがどれだけ強くてもあの領域にまで行っているとは思えない。
「ま、そうだろうな。おおかたファンが言ったんだろう。でもその強さは本物らしい。なにしろあのファーマイルを返り討ちにしたって話だからな」
「ファーマイルってあのファーマイルか。アホナルシストとして有名な」
ファーマイルというのはそこそこ名の売れているPKのことだ。
ドがつくほどのナルシストで、出会うとまず長々と自画自賛をはじめるらしい。
そしてうんざりして立ち去ろうとしたり、話をさえぎったりするとキルしてくるといういろんな意味で面倒くさい相手なのだそうだ。
「実力は確かにある奴なんだがな……。他にも噂を聞きつけて粘着質で有名な火糸須(かしす)も蓮華に挑んで返り討ちにあっているらしい」
「火糸須もかよっ!? そりゃあたいした奴だな……」
「その蓮華ってやつを追うつもりなら気をつけろよ。火の粉をかぶるかもしれねえ」
「ああ、肝に銘じておくよ。ありがとな」
バングからはそれ以上の情報を得ることはできず、あたしはショップを後にした。
「蓮華、か……」
その姿を想像上に思い浮かべる。
だが情報が少なすぎる今、その姿は曇りガラス越しに見ているかのように、ぼんやりと写るだけだ。
「さて、まずどこから手をつけるか……」
一度あたりをグルリと見回し、あたしはカオスゲートへと向かっていった。
■
BBSを読んでいるとすぐにそれは見つかった。
『蓮華草を摘む者より』
明日の午後7時にΔ 苦悶する 友愛の 戦巫女 に来い。
次こそは必ずや血祭りにあげてやる。
来なかった場合は貴様の知り合いが身代わりになるということを忘れるな。
読み終わって、胸にもやもやした気持ち悪いものを感じた。
身代わり……半ば、いやそれ以上の強制をさせる言葉だ。
この書き込みをした奴はよほど心が汚いらしい。
少なくとも、そういうロールをしていることは間違いない。
「Δ 苦悶する 友愛の 戦巫女……」
つぶやきながら手元のメモ帳へとエリアワードを書き、時計を見た。
「6時50分……」
この書き込みがあったのは昨日。
つまり後10分でその時間になる。
なんの因果か。それともただの偶然か。
どちらにしても。
「見に行ってみるか……」
■
Δ 苦悶する 友愛の 戦巫女
草原のフィールドに降り立つと、すぐにそれが目に入った。
20人ほどの人だかり。
よく見れば一人のPCを他の者が取り囲んでいるのがわかった。
そのPCは、他の者たちとは明らかにまとっている雰囲気が違っていた。
一番長くて肩口まである髪の毛は空気に浮いているようにふわりとしていて、それでいて女々しさを感じさせないほどにさっぱりとしている。
いや、その雰囲気は髪の毛からくるものじゃない。
彼女を構築している全てがそう思わせているのだ。
あまり目立たない鎖帷子は彼女の引き締まった身体を強調しており、その上に羽織っている細かい刺繍の入った服は自然体からくる気品さが表れている。
そして部分的に布で覆っている手のひらと甲からは、その手に“あの武器”が収まるであろうことが容易に想像できた。
中心にいるそのPC以外の者は皆、その手にそれぞれの獲物を手にしている。
「リンチ、か……」
反吐が出る。
あんな書き込みをBBSですれば、ここにいる人数ほどのPKは簡単に集まる。
書き込みをした者はこう言えるのだ。
自分は一対一を望んでいた。他の奴らは勝手に来てしまったのだ。だからしかたないじゃないか。
そう言って、ニヤケ面を浮かべながら哀れな子羊をいたぶるのだ。
今まであたしはそんな光景を何度も見てきた。
だから今からこの場所も、目を背けたくなる惨状になる。
あたしはそう思っていたのだ。
それを目の当たりにするまでは。
突如、PKたちの間から漏れた閃光が、あたしの意識を覚醒させた。
その光源は群がりの中心にいるPCの腰のあたり。
刹那、突風が巻き起こった。
否、そのPC―――双剣『紫雲英』を携えた蓮華が、なんの予備動作もなく突然その姿を消したのだ。
「―――!?」
その場にいる誰もが目を見開いてしまうほどの、あまりにも桁外れの速さだった。
「は――っ!」
はじめから標的を決めていたのだと分かる一切の気の迷いのない動き。
彼女は短く息を吐きながら円の外側にいる呪療士の男へと一瞬で詰め寄り、双剣を躊躇することなく薙いだ。
刃の軌跡をPKたちの網膜に焼き付けると同時、呪療士が膝を折るよりも早く、彼女は身を低くして更なる標的へと風のように駆ける。
数瞬後には、女魔導士の首が飛んでいた。
「あ……」
断末魔と言うにはあまりにもか細い声が魔導士の口から漏れ、その身を横たえさせる。
直後の身体が倒れる音に、甲高い金属音が重なった。
ここでやっとPKたちは反撃をすることへ思い至ったのだ。
「……っ、てめえらぼおっとしてんじゃねえよ! ブチ殺せ!」
だれかが言った言葉で、PKたちから一斉に怒号が響きわたった。
それぞれが今一度獲物を構えなおし、自分たち狼の獲物、兎であるはずの“そいつ”を蹂躙すべく襲い掛かる。
だが彼らは履き違えていた。
彼らが追っているのは兎などではない。
今彼らの周りを縦横無尽に駆けているそいつは、その動きに誰もが恐怖し、絶望する海の狩人“鮫”だ。
彼らが陸上で群れをつくる狼だとしても、この広大な草原は相手にとってすれば自分のフィールドである大海原。
絶海に自ら飛び込んだ狼たちの行く末はひとつ。
その幾重にも生えている鋭利な歯に、噛み砕かれるのみだ。
あたしは無意識に息を呑んでいた。
遠くから見ていると、それはまるで出来の悪いアクション映画を見ているかのようだった。
何かがPCたちの間を抜けたかと思った瞬間、視界の隅にいた一人が膝を地面へと着けているのだ。
その“何か”は電光石火のごとく、PKたちの間を疾駆していく。
「てめ――」
PKの中の誰かが言った言葉は、最後まで耳に届くことはなかった。
聴力を支配しているのはPKたちの嘲笑ではない。
戸惑いと恐怖の入り混じった怒号。そして休むことなく聞こえる剣戟音だ。
さまざまな雑音が響きわたる中で、ひとつだけ、脳髄を直接刺激しているかのような甲高い金属音だけが、際限なく届いてくるのに気づいた。
そして同時に理解する。
理解せざるを得なかった。
双剣だ。
これは紫と白のツートンカラーで色づけされた双剣が発している音だ。
眼をこらせばそれをより理解することができる。
魔導士が放つ魔法が爆発音を響かせながら地面を抉る中で、撃剣士が振るう大剣が大気をも叩き斬らんばかりの轟音を立てる中で、そいつはなおも動き続けていた。
“それ”だけがコマ送りされているかのような異様な光景だった。
カマイタチのように視界の中を飛び回るそいつをPKたちが捕らえることは不可能だ。
そう言い切れるほどの圧倒的な差。
“そいつ”があたしの視線を動かすたびに、刃の走る音とPKたちが“斬られる”音が響く。
そして一人、また一人とその身を地面へと伏せてゆくのだ。
それを成した存在をはっきりと認識できないためか、あたしにとっては驚きというよりも、すごいのかすごくないのかよくわからない芸を見せられた観客のような面持ちでいることしかできなかった。
だがふいに、自分の身体が意思とは関係なく何かを察知したことに、あたしは気づいた。
――同時。
「―――っはあっ――!」
あたしは反射的に、背から大剣を出現させ振り下ろしていた。
直後、耳をつんざく甲高い音が聴覚を支配する。
激しい耳鳴りを無視して視覚を頼ったあたしが目にしたのは、迸る火花と、こちらを射殺そうとしているかのような鋭い眼光だった。
直感的にやばいと理解できるほどの溢れ出る殺気。
相手はあたしとは別次元にいる。
それを直感的に理解してしまってもなお、あたしはここで意味もなくやられてたまるかと瞬時に思考、行動に移した。
「てぇぇりゃぁぁああああ―――っ!!」
大剣を力まかせに前方へと押しやり、そのまま地面を割り砕いた。
なにもかもを押しつぶさんばかりのあたしの攻撃を、相手はバックステップすることでいとも簡単に回避する。
だがそれは予想通り。
大地にめり込んでいる大剣をそのままに、身体を前方へと投げ出し、後方へと移動している大剣を再び振りかぶり、今度は遠心力をフルに生かして振り下ろした。
さきほどよりも破壊力のある一撃が、大気を裂き、うなりをあげる。
「―――っ」
だが当たらない。
こちらの追撃を相手に届かせるのは相手のスピードからして不可能だった。
しかしこれでいい。
一言話せるだけの距離は開いた。
相手がバックステップの着地からくる反動を利用してこちらへと飛び出す前に、あたしは手の平を前に突き出し叫んだ。
「待ちやがれ鳥居!」
ピタリと、相手――PKKの蓮華は動きを止めた。
同時に目を丸くさせ、その口から。
「お、大神先生―――!?」
すっとんきょうな声が出た。
「ったくいきなり襲いかかってきやがって……」
「その声……やっぱり大神先生だ……」
さきほどの蓮華とは別人かと思えてしまうほどに、肌を焼くような殺気は雲散霧消していた。
今目の前にいるのはPKKの蓮華というPCを使った教え子の少女だ。
名高いPKを返り討ちにしたPKKの面影はどこにもない。
あたしは大剣をしまい、辺りを見回した。
ここでやっと、あたしは気がついた。
目の前の、よく見ればあどけなさの残る少女が、あれほどいたPKたちを全滅させたということに。
まさに神速と言うにふさわしいと思われたPKKの蓮華は、今や記憶の彼方。
双剣をだらんとおろしてフリーズしている彼女へと、ゆっくりと歩み寄った。
「マジで死んだと思ったよ。鳥居」
「え、あ、すみません」
未だ状況を把握できていないのか、鳥居はただただ反射的にそう言った。
そんな教え子の意識を覚醒させてやるため、デコピンを軽く一発、叩き込む。
「あうっ」
「お前が混乱するのも無理はない。順を追って説明するからとりあえずマク・アヌに行こうや。ここにいたらまたPKが来るかもしれねえ」
「あ、はい。わかりました」
意外にも素直に返事をした鳥居とともに、あたしはマク・アヌへと舞い戻った。
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