とある田舎の喫茶店

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蓮華草が咲く時―6





 なんでこうなったのかなんてわからない。
 だけどこれだけは言えた。
 今考えるべきはなぜこうなったかじゃない。どうやって現状を打開するかだ。
 目の前には40人はいるであろうPKの集団。
 斬刀士、撃剣士、魔導士、呪療士、拳闘士、鎌闘士、妖扇士。
 全てのジョブのPKたちが揃いも揃ってこちらへと下卑た笑みを向けてきている。

「蓮華……」

 後ろからの怯えた声を出すミンクをかばうように後ろへ追いやる。
 最悪のタイミングだ。
 こうならないように今までミンクとエリアに出るときは気をつけていたのに。
 まだ風邪が治りきっていなくて失念していたのだろうか。
 そんな自分に思わず舌打ちをしたくなる。
 なにがもう大丈夫だよ、だ。

「……」

 PKたちへ身体を向けたまま視線を巡らしてみる。
 PKたちはどれも大して名の知れた者ではない。
 40人というのは今まで戦ってきた中でも格別に多い人数だ。
 しかしこの数的有利に立ちこちらをいたぶることしか考えていないPKたちと、己の実力を踏まえて考えれば……。
 勝てない相手ではない。
 そう思って――――愕然とした。

「―――っ」

 反射的に振り返り見れば、そこにはこの状況においてはあまりにも儚い存在である、友達がいた。

 ――無理だ。ミンクを守りながら闘うなんて。

 彼は、死なせられない。
 人に殺されるなんて、彼に味わわせてはいけない。
 そんなことになれば、彼の心は折れかねない。
 ならばミンクだけでもなんとか逃がすことができれば。
 マップを表示して――絶望に追い込まれた。

 ――逃げ道が、ない

 後ろは行き止まり。プラットホームはPKたちの後方にひとつ。
 まさに袋の鼠。
 あの重圧な戦線を、ミンクを守りながら越えるなどどう考えても不可能だった。

 ――どうすれば。どうすればいい!?

 思考を巡らそうとするも、その暇を奴らは与えてはくれなかった。

「今日はピクニックかい? PKKの蓮華さんよお」

 PKたちの一番前にいる一人のPCが、あからさまに上からの目線で、そう言った。
 おそらく彼が今回の首謀者だろう。
 うろ覚えだが、前に返り討ちにしたPKの中にいたような記憶がある。
 彼の言葉に仲間のPKたちから嘲笑があがった。
 耳障りだ。そう思ったが理性が口をつぐませた。
 ここで憎まれ口を開くのは得策じゃない。

「……」

 触発しないように沈黙すると、相手は面白くなさそうに唾を吐き捨てた。

「おいおい、反応悪いぜ~? それともあれか? この人数見てビビっちゃったのかな~?」
「―――っ」

 思わず歯軋りをする。
 相手はミンクのことを分かっていながらあえて言わないのだ。
 こちらがどう出るかを楽しんでいるのだ。
 なんて趣味の悪い。
 そう思わずにはいられないほどに、視界に入っている男に苛立ちを覚える。

「ま、だんまりしててもそのうち嫌でも声を出すことになるさ」

 そう言ったPKはおもむろに己が持つ片手剣を嘗め回すように眺めてから、その濁りきった目をこちらへと向けた。

「さあ、ショータイムの時間だ。全ては予定通りに」

 静かに後方のPKたちへとそう言って。

「ブチ殺すぜぇぇええええ!」

咆哮をあげながら、醜い笑みを浮かべた。







                       ■






 時間は刻一刻と削られていた。
 メンバーアドレス欄からその人間たちを集めるには、相当の時間を要した。
 なにしろ、いなければしょうがないというわけではなく、ログインしていなければリアルを通じて伝達し、呼び出していたからだ。
 PKたちが蓮華の跡を追ってエリアへと飛んだのは今からおよそ15分前。
 蓮華と少年の二人がエリアへ行った時間と、PKたちがエリアへ行った時間を考えれば、両者が相見えるにはタイムラグがあるはずだった。
 だがその時間もすでになくなっている。
 PKたちは40人はいたはずだ。
 ならばこちらもそれ相応の人数を用意しなければ、行っても血祭りにあげられる者を増やすだけ。
 万全を期して行く必要があった。
 しかし。

「くそっ、まだ20人程度しか集まっていないのか」

 カオスゲートドームにはまだ半分ほどしか集まっていない。
 呼び出している以上、その者たちは何があっても来る。その確信はあった。
 だがいかんせん時間がなさすぎる。
 このままでは手遅れになる。それでは意味がない。
 ならば。

「しょうがない。この人数で行く。メイ、まだ来ていない奴らはどうなってる?」

 傍らにいる長い黒髪の踊り子のような色彩豊かな格好をした少女へと顔を向けた。

「今全員に連絡した。残り18人中17人からは連絡が来てみんなすぐに行くって。エリアワードも伝えておいた。残りはこうへ……魁那(かいな)だけだけど……あ、ちょい待ち。今来た。…………あのバカ、今学校にいるって」
「学校? 今日は休みだぞ」
「だから、そういうことよ」
「ああ、なるほど。あいつらしい。連絡は携帯か?」
「ううん、ショートメールで。M2D持ってるって。さっきまでエリアで昼寝していたらしいよ。ほら、来たみたい」

 メイにうながされてカオスゲートを見ると、ちょうど一人のPCが転送されてきたところだった。

「待たせたな! しかしもう安心しろ。この魁那が来たからにはPKどもなどひとひね」
「よし! 他のやつらはなるべく早く来るように伝えてくれ。じゃあみんな! 行くぞ!」

 茶髪の少年をいつものように軽く受け流し、皆を見渡した。
 その目はどれも決意に満ち満ちている。絶対に友達を助ける。
 口を開かずとも、皆一様にそう言っていた。
 なんて素晴らしく青臭い連中なんだ。
 そう思いながら口元を吊り上げて見せた。
 なんだかんだ言って、こんな教え子を持った自分は幸せなのだろう。
 そしてこの幸せをまだ自覚できていない不幸な奴の目を、今から覚ましに行くのだ。
 カオスゲートにエリアワードを入力して、一番先に己の身体をワープさせた。






              ■








 ――私は、どうすればいいのだろうか。

 身体が踊る。少女の意志とは反して。

 狂喜の笑みを顔に貼り付けた者たちの刃に、蓮華の身体はただひたすら蹂躙されていた。
 右に、左に、まるで起き上がりこぼしのように、倒れそうになったら反対から斬りつける。
 倒れても無理矢理立たされ、再びリンチが繰り広げられる。
 HPが0になりかけても、すぐに回復されて、同じことが繰り返される。
 そんなことがずっと続けられていた。

 ――いったい、どうすればいいのだろう。

 ガリッと何か音がした。
 剣戟音ではない。
 少女は自身の身体が振り回される中で視線を巡らしてみるが、映るのは嬉々として獲物を振るうPKたちだけで、その音を発した様子の者はいない。
 しばし考えて、気づいた。
 歯軋り。
 今のは自分の歯軋りの音なのだと。

「ザマァねえな! 蓮華さんよお!」

 少女の耳に忌々しい声が届き、彼女は反射的に顔をしかめた。
 途端にその頬に拳が突き刺さる。

「ほらほらほらぁ! なんとか言ってみろよ!」
「―――っ」

 もんどりうったところに、男の蹴りが少女の腹に入った。
 悶絶して思わず嗚咽が漏れるが、少女はなんとか口をつぐむ。

「蓮華!!」

 耳に届く友達の、ミンクの声だけが少女を保たせる。

「ハッ、ファーマイルを倒した強者も大したことねえなあ!」

 アゴを持たれ、その腹に拳が突き刺さった。

「―――ガァッ!」

 身体が一瞬中に浮くほどの衝撃に、たまらず息をもらす。
 だが、どれだけ斬りつけられても、どれだけ殴られても、決して屈しない。
 決して悲鳴は出さない。
 悲鳴を出しても、こいつらが喜ぶだけだ。
 少女はそれを頭の中で何度も何度も反芻して、声を出さないように堪える。
 もう何度目かわからない。糸が切れたマリオネットのように身体を地面へと横たえさせた。
 その背中に男の足が乗り、グリグリと踏みつけられる。

「あーあー、もろいもんだね~。そんなに大切なんか? あのガキが」
「キャハハハッ、人質取るなんてほんと落葉(らくよう)って極悪だよね~w」

 腕を持って無理矢理立たせられた少女は、ぼやけた視界の先に、PKに羽交い絞めにされているミンクを見つけた。

「ミン、く……」
「蓮華! 蓮華!! もういいから……ボクのためにやられなくていいからぁ! 蓮華ってばぁ!」

 ひたすら自分の名前を呼ぶミンクに、少女は何も答えることができなかった。
 口が聞けなかったわけじゃない。
 あまりの自分のふがいなさに、何も言えなかったのだ。

「まったく、あのガキもたまったもんじゃねえよな。てめえなんかと付き合ったばっかりにこんな目にあってやがる」
「―――っ!」

 その言葉の重みは、少女の心を揺らすには十分すぎた。

「てめえのせいなんだよ。なにもかもな。お前は無力だ。あのガキ一人守ることすらできねえ」
「わた、しは……」

 男の言葉を否定したくても、少女は否定できなかった。
 PKという最低の行為をしている人間の言葉など、全てを否定できると思っていたのに、それができなかった。
 同時に、その事実に愕然とした。

「それをどこで勘違いしたのかPKに喧嘩売るようなことしやがって。正義の味方にでもなったつもりか? アホくせえ。てめえを必要としてるやつなんか存在しねえんだよ。あそこにいるガキでさえもだ。この状況を見てみろ。お前のせいであのガキはこれに巻き込まれてんだぞ?」
「わたしの……せい……」

 無意識に男の言葉を反芻する。
 男の言葉は、少女の心に土足であがりこみ、踏み荒らしてゆく。

「そうだよ。てめえのせいだ。てめえは罪なんだよ。この世界にいちゃいけねえんだ」

 ――いちゃ、いけない……?

 少女の心に作られていた頑丈であるはずの壁に亀裂が入る。
 だがこれは少女にとってはじめて感じるものではなかった。
 まだ記憶に新しい、忌まわしい感覚。
 少女の心の壁に入った亀裂は確実に深さを増してゆき、同時に恐怖を湧きあがらせる。
 それは理性で抑えるにはどうしようもなく、乱暴な勢いで。

 ――私は……罪……?

 それは、少女にとっては忌まわしい記憶。

「お前は誰からも望まれてなんかいねえ。いい加減それに気づけよ、バカが」

 ――私は……誰にも望まれていない?

 今まで幾度となく心を壊しかけてきた呪いの言葉。その一片。

「お前はな、この世界にとっちゃ廃棄物なんだよ。必要とされてねえ。愛されてもねえ。ただ、忌み嫌われているだけなんだよ!」

 少女が男の言葉の意味を理解した瞬間、思い出さないようにしていた記憶が蘇った。

 机に書かれたラクガキ。

 生ゴミをつめられた下駄箱。

 廊下に出された机と椅子。

 ボロボロにされた学生鞄。

 ささやくように絶えず聞こえてくる悪口。

 誰にも受け入れられず、誰にも必要とされなかった学校生活。
 当然のように蔑まれ、まるで化け物でも見ているかのような目を向けられ続けた日常。
 その全てが、抑え込もうとする意思を突き破って、土石流のように少女の頭の中へと流れ込んできた。

「この世界には、てめえの居場所なんかねえんだよ!」

 ――リアルに居場所がないからこの世界に来たのに。じゃあ私はどこに行けばいいの?

 男の言葉は少女の心の壁に入った亀裂を深め。

「見てみろ。皆がお前を忌み嫌ってる」

 ――どうすればみんな私を嫌わないでいてくれるの?

 亀裂の進行はとどまることを知らず。

「お前を受け入れる奴なんて一人もいねえ」

 ――私はどうすれば受け入れてもらえるの?

 容赦なく壁をえぐっていき。

「だからさ、もうこの世界からいなくなっちまえ」

 ――私は――。

 あっけなく、彼女の心を傷つけた。




 ……………
 ………
 …。





「―――っ」
「んん? なあ落葉、もしかしてそいつ、泣いてねえ?」

 仲間の言葉に男は「まさか」と言いながら、自分が腕を離せば途端に崩れ落ちてしまう、顔を伏せた少女の髪の毛を掴んだ。
 そして無理矢理上を向かせて――その顔を狂喜の色に変えた。

「―――っアーッハッハッハァッ! あの蓮華様がまさか泣くとはなあ! こりゃ傑作だぜえ!」

 髪の毛を離しその手をおでこにあてながら大笑いする男に、周囲のPKもまた、その顔に喜びを表す。

「う~わ、落葉って極悪ぅ~w」
「あはははっ、ボロボロになることは想像してたけどまさか泣いてくれるとはねえ~。これだからPKはやめられないよ!」
「く、ははっ、ハーッハッハッハァ! ヒーッヒッヒ! 笑いが止まらねえよ! マジで! 最っ高! なあおい、なんとか言ってみろよ、んん~?」
「……っく……はっ……ひっ――く……」

 もう少女の心には、PKたちの言葉に耐えうる壁は存在しなかった。
 無防備にさらされた彼女の心は、PKたちの言葉によって容赦なく傷つけられてゆく。
 少女の頬を伝った涙が、一粒、雫となって地面へと落ちた。
 それをきっかけに、開けることすらままならない少女の目から、次から次へと涙が溢れ出す。

「おいおい、今更泣いて許してもらおうってか? 都合よすぎるんじゃないの? んん?」

 あからさまに馬鹿にした口調。
 しかし少女がいつものように憎まれ口で返すことはない。
 その口から漏れるのは、悲しみを含んだ嗚咽のみ。

「や……もう――っ……やだ……よぉ――っ」

 今までの彼女にはあった誇りも、我慢をする心も、建て前も。
 全てが抜け落ちてしまっていた。
 誰にも見せたことのない涙を目の前のPKたちに見せてしまうほどに、少女の心はズタズタに引き裂かれていた。

「は……ははっ、もうやだよ、とはね。こりゃ驚いた。マジで号泣してるぜこいつ」
「あ~あ、知~らないっとw 落葉サイテ~w キャハハハハ!」
「――っく、あ……なん、で……なんでわたしなの……なんで――っ」
「ああ? なんで~? そんなのてめえがいきがってたからだろうが。バァ~カ」

 今まで堪えてきた苦しみ、悲しみ。あらゆる負の感情が彼女を押しつぶしていた。
 ただ。

「蓮華! れんげぇ!」
「―――っ、ミン……ク……」

 たった一人の少年だけが、少女の心を、わずかに繋ぎとめた。
 だが無情にもそれさえも

「ああ、そういや忘れてたわ。おい、そのガキ、こいつの目の前で殺っちまおうぜ。こいつもうガラクタ同然だしw」

 引き裂かれようとしていた。

「―――っ!?」

 少女の顔が驚愕の色に染まる。

「うわ~。なんか今日のお前すげえ怖えな。容赦ねえ」
「ははっ、もしかして俺ってドSなのかもな。やってるうちに超楽しくなってるんだけど。……それに。俺ぁこういう奴が大っ嫌いなんだよ。自分が強い人間だと思い込んで群れてる奴らを弱いと決め付けて、孤独を気取ってやがる。マジでばっかじゃね~のって感じ。そういうやつぁ一回ボロクソにしねえと根性治らねえんだよ」
「あはははっ、じゃあお前はこいつを更生させてやろうとしてるわけだ。やっさしい~w」
「だろ? 俺ぁ心が広いんだよ。こいつとは違ってな」

 すでに少女の耳にPKたちの嘲笑は入っていなかった。
 少年の死刑宣告に、絶望していたのだ。
 もがきながらも、無理矢理こちらへと連れてこられる少年。
 その道のりは、言うなればグリーンマイル。
 死刑へのカウトンダウンが、始まっていた。
 すでに少女に“人質”という足枷はない。
 なのに。

「―――っ」

 少女は動けなかった。
 止めなければいけないのに。自分しか止められないのに。
 まるで自分の身体ではないかのように、身体が動かなかった。
 それでも歯をくいしばり、身体を振るいあがらせて、身体を動かそうとする。
 そしてなんとか一歩踏み出せる程度の力を持った時。

「シュビレィ」

 あまりにも残酷すぎる呪紋が、少女へと告げられた。

「こんな近くにいる奴に呪紋当てるなんて簡単簡単。ガキが人質じゃなくなった以上てめえが動くことなんざ予想してんだよ、こっちはな。てめえにゃとことん絶望してもらうぜ、蓮華さんよぉ」
「や、めろ……」

 少女の口からやっとのことで紡ぎだされた言葉は、非情なPKの前ではなんの力もなかった。
 しかしそれでも

「やめろ……やめろ! その子は関係ない! やめてくれ! お願いだ!」
「くはははははっ、お願いだと? じゃあこっちもお願いだ」

 男は連れてこられた少年へと歩み寄り、手を背に持っていき剣を具現させた。
 そして一度少女へと口元を吊り上げた笑みを向け、剣を振りかぶり。

「絶望してくれ」
「やめろぉぉおおおお―――っ!」

 振り下ろした。





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