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October 9, 2008
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先日、お知らせしていたハーモニー・フェスティバル

が終わりました。

 今回、いつもよりも参加してくださった方の人数が

多かったこともあり、なかなか私が全ての方に対応する、と

言うことはさすがにできませんでしたが、その中で、私が

気づいたことを、今日は書こうかな、と思います。

 今日のタイトル「私は幸せになっていいという了解」が自分にない人が、

本当に多いことに気づかされています。

ほとんどの方は、まさか自分に「幸せになってはいけない」などという意識が

あるとは気づいていません。

 そもそも、幸せになることを否定するなんて、

頭では考えられない事でしょう。

けれど、これまでお会いした方で、「自分は幸せになっていい」という

了解がある方は、不思議な事にほとんどいないのです。

頭では皆さん「幸せになっていい」と思っているのです。

けれど、無意識の領域へ入っていくと、ほぼ必ずと言っていいほど、

「自分は幸せになってはいけない」「幸せになれない」などと入っているのです。

 こんなものが無意識に観念として入っているとしたら、当然行動は、

無意識にその方向へと舵を向け、どうにかして、幸せにならない方向へと

向かおうとしてしまいます。

それはもう、見事なまでにそちらに舵が切られるのです。

これは、頭で考えて行動しているのではないので、ある意味

歯止めがかかりません。

自分の無意識の観念「幸せにはなれない」というところへ向かって、

自然と行動します。私たちの行動をつかさどる脳も、すぐそちらへと

考え方を持っていってしまいます。

  

大脳は、無意識の意識に従って、考えを構築し、

私たちを行動させようとします。

なぜなら、私たちの起きている時間のほとんどは、実は無意識によって、

作り出されているからです。

意識していないと、人は、自分が無意識に行っていることの

ほとんどに気づきもしません。

たとえば、右側から靴を履いたのか、それとも左から靴を履いたのか、

一日に何回トイレに入ったか、

朝食を食べたとき、まず何から手をつけたのか、

最後に何を食べたのか、何時に歯磨きをして、顔を洗ったか、

こうした行動のほとんどは、無意識の分野が担当してくれています。

 大人になれば、親に言われなくても、朝起きれば、頭が寝ていても

顔を洗い歯を磨き、服を着替えて、朝食をとるくらいのことは

自然にできてしまいます。

 これは、私たちの中の潜在意識の中にその行動がインプット

されているからであり、自動的にそのように行動することが可能になっています。

実のところ、この能力こそが私たちの、知らない分野でもあるわけです。

私たちは、習慣から、これらのことを起きてさえいれば、どんなに

ぼーっとしていてもすることができます。

また知らない間に学校や会社にたどりつくこともできます。

 その途中経過を思い出すことができなくても、勝手にいつもどおりに

体は行動し、学校や会社に連れて行ってくれるのです。

よく考えてみれば、これは驚異の能力だとは思いませんか?

これこそ、無意識のなせる技。

素晴らしい能力です。

 これは、要するに、機械デにータをインプットしてそのとおりに

行動するようにした、という事と同じなのです。

私たちが自分に意識的に入れたデータであれば、全く支障なく

自分の思ったとおりに行動するでしょう。

しかし、ここでひとつ気づいていただきたいのは、私たちは、これらのことでさえ

無意識に自分の大脳にインプットした、ということなのです。

私たちは、ほとんどの事柄を意識的にインプットしているわけではないのです。

むしろ、自分の行動のほとんどを無意識に、入力してしまっているのです。

つまり私たちは、自分がその無意識の中に、情報を入力したにも関わらず、

現実には、自分の大脳というコンピュータの中に何を入れたかを

覚えてもいない、という恐ろしい現実があるのです。

何を入れたかわかっていないので、結果として、今、自分が取っている

言動のほとんどが、自分の大脳にインプットされた過去の情報の結果だ、

という現実に気づくことができません。

つまり、ここに無意識に「私は幸せになれない」という情報が入っていたら、

「私は幸せになろう」とするときに、当然その邪魔をするはずです。

それは自動的にそういう行動を取り始めるのです。

 それは、一見、ありえないようなことに思えるかも知れませんが、

この世界では当たり前のように、毎日おき続けています。

幸せになろうとしている人が、「幸せになれない」行動を取る。

そして自分が幸せになれないから、他の人の幸せも阻害する。

そんな行動を取る人を一人も知らないという人は、ほとんどいないのでは

ないでしょうか?

 私たちは、驚くほど、自分の中に何が入っているかを知りません。

自分が何を考え、どのように行動しているかをほとんどの人ははっきり

知っている、と思っているようですが、それは大きな間違いです。

何しろ、無意識の領域は、私たちの考える顕在意識(気づいている意識)の

領域よりも遥かに広く大きいのですから、それらをすべて把握できている人がいたら、

その人はもう、天才以上の才能を持っていることになります。

自分の中に何があるかに気づくことは、自分自身が何を望んでいるのかに、

気付くことです。

あなたが自分の望む本当のことに気づかない限り、どれだけ精神世界を

旅したところで、何一つ、価値あるものを見つけることは出来ないでしょう。

表面の強さもパワーもなんの意味も持ちません。

肝心なのは、あなたがあなた自身の望むことや、あなた自身が

本当は何をしたいのかに気付くことです。

 そこからでしか、あなたの本当の人生は始まりません。

どんなに逃げていても、あなたの本質は、あなたに自分自身を見つけるように

仕向けるでしょう。

 私は、このお仕事を通して、たくさんのことを学びました。

また、たくさんの人の状態を見せていただくことによって、

自分がどこまでも正直になることが大切だと気付かされてきました。

 そして、自分の置かれている境遇が自分にとって不幸だと思うとき、

人は自分の感受性を閉じて、感じなくするようにしむけ、挙句

自分自身の望むものがなにか、自分が何を感じているのかにさえ、

気付かない生き方をしてしまうのだということも知りました。

 もうそうなったら、その人たちは胡桃の殻の中に

閉じこもっているようなものです。

胡桃の殻が本来の自分だと思いこみ、胡桃本体は忘れ去られ、

自分の心のどこかで不満や苦しみがうずいても、遠いところで

誰かが唸っているほどにしか、自分の本当の声は聞こえず、だからこそ、

平気で自分の本心を無視してしまえるほど、本当の自分を殺して生きている、

と悲しいほど感じました。

 生きているのがつらいと思わないために、本当の自分自身を見捨てて、

死ぬまで嘘の自分を生きていく・・・、これのどこに幸せが訪れる余地があるでしょうか?

続きはまた次回・・。

いつもクリックしてくださる皆様、ありがとうございます。(*^-^*)

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Last updated  October 9, 2008 10:24:30 AM


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