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じゃあ、どうすればいいの?
この言葉をこれまで、何度となく聞いた。
じゃあ、どうすればいいの? と聞くときは、
実はチャンスの時だ。
本当の自分を知るチャンスがまさにそこにある。
本当の質問は、「じゃあどうすればいいの?」
ではなく、「じゃあ、私はどうしたいのか」だ。
この言葉は、実は自分に投げかけている。
この言葉の裏をしっかりと読んで欲しい。
あなたが誰かに、何かを問い詰められて、
「じゃあ、どうしたらいいの?」と聞いた時、
あなたにはチャンスが訪れている。
ここからがやっと、あなたがあなた自身に聞くべき時だ。
人は、この大切な時間に誰かの助言を待ってしまう。
自分の考えを放棄してしまう。
だから、解決しない。
なぜなら、本当は誰かにその問題を解決して欲しいわけでは
ないからだ。
自分の意志で解決できないと、意味がないと、
自分の奥では知っているから、このセリフを言うとき、
その人は他人の意見など聞いてもいない。
聞く必要もない。
この時、たいていの人の頭は真っ白になっているが、
そもそも、このとき人は何も考えようとしないのだ。
それでも、そこから自分が何を考え、何を望み、何をしたいのかに、
着目しなくてはならない。
そこからが初めて、「考えるとき」なのだ。
本当の意味で自分を振り返り、自分が何に引っかかって
いるのかをしっかりと見なければならない。
自分の本質が、大切な何かを知らせてくれる。
あなたにとって、何かが起きたその表面の出来事が問題なのではない。
その問題になっている事柄の、その奥に何があるのかを知ることが
何よりも大切なのだ。
そうでなくては、その問題をやり過ごしたとしても、
またいつか、同じような問題にぶち当たるだろう。
問題は、なぜ起きるのか、考えたことがあるだろうか?
それらの問題は全て、自分が今生で
学ぼうと決めてきた学びなのだ。
だから、その学びを学び終えるまで、
私たちがどんなに悲鳴を上げようと、私たちにわかるまで、
その問題は次から次へと姿を変え、人を変えてやってくる。
あなたがたとえ、どんな問題にぶつかっていたとしても、
あなた自身が解決できない問題は、絶対にやってこない。
あなたが解決できるからこそ、あなたのもとにその問題は、
「魂の課題」として、やってくるのだ。
頭が真っ白になったからと言って、そこで考えることを
放棄してはいけない。
そこからがやっと本番なのだ。
そこから、自分がなぜ、そのような思いに囚われているのかを
しっかりと感じる必要がある。
その時、どのような感情を抱いたのか、
なぜその感情なのか、何故、そのように考えたり、感じたりするのかについて、
逃げず、焦らず、しっかりと見つめるのだ。
本当の自分を見るのは、実際、辛い。
決して楽な作業ではない。
見たくない、という思いが必ず出てくるだろう。
けれど、そこにこそ、あなたの本当の学びが隠されている。
それをしっかりと学べば、その学びは、あなたの
弱点ではなく、あなたの宝ものとして、輝きを放つだろう。
そして、それは何よりも大切な心の安定と喜びをもたらしてくれる。
不安は取り去られ、恐れからではなく、愛から行動できるようになってくる。
愛から行動するには、自分の中に忘れ去られた感情を
取り戻す必要があるのだ。
自分が忘れ、なかったふりをしている古い感情に
スポットライトを当て、二度と見たくなかったその思いを
もう一度開いて、その感情を感じ尽くすのだ。
どのような問題も実は、あなた自身が隠してきた、そして
なかった事にしてきた感情にかかわりがある。
なぜなら、感情がなければ、それを問題だとは感じないのだから。
自分の中から忘れ去られた感情を紐解くには、少し
根気と技術がいる。
「自分の問題の本質は何だろう」と、
自分に問いただしてみて欲しい。
何も思い浮かばないなら、
その問題を考えた時に、どんな感情になるのか、
じっくり感じてみるのだ。
どんな感情があなたを支配しているのか、
そして、その感情を最初に感じたのは、いつだったのかを
しっかりと思いだしてみよう。
たいていの問題には、最初の瞬間、というものがあるものだ。
それが知り、その時の感情をよみがえらせる。
そして、その時のどのような感情も、味わい尽くしてしまうのだ。
感情は味わい尽くしてしまえば、自動的に昇華される。
自動的に手放すことができるのだ。
そうすれば、その時、自分が感じていた問題も
一緒に消えていることに気づくだろう。
どうって事はなかった、と後で不思議に思うようになる。
さあ、自分の問題の根本に何があるのか、
自分に問いただしてみよう。
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