ねこねここねこ

職員室の黒板に (死亡説)

職員室の黒板に (死亡説)

 高一C西山みどり死亡とかかれている
 なんて乱暴な 私は少し腹立たしい
 むろん一講師にすぎない私には
 その詳細は分りよう筈がない
 だがせめて死去とでもかけないものかと
 しかし 口には出さないで
 私は私の仕事をはじめた
 ときおり
 背後を
 ご多忙な先生がたが通過する
 学校での一日

 死亡と死去と
 確かに西山さんは死んでこの世から去って往った
 だが未だ若いクラス担任は
 (死は西山から
 むしろ 私たち全部を亡くしたのだ)
 そう考えたのかも知れない
 よって死亡だと

 むっとした顔で
 それが他界からの発想だと気づかない程に
 優しく狼狽して

 ほぼ同じあたりに
 杉山先生男子誕生母子とも健全なんてかかれていた日の
 黒板のことも思い出した



K氏は 成人するまで 生きられないだろうと 宣告されていた。

 私も また、産まれる時に、医師から 母子とも諦めて下さいと言われて
この世に生を受けた。
3歳頃には TBに罹り、幼稚園に まともに通園出来なかった。
微熱と咳が続き、痩せて 膝小僧が突き出していた。
再発したら 諦めてくれと 医師に言われ、母はどんな思いをしただろうか。

死と 常に対峙する 私の心。
生き急いでいるのか 死に急いでいるのか・・・。

若さと健康を過信する人たちへ。
平均寿命など、あくまでも 平均であって、あなたに過失がなくとも
何時なんどき、事故に巻き込まれるか 分からないのだ。

今を 謳歌するがいい。
今という時間を大切にしなかった結果、将来、どのようなことになるか 考えるといい。

死去と死亡、遺体と遺骸、信用と信頼。
その言葉を意識せずして使い分ける人を 私は求める。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: