八月の午後
桃の葉をみんなたべつくして
蝶になる大きい虫をみた
一九四五年
八月の午後の炎天
大きい虫がたべつくした桃の枝に
小さい私たちは
ぶらさがっていた
汚れて
くさくて
汗びっしょりのやせた虫
あれが
遊びなら
十年たっても三十年たっても
ぜんぶ遊びさ
死んだひと達の希望は
今でも
死んだ友達と
灰の下で石けりをやめない
ムギワラ帽子もかぶらないで笑っている
そして
私たちは
桃の枝にまだぶらさがったまんまだ
汗びっしょりになって
指が固く曲がって
すごく
痛い
1945年の八月の午後。
書くまでもなく、太平洋戦争の終わった終戦の年のこと。
桃の枝とは? みずみずしい果実をつける桃の木。
日本という国なのか、それとも、生を指すのか。
戦争を経験した人たちにとって、あの当時、生きていることは
何を意味しただろう?
生と死が 常に隣り合わせにあって、それでも、人は生きようとしていた。
人生はゲーム、ギャンブル。
そんな言葉に 猛反発した人がいたが、食べるものにも事欠き
望まない戦争の巻き添えになって 死んでいった人たちの
(将来への)希望は、祈りは、遠く聴こえる 笑い声のようだ。