ねこねここねこ

枯れ草の空き地の穴の一件について

枯れ草の空き地の穴の一件について

枯れ草の空き地に穴を発見
広さは おおよそ一平方メートル
深さは
目測四十センチ

いつ 何のために
誰が掘った穴なのか
不明のままに
すでに二ヶ月あまり 今夜は十一月の食卓にいて

そろそろ
穴に関する審議会を持つべきだと女房はいい
私の気分は
研究会くらいですましたいところに存在

しかし
あの穴は
なぜ 穴になったのか
世界や私たちとどのようなかかわりがあるのか

つまり
そういった穴が今も空き地に在り
夜と昼のそこに
今後も在り続けるだろうみつもりについて

埋めるべきか
さらに
深々と掘るべきだろうか
女房と私の食事中の小論争を あなたは笑うか


十一月の詩であるが、昨夜、読んで 面白いと思った。
枯れ草の空き地の穴は、11月の2ヶ月余り前にそこに在るのを発見された。
自分の土地ではない、空き地だ。
そこに穴があろうとなかろうと、「私」の生活には 関係のないことだ。

穴を そのまま素直に「穴」と読んでも 十分面白いが、他のものに置き換えたら?
例えば、自分の存在にして 読んでみたりする。
穴(わたしという存在)は、いつわたしになったのか、
世界・・・自分を取り巻く社会の中で、どんなふうに他者と関わっていくのか。

穴に関する審議会を持つべきだと女房はいい
私の気分は
研究会くらいですましたいところに存在


作者より、バイタリティーのありそうな、「女房」。
作者は 仕事やら何やらで疲れているのだろうか。
夫婦の食卓の会話は、自分たちの生活に、何ら
実際的影響を及ぼすことのない空き地の穴のことで弾む。

穴には 不思議な魅力がある。
何かがそこから出てきそうな、また中に吸い込まれそうな・・・


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