自由回転砂時計

迷惑なおんなのこの話。


「放課後、ちょっと屋上まで来てくれない?」



 糸のように細くきめ細かい漆黒の髪、それと同様に深い黒の大きな瞳。それらとは正反対などこか病弱そうにも見える真っ白な肌に、薄桃色の唇。このクラス…いや、学年で一番の美少女と言っても過言ではないであろう彼女にそんなお誘いを受けてしまえば、すぐさま首を縦に振ってしまうのは男として当然の事だと思う。
 それも放課後の屋上と言う絶好のシチュエーション。健全な青少年らしい期待に胸を膨らませても仕方が無い。
 たとえその誘われた屋上が、うちの学校では立ち入り禁止になっていると知っていてもだ。





***





 後から冷静になって考えてみれば、まさかこんな美少女にこの僕が告白を受けるなんて事はある筈が無い。それでも、まさかこんな事を頼まれるとは思っても見なかった。と言うか思わないだろう、普通。



「ほんのちょっと肩を押してもらうだけで良いの」



 ああなんだ立ち入り禁止の屋上で肩揉みかーなんてそんな訳も無く、(いやそれだったら僕は喜んでこの細い肩に手を伸ばしているところだが、)何よりこの立ち位置でそれは確実に無いだろう、と。
 まず、此処が立ち入り禁止になっているのは、単純に危ないからだ。つまり、柵が無い。過去に一度転落事故が起きたらしく、(幸い死亡はしなかったらしいが、)それから扉にはごつい南京錠がかけられるようになったらしい。
 そっと後ろを振り返り、扉の傍らに無造作に放られている工具類たちと無残な姿の南京錠を一瞥する。それから、安全な屋上ならば柵の外に位置しているであろう場所に立って此方をじっと見つめてくる彼女に向き直る。…はあ。思わず溜息を吐いてしまう。
 この状況で肩を押して欲しいって事は、つまり……まあ、そう言う訳だろう。



「えっと……なんで?」
「なにが?」
「いや、なんでそんな事するのかなー…と」
「飽きたから」
「え、いや、何に?」
「全て」



 はっきりとした口調できっぱりと答える彼女に思わず閉口してしまう。こう言う場合は説得を試みた方が良いとは思うのだが、僕はそんな柄じゃないし、何より彼女とはただのクラスメートと言う関係だ。僕だったら、この状況でただのクラスメートの言葉なんかに揺らぎはしないだろうと思う。
 いや、でももしかしたら彼女は止めて欲しいと思っているかもしれない。自ら命を投げようとする人の心理なんてよく分からないが、たとえ相手が誰であろうと、優しく暖かい言葉をかけて貰いたいだいけってこともあるかも。僕は頭の中で必死に今まで見たドラマなんかの台詞を探し出す。



「あの、そんな早まる事無いんじゃない?人生まだまだ長いんだから、生きていればきっと楽しい事もたくさん……」
「ぬるいわね」



 一刀両断。彼女の意志はかなり固いようだ。ただ単に僕の言葉が全く心に響かなかっただけかもしれないが。
 ああもう、それなら情がうつってしまう前にさっさといってくれ!なんてかなり酷い事を思いながら、さっき彼女が僕に言った言葉を思い出す。
『ほんのちょっと肩を押してくれるだけで良いの』
 この状況でほんのちょっと肩を押したら、確実に彼女は落ちるだろう。4階建ての校舎の屋上だ、落ちたらかすり傷程度じゃ済まないどころか、死んでしまう可能性だって大いにある。そして明らかに彼女はそれを願っている。ちょっと待て、と言う事は此処で僕が肩を押したらつまり、



「……殺人?」
「違うわ、自殺の手助けよ」



 世間ではそれも罪に問われるのではなかっただろうか。さっきまで僕が思考内でも敢えて避けてきた言葉をピンポイントで口にした彼女は、急かすような視線で此方を見てくる。
 いやいやいや、いくら相手が美少女だからってこんな事で人生棒に振りたくない。この歳で殺人容疑をかけられるなんて絶対に嫌だ。親も悲しむだろうし友達だって居るし、何よりまだ女の子とピンク色な経験もしていないんだ。こんな所で人生台無しにされてたまるものか。



「見られる事を恐れているの?大丈夫よ。今日は部活も無いし、こんな暑い中生徒なんて誰一人残ってないわ」
「でも学校には教師と言うものも居る訳で……」
「全員クーラーのきいた職員室でお茶でも飲んでるでしょう」
「そこら辺のマンションからうっかり人が見てしまっていたり……」
「『説得を試みたけど失敗した』」
「いや僕が肩を押していたら明らかに突き落としているように見えるかと……」
「止めようと手を伸ばしたけど間に合わなかったとでも言っておけば?」



 そんな言い訳、僕だったら絶対に信じないぞ。
 何よりどうして僕なんだ。頼むならもっと他の奴が居るだろう、女友達とか君に告白してくる男共とか!



「だって、きっと、そんな人達じゃくだらない言葉を並べたくって説得を試みるばかりじゃない」



 まあ、確かに。だから自分と大して接点の無い奴を選んだと言う事か。だからと言って、何故僕なんだ。彼女に全く気の無い男なんて他にも腐るほど……とまではいかないかも知れないが、割と居るだろう。
 まさか、僕は知らない内に、こんな明らかに一生忘れる事ができないであろうお願いをされてしまうような事を彼女にしてしまっていたのだろうか。



「貴方は、」



 人は自分では気がつかない内に他人を深く傷つけてしまう事があるものだ。心当たりは無いが、少しだけ鼓動が早くなる。



「人の頼みを断れなさそうだったから」



 ……図星だよ畜生。自分の短所とも言える部分を見抜かれていた事にむっとする反面、特に彼女に何かしてしまっていた訳ではない事にほっとする。
 確かに、僕は人から頼み事をされると断れない。嫌な物は一応断ろうとはするも、必ず相手の押しに負け、泣く泣く引き受けてしまうのだ。だからと言ってクラスの人気者になる訳でもなく。どうせ『良いように使える奴』程度にしか思われていない事だろう。……目の前に居る美少女にも。



「お願い」



 僕はまだたったの15年しか生きてない一介の男子中学生だ。さっき彼女に言ったように、まだまだ人生は長い。今はまだ夢も目標も特にある訳ではないが、とりあえず普通に高校と大学行って、普通に会社入って働いて、普通に奥さん貰って家庭を持って。そんな人生送れたらなあとは思っている。
 だから、こんな所で変な過去を持ちたくは無い。持ちたく無い、けど。



「ねえ、お願い」



 整った眉は綺麗にハの字を作り、潤んだ大きな瞳は真っ直ぐに此方を見つめている。その懇願に耐え切れなくなった僕は、気が付いたら



「……ああー、もう分かった!押すだけで良いんだろ!?やるよ、やってやる!」



 叫んでいた。
 確実に自棄になっていた。彼女の嬉しそうな笑顔が見られたからまあ良いかなんて思ってしまう辺り、もしかしたら暑さで気が狂ってしまったのかもしれない。

 さあ早くと言わんばかりに目をキラキラさせる彼女に手を伸ばしかけたところで、ふと浮かんだ疑問を投げかける。



「あのさ……なんでこっち向き?」



 とりあえず覚悟は決めたものの、落ちていく人間の表情を見るのはやはり気持ちの良いものではないだろう。美少女でも。
 それともやっぱり僕は彼女に何かしてしまっていたのだろうか。それで、私の死に顔でトラウマになりやがれ、みたいな。何と恐ろしい。
 しかし、彼女の答えはそれとは全く違うものだった。



「空を、見ていたいの」



 そう言って軽く顔を上げた彼女は、驚くほど美しかった。声も出せないほどに。きっと、そのまま空へと身を投げる彼女はとても綺麗なんだろう、なんて思いながら、僕は彼女の肩にそっと触れる。



「……いい?」
「勿論」
「それじゃあ、その…………さよなら」
「……さよなら」



 彼女は小さく笑い声を漏らしてから、ありがとうと呟いた。
 少しだけ力を入れて肩を押すと、彼女の体は面白いほど簡単に傾いた。雲一つ無い空に散らばる黒い髪は美しく弧を描き、真っ白な肌は空色に溶けるようによく合っていて。


 彼女の足が完全に離れそうになった瞬間、細められていた瞳が大きく見開かれた。
 その顔に張り付いている表情は、紛れも無い、恐怖。










「
―――――― ッいや!!!」

「え」










 掴まれた、と思った時には、既に僕の体も一緒に傾いていて。彼女の恐怖する表情なんて初めて見たなあなんて思ってるうちに、体は凄い勢いで落ち始めていた。
 え?え、え?何で僕まで落ちてるんだ、そんな、だって、僕はただ、待って、いやだまだしにたくない、ぼくはなにも、なにも、おちて、ちょっとまっ お    ち










(20081116)


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