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長編集だよ:)
ここでは、ながなが、だらだら、書かせてもらうね:)
沢山たまっているもを、随時、掲載していきます:)
よろしくだよ:)
今回はね、もう4年前になるかな・・・学校の教員をやめて、アメリカに渡り、放浪したときに感じたことを、そのまま、直接書き込んでおいたものだよ:)
こんな感じで、ここでは、だらだら書いていくね:)
以下・・・1999/吉日
望んでいるのは、本当の理解という大きな枠!!その中で人は、新しい目覚めをむかえるんだよ!!
本当のってよくわからないけど、平和というのは、実現させななくちゃ!!今日もこの瞬間に子どもが泣いてるよ!!自分のできること、祈ること。でも祈るんだ。
世の中の誤解なんか、みんな消えちゃえ。そのためには、もっとみんな知り合わなきゃ!!
身体が不自由な方との関わりがこれから増えるでしょう。2002年から始まる学校教育制度の大変革の一つ、週休2日制の導入で、地域との交流が期待されているからです。おそらく、体育的活動での接点も増えると予想されます。
スポーツ指導員は、そのような場の出会いをコーディネートする事が増えるはずです。コミュニティーの中での出会いと、その場の関係のありかたと、その場での学びをファシリテイトする機会が増えると共に、その場をファシリテイトしなければならい役割になると言うことです。
スポーツというスキルはもちろんですが、そのことをどのようにその場への関係に、その場での関係を深めるために、あなたの体育指導員としてのアプローチが求められるかということを、突きつけられていることになります。
あなたはどのようにその場をデザインしますか?できますか?そのことがすでに、ユニバーサルデザインへの考え方の入り口になるのです。
不安定だから回転して、一定であるように、エネルギーはバランスをとろうとする。地球も自転しななければ、暴走するだろう。公転しなければ、太陽系にもいれないのですよ。DNAもらせんです。バランスがとれるかたちで、存在しているのですよ。
生命は生きるものとしての力を獲得したのか?与えられたのか?という問題は、おそらく大いなるエネルギーがあったからこそ生きる知恵を獲得できわけであり、そういう意味においては、与えられた中で起きていることだと理解できないでしょうか。知恵は限りなく、我々には到達できることのできない事を知らなければなりません。知らないことが多いと言うことを再認識しなければならないのです。そして、今、知りうることは、深く受け止めなければなりません。
知った振りして生きてはいけないのです。
今まで本当に狭い範囲であくせく生きて来たことを地球は僕に教えてくれた。そのことに気づくことができた。そして、これからの生き方や、魂のあり方まで、新しい視点で僕に課題を与え得てくれた。地球上にある、多くの生命がもっと理解しあえるチャンスがあれば、もっと知り合うことができれば、誤解はほぐれ、悲しい歴史は教訓として語り継がれ、地球は新たな可能性を秘めて、未来へ進んでいけると思うよ。そのために、自分ができること、思う存分力を入れて、方を張らずにやって行くんだ。
昨日は、セドナの街を大きな大地と天の声が響き渡った。地球は生きているんだよ。僕はにはそう聞こえたように思えた。数時間に渡り、光、音、風、揺らぎ・・・本当にダイナミックな鼓動が僕の身体を奇麗にしてくれる。こんなにも地球はダイナミックに我々をはぐくんでくれている。なのに我々は、そのことになんの迷いもなく、理解を示そうとしていない、多くの人は、忘れている。地球に生きているということを。それは、悲しい現実だね。僕はこれからどこでどうはたらきかけるんだろう。未来が楽しみだ。
こんな事がありました。ある先生方の研修会で、ワークショップ的な体験学習を僕が講師で行ったときの事。最後に必ずアンケートをとるんだけど、こんな解答がある先生から寄せられました。『立場的に管理職に行って来いと言われて嫌々来ましたが・・・』そうです、この先生は、半ば命令されて仕方なく来たということだったのです。仕方なく・・・。僕は、考えます。嫌々来たにしても、出張旅費をもらい、つまり、公的な資金、税金をもらい、来ているのです。公的な資金を運用してしている自分に気づいていない発言としか受け取れません。こんな事が許されていいのでしょうか?税金を使って、公の機関で研修を積まなければならない存在としては、いささか、精神的に疑わざるおえないです。しかし、これが日本の教育に携わるものの現実です。意識が低すぎるのです。
せめてもの救いは、来ることにより、何らかのきっかけをつかみ、今後につなげていけそうだとアンケートに続いていたことです。
このことが、学ばせてくれた事は、どこにチャンスと出会いがあり、そのために色んな人達からの支援や思いのこもった予算があるということです。その予算が多いとか少ないとかなどは別問題です。自分たちにはそのような状況があるなかで、そのような背景がある中で、生きている事に感謝しなけらばならなないとおもうのです。そうすることで、目の前に見えていなかった、見落としていた、チャンスや学びが見えて来るのではないでしょうか?今日のみなさんはどのような思いで参加しているのでしょうか?最後には来て良かったと思ってもらえたら最高です。ただ、飲みに来るだけ、話の時には寝ていようという人も、それはそれで、いいのでしょうが、何かを得て欲しいのです。どの様な状況であってもそこから学べることは沢山あるのですから。あなたの意識がそこへ向かえばですが。
それぞれが、背負って来た歴史の中に何をどう学びとらなければならないのかを共に考えていける人間的関わりと、関係がこれからますます大切になるのだと思います。
人との関わり方、自分の一方的な思いこみや、相手の誤解にしばしば驚くことはありますが、そのつど、その場で互いに解決しようという心があれば最高ですね。いや、一番大切な心がけだと思います。
だって、言葉が通じなくても、気持ちが通じ合えば、前にも進めるし、失敗だってできるのだから。言葉を発信できない人、国が違って言葉が通じないなんて事は、当たり前で、状況もみんな同じでしょ。自分の事ばかり考えて目の前しか見えてない人は、いませんか?
出会いはいつも不安と緊張の中にあります。多くはそうだと思います。それはね、自分に鎧をつけているからなんだと思うよ。自分に鎧がなければ、警戒されることはないからね。鎧をつけるような警戒心がないという裏返しでもあるんだけどね。
今日はみなさんどうですか?こんなカラフルな変な大きな男がステージで話してなんの話が聞けるのか・・・。さぞ不安だと思います。しかし、見た目で人は判断できません。レッテリング、思いこみは誤解を生んで、悲しい現実へのプロセスとなるkとが多いからです。
一つの小さな小さな試みではあったが、どうやら大きな大きな土台になったようだ。きっと転んでも、この大きな土台は僕を支えてくれるだろう。そりゃそうだよ、自分が動いて、多くの人との関わりの中で、エネルギーを沢山やりとりできて、そんな土台だから、そう簡単にはゆるがないのさ。
そうそう、人はもっと自然美しさ、恐ろしさ、そんなものを日々感じながら生きなくちゃ。だって地球に生きてるんだから。毎日ガツガツ生きるのも、何かの学びができるとは思うけど、生活の背景にある、地球を忘れて欲しくはないんだ。
今日でとりあえずアメリカは終わるけどね。ヨーロッパはドイツ、アメリカは、ポートランド、フェニックス、ロサンジェルス、ブルーミントン、ニューヨークとつながった。動いてみるもんだね。
東京へ向かう機内にて
車椅子の人が自由に自分の力でどこにでも行ける事が大切なんだと思うよ。東京にも車椅子のための施設はあるけど、人の手を借りなきゃだめなんだよ!!そうすると、車椅子の人も気を使うし、気兼ねして、自由に動き回れるとはまた違った感じなると思うんだ。そして、いつも手伝ってくれる人がそこにいるとは限らないしね。ユニバーサルデザインとは、本当にいろんな人のファンディーションを考えなければいけないんだけど、物質的な問題、金銭的な問題などが、日本では語られる気がする。
今日は長かった。フェニックス、ソルトレイクシティー、ポートランド、東京・・・一生のうちで一番長い旅でした。そんな感じしないけどね。
ソルトレイクからポートランドまでの飛行機の中での出来事。すごく身体の大きなお母さんが窓際の席で、僕の隣に座っていました。身体が大きすぎて、飛行機のテーブルをおろす事ができません。お母んはドリンクサービスを笑顔で断りました。こんな事も起こりうるのです。気を利かせて、テーブル使っても差し支えがないよと言うと、笑顔でありがとうと答えてくれました。本当に笑顔の素敵なお母さんでした。ポートランドに兄弟がいるのだそうで、今回の飛行機での旅は兄弟に会いに行くためのものでした。
考えると・・・考えるほど、ユニバーサルデザインの必要性を要求される思いでした。どんなものでしょう、飛行機産業に携わる人達はちょっと考える必要があるのではないでしょうか?2000年、新しい正規に向けて!!
こんな事もありましたね。昨日セドナからフェニックスに向かうシャトルでの出来事です。セドナからフェニックスまでは、ドアtoドアサービスのシャトルがポピュラーです。僕も、その日の移動はシャトルの予約を入れて置き、スーパーエイトモーテルまで、ピックアップに来てもらいました。行き先というか、おろしてもらいたいと頃は、運転手のおじさんにリクエストするのですが、僕は、エアポートヒルトンをリクエスト。運転手さんには、快く受け入れてもらいました。他のお客は、僕以外に3人いたかな?みんな、フェニックス国際空港の、自分の乗る飛行機会社のカウンター前で降りて行きました。
しかし、その後、エアポートヒルトンに向かうときに、僕に運転手さんは、住所を聞いたんだけど、僕はその電話番号はおろか、住所までも、すでに、ゴミ箱に入れてきてしまい、手元に何も手がかりはなかったんだ。でもね、探してくれたんだよ。一生懸命。でも見つからなくて・・・。そしたら、なんと、空港に戻り、錆素カウンターまで行き、ホテルを調べてきてくれたんだ。うれしかったね。日本ならすぐにいやな顔されて、途中でおろされてるのがおちだから。そう言う経験をしたことがあるから、偉い違いだなと思ったんだ。そして、さらに、ホテルのフロントまで来てくれて、コウジは英語が苦手だから、代わりに話すけど、今日1日部屋はあるかということと、料金はいくらかということちゃんと話を付けてくれて、本当に優しい笑顔で、がんばれよと言って、ホテルから去って行ったんだ。感謝、感謝です。
人に対するユニバーサルデザインがあるとすれば、こんな感じになるのかなと、ぼんやりとそう思いました。懇意も心の広い人が、沢山いたら、いいのにな。優しさの固まりをいつも心に忍ばせていたいね。
そうそう、ポートランドで飛行機の乗り継ぎをしました。たったの1時間という本当に短い時間だったんだけど、エリザベスがなんと、段ボウルを抱えて会いに来てくれました。うれしくて、うれしくて。初めてのアメリカで、はじめに入国した空港で、その時には、友達も、知人も、状況も、言葉も、何もわからず、入国審査で足止めをされて・・・。それが、たった2ヶ月の間に多くの人との出会いの中で最高の人生の友達に会うことができ、さらに、これから帰国というときに、見送ってくれるのだから・・・来たときとは大違いだね。それだけ、得るものが大きな2ヶ月だったということだよね。
さらに、このメモをメモ帳に書いているときに、シュチュワーデスがこのスリーアイのライスペーパーを見て、貴方は仏教徒ですかと訪ねてくれた。この絵は大変いいんだよ。と、確かジェーンさん。韓国人の2世だそうです。30分は盛り上がりました。向こうも、丁度乗客が寝る時間で、暇だったみたい。ポートランドの話で盛り上がりました。本当にあと少し、あと30分でだって。到着しちゃうね。
飛行機を降りるときは、黒人のスチュワーデスが、あなたは、ランニングをしていますかと聞いてきた。もちろんと子問えると、パラリンピックには出ないのかと訪ねてきたので、とりあえず挑戦していると答えた。ちなみに、100Mの選手で、日本でチャンピオンになったこともあるんだと答えると、グレイトといいながら、がんばれと言ってくれた。日本では、こんなコミュニケーションは正直ない。どことなく敬遠されるからね。
グランドマスターの意志を意思を言葉を伝えた者達、大いなる知恵と勇気をもう一度考える時に来ているのに。あなたは信じる事ができるものがありますか?ない人、あなたは、あまりにも悲しい現実を拒否したくてわざと信じようとしないのか、信じることができずにいるのか、何かにおびえて、恐怖して、魂を縛られているなか?信じることのそのものを知らないのか?どのみち、信じる何かを心のどこかで輝かせているいる人地はきっと、何かしらの気づきの中で生きていけると思うんだけど、何も信じることができずにいる人は、人間になれずに、いるのかもしれない。そんな人にも、光を分けることができるのであれば、こんな僕の光で良ければ、分けてあげたい。
指導する者、つまり、コーチとか、監督とか、その場に集い、1つの目的集団に対してその集団が目的のために人間的成長をする事ができ、集団としての成長もある状況を目指すはず。ところが、指導する者によっては、その集団の可能性を狭める働きかけをする者もいます。それは非常に好ましくない関係といえると私は考えます。子ども達、またはメンバーが1つんゲームに参加したくても、放棄する人(例えば監督などの立場の人)それは、体験学習というものの見方からすると、悲しい事となります。つまり、体験して、様々な出来事、つまりプロセスを体験するチャンスを放棄されたこととなり、学びのチャンスを逃す働きを、そのことを目指さなければならない本人がつぶすプロセスを作りあげたからです。
そういう、指導者にはなりたくはないですね。でも現実的にはどうでしょうか?多くの場面で、そのような現実に行き当たります。どうしてでしょう。おそらく、人間関係の中にあるメンバーないし子ども達の人間的な成長をつまり、プロセスを重視するのではなく、コンテントレベル、結果にしか焦点が当てられていないか、指導する者の人間としての成長が著しく幼いかのどちらかが、原因ではないかと思うのです。でも、そう言う状況の人であればあるほど、他人の言動に耳を傾けず、孤立する傾向があるのも、特徴かもしれません。
一時的は、結果は出るものの、それだけで、後々は、悲しい人間関係の中に生きる事を強いられるでしょう。そうであっては困るのです。お互いに。そうならないためにも、何が求められているの、自分の役割はいったい何なのか、常に自分に向き合うことが要求されるのです。それは厳しい事です。ですが、それなくしては、集団の成長を、個人の成長を、その人自信の成長もあり得ないのです。
僕に初めて会って、足を見て、それでも僕のポテンシャルを見て、驚く人が多い。日本とアメリカではその反応が明らかに違ってた。アメリカでは、ユー・アー・グレイト。つまり、自分のあり方を率直に評価してくれる。それに対して日本人の多くは、もしくはほとんどかな、「僕より早い」とか、自分の身体と比較して、はじめから、アビリティー的に劣っている事を前提にしなければ出てこない答えを、まず最初に言うんだよね。本当に考えているだろうと思われる人でさえ、そういう習慣の中に生きているからだとおもうんだけど。残念なんだ。多くの人は、そんな事を考えずに、いや、気がつかずに、悲しい思考回路の中で生きてるんだよ。だから。個人の能力を率直に、単純に受け入れる事ができない人が、人のために何ができるのだろう。そんな厳しい事を考えしまう。それが通用する社会でしか生きていけない。それでもいいのかもしれないけど、踏み出したいものだよね。一歩先に。
北海道でこんな裁判がありました。高校で体育保健の先生がある日、脳失血で倒れるのですが、幸い命には別状がなく、多少リハビリもきつかったものの、身体的に一部の麻痺を抱えたものの元気に復職しようとしていました。しかし、仏教系のその私立高校の管理職は、身体的にハンディを抱えている状態で体育をつとめる上げるのは不可能だから、退職にしますという見解を明らかにし、その教員を首にしました。しかし、そのような一方的な申し分は、理解することができるはずがありません。その先生は、必死にリハビリに耐え、今日の復職へと希望を積み上げて来たのです。
当然裁判では、その先生の勝訴となりまいが、管理職サイドは不服として、当然上訴しました。今度は、管理職サイドの勝訴となりました。
このことは、世界的に見ても、大変はずかしい判例になるのです。つまり、その人の固有の身体的な能力を法的な見解を持って、差別化したからです。恥じるべき史実を、法律は事実として、残してしまったのです。
単に、批判的な立場で述べているわけではありません。事実を書いているだけです。起きてしまった。であるならば、このチャンスに過去の恥じるべき判例から、過去から学び、生かせるよう、話し合いを深めることが必要とされると思います。それでもなお、差別化をはかるのであれば、日本の法律を疑います。
日本人の海外ツアー客を見て感じたこと。ほんの一部のツアー客だけどね。食事はなぜか、日本食を中心に準備されていたこと。無理に海外で、そうおいしいとは思えない、日本食を無理矢理食べるのではなくて、その土地のおいしい料理を食べればいいのだと思ったのでした。せっかく、海外での短期間で、その土地の味覚にふれ、そこで生活する人達の文化に触れて、コミュニケーションすることで、本当にいい学びを得る事ができるともうのです。そう、実り大き旅になると思うのですが。
方法論としての体験学習ではなくて、その思想と根元的な部分での認識を生かした授業づくりについて、実践報告と、検討につて、進めて行こう。
その姿形が私には不愉快だ。早く引っ込め。
それは貴方の価値観の中で不愉快という事ですよね。貴方の言葉を聞いて不愉快になった人も会場にいると思いますが、貴方はそんなことまで考えて、今、発言しているのでしょうか?
おまえの屁理屈につきあうのも不愉快だ、さっさと引っ込め。
私は全ての人が大切です。もちろん貴方を含めて。だから最善の方法を考えているのですが・・・それもいけませんか?
僕が歩いてきたほんの一部のアメリカという国には、いわゆる、スピリチュアルなものが生きていました。人々の多くは、そのことを自分の生活、あり方、人生へと、意味を込めて心から信じていました。少なくとも、僕の触れてきた人達は。
おそらく僕がグランドマスターを大切に、今を生きているからそのような出会いに恵まれるのだ思うんだ。古来日本にもあったであろう、精神が・・・どこかでまだ息づいてはいるけれど・・・。日本のグランドマスターはちょっと悲しいに違いない。日本は狭いけど、深いから・・・もったいない。
人の目というか、視線がアメリカとは全く違うね。なんだろう?息が詰まる・・・。そんな感じがするね。居心地がよくない・・・。率直な感想です。直感的な感覚です。どうしてだろう?
今日に至るまで、第二次世界大戦から50年ちょっと、日本の教育システムは、文部省という国家機関というレベルを中心に進んできた。まぎれもない事実である。学習指導要領というガイドラインがその中心的な役割を担ってきた。そのことが、現在では、そのガイドラインを成立させるために、という、本来の目的と違うウエイトを占めて来ているように思える。戦後の日本を立て直すためには、非常に優秀な役割を果たしたシステムも、2002年からの新学習指導要領で、どれだけ、本来の意味と、その意味合いを末端にまで、浸透させ、本来あるべき、教育の在り方に、力を貸してくれるだろうか。
新しい指導要領では、どうやら、地域、先生方の自由度、つまり発想を最大限にいかせる、また、地域を中心としたコミュニティーの活性化を望んでいるようである。いい意味で、ゆとりのある、学びの場を提供することを提案していると思う。
ガイドラインはあるものの、個性、自己の学び取る姿勢、気づきを大切にということであろう。しかしガイドラインを中心に進めてきたきた人達の中には、対応できずに、かえって、子ども達の学びの場を奪う指示的な学習形態に知らずに陥る教育に携わるスタッフも現れるであろう。つまり、マニュアルで育った世代が、マニュアル的にしか動けずに、知らずに、その枠に収まるように、指示的に、行うことで、様々なトラブルが生じるだろうと予想できる。ま、方法論におぼれて、本来ある、人間としての関わりに気づかずに、子どもとの関係のあり方が、悪循環する、そのことが、子ども同士の関係も、悪循環させ、最終的には、そこに携わるスタッフの心労も重なり、互いに不幸な状況を生むのではないかという懸念もあるのですよ。
方法論おぼれる、つまり、こうすると子どもは動いた、というレベルで満足している人達は、学びの少ない悲しい、人類と言えるのではないだろうか。そして、その人に関わる、人間としての関係も、悪循環することは、予想がつくだろう。
僕は教育のユニバーサルデザインということを考えている。それは、教育に携わる者だけではなく、生きてる我々というレベルで地球規模での発想に立ち、全ての人々に与えられる、そして、与え、与えられる、つまり相互関係の上に成立する新しい価値観、いや、忘れていた本来ある、本質的な・・・
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