これは、平成11年の「月刊わん」という愛犬雑誌に載せられたものです。
『愛犬介護日記』という特集で、読者に募集があったので
送ったのでした。
実際 この手紙を書いた時期は、平成10年でした。
犬は 8年に死にました。
少し内容を換えて 転載する事にします。
【 老齢犬との日々 】
シェルティの「あゆみ」が死んで、もうすぐ2年たちます。
心臓弁膜症という病気になり、獣医に通い あたしが看病をし、
14か月生きました。
活発で 言う事をよくきき、大きく賢い犬でした。
あゆみが9才の頃 あたしが結婚して大阪に行った時、
一緒に連れて行きました。
あゆみは あたしが購入し、訓練も全部1人で教え込んで育てた
あたしの犬だったし、夫も「犬だけは特別」と言う犬好きな人でしたから。
3にんの暮らしが始まりましたが
まっ平らな関東平野で育ったあたしには、関西は どこでも観光地に思えました。
犬と一緒に遊びに行ける所は、お金がかからない、
おしゃれをしない、クルマで行ける小さな観光地です。
クルマで日帰りできる所がたくさんあり、
連休も 日本海側や伊勢 紀伊半島一周など、泊まりでも行きました。
あゆみは お散歩紐なしで、人の多い所も
おとなしく一緒に歩きましたが、あたしが気づいてやれずに
失敗だった事は、あゆみが老犬になって行く事でした。
9才 10才になっても、あゆみが老いて来ている事を ほとんど感じられなくて、
登り下りのある 時には険しい山道を歩きました。
平らな道でも…、例えば京都の「天の橋立て」を
往復5~6Km歩いた時には、やっぱり疲れたのか・・・
あたしがたーっと走っても、あゆみには あたしを追い越す勢いが
ありませんでした。
普段 負けず嫌いのあゆみは、必ずあたしを追い越して
自慢気に振り返ったものでした。
山道歩きも「いつまでもどこまでも歩き続けるぜ!」という
犬だったのに、もう帰りたいような顔をするようになり
そろそろ しんどい年齢になっていたのでしょう。
それなのにあたしの中では、若い時のあゆみの
「かーちゃんとならどこへでも行くよ♪すごく楽しいよ♪」
という印象が、そのまま ずっとあったのです。
外見も ほとんど変わらなかったし…
あたしの中のあゆみは 年を取らなかった。
大阪に行く前のあゆみは 農村で育ち、広い庭を自由に走り
田畑の周りを紐なしで散歩していました。
大阪でも 周囲は田園地帯で、同じような暮らしをできました。
そのせいか、他の犬よりも頑丈だと決め付けていたかもしれません。
そのせいで 心臓弁膜症になったのかはわかりませんが、
原因の1つではなかったかと 反省しています。
突然 心臓の発作が起こり、獣医からこの病名を言われ
治らない病気だと言われました。
でも すぐに死んでしまうわけではなく、激しい運動を控え
投薬を続ければ、老後を暮らせるという事でした。
それからはクルマで連れ出さず、近くの 慣れた場所を
ゆっくり歩くぐらいで、時々獣医に行くためクルマに乗る程度でした。
あたしの事を 何でも信頼してくれるあゆみは、
薬を飲ませるのは 簡単でした。
それでも だんだんと元気がなくなって行き、
散歩も短くなって行きます。
休日には、夫が学生時代に登山部で使っていた
大きなリュックサックを出して来て、
元気のないあゆみを背負い 景色のいい懐かしい所へ連れ出してくれました。
また 夫の会社の同僚に肉屋の娘さんと言う人がいて、
あゆみのためにレバーがいいかもしれないと
買ったら高そうな 牛レバーをたくさんくれました。
ちょっとしか会った事がないのに、ありがたかったです。
死ぬ4日前から 何も食べなくなりました。
水も飲まないので、わたやちり紙に水を吸わせ
口の中や周りを濡らしてあげました。
そして 食べなくなったとたんに、歯茎がどろどろと
膿みのように 溶けて来てしまいました。
歯肉炎とか 歯槽膿漏とかでしょうか・・・
溶けて流れる膿みを、せめてあたしの最も気に入りの
ハンカチで 何度も何度も拭きました。
あゆみは 意識ももうろうとして チカラも出ないようで、
あたしが横に行っても 顔を上げるのがやっとの動きでした。
また困ったのは、口の周りの膿みに集まるのか
ギンバエが数匹 あゆみの顔に飛んで来て、湿っている
鼻の穴と口の周りに卵を産みつけたのです。
あたしは 爪楊枝の先を少しつぶして、あゆみが痛くないように
卵を 丁寧に1つづつかき取りました。
その後は ハエを避けるため、あゆみがあまり好きではなかった
玄関の中に入れるようにしました。
向かいの家のおばさんは、あゆみのためにと 家族の古着を
たくさん持って来てくれました。
2頭の美しい紀州犬を飼う 犬の好きなおばさんです。
その古着をふとんにして、あゆみは横たわりました。
後ろ足に もう力が入いらないらしく立ち上がれず、
首だけを上げられる状態でした。
もう食べていないのに、うんちも垂れ流していました。
汚れた所を洗い流すため 玄関の外にあゆみを出すと、
お尻を濡らされるのを嫌がり、手だけで(前足)
カラダを引きずって逃げようとするヤツでした。
無理無理にうんちを洗い、玄関を洗い流し、敷物を交換。
口の周りを汚す膿みがあれば、顔も洗う。
晴れた暖かい日は、外で日光浴。
そうやって あたしはできるだけの事をしました。
もう動けないし 獣医に連れて行くのはやめようか…
そう夫に言うと、なんとか行けるうちは行ってあげようと言われ
そうっとシャンプーして 連れて行きました。
こんなに具合が悪いのに、洗ってあげると毛がふわふわにふくらみ
外見だけは、元気そうな美しいシェルティになります。
あゆみが死ぬ前に 同じ市内に住む夫の両親が
見舞いに来てくれました。
あたしたち夫婦が交通事故の時など あゆみの世話をしてくれた
犬好きの義母に、最後のあいさつをするかのように
横になりきりで動かなかったあゆみが、顔を上げたのです。
おかあさんは 涙を流し、あゆみをなでていました。
翌朝 あゆみは死んでいました。
いつも、以前から もしあゆみが死んだら… と考えるだけで
涙がどーどー出ていたのに、この1年 看病しながら
覚悟というものが生まれたのか、あまり泣きませんでした。
向かいのおばさんは、涙をぽろぽろと落としながら
その涙をふきもしないで、よその犬の死骸なのに からだを
なでてくれました。
夫は、我慢していたのが おばさんを見て耐えられなくなったのか、
涙を散らしながら 洗面所へと走り去って行きました。
遠く千葉に住む友人のへーさんにも 電話で知らせると、
電話の向こうで 泣いてくれました。
たくさんの人から、あゆみは かわいがってもらっていた・・・
病気の犬でも 年寄りでも、看病できる時間を持てるという事は
だんだんに相手が弱って行き、死んで行くのを見届ける
という事ではないでしょうか。
そうして こっちも相手も、死ぬ という事を 身でも心でも
わかって行き、自然と覚悟ができて行くのだろうと思います。
そうすれば、ペットロス症候群という事も
最小限におさえられるような気がします。
「死」も じんせいの一部と思っていいのだと思います。
→あゆみと 以心伝心