太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2006.06.30
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カテゴリ: アラカルト
人間として生を受けた以上、死を避けることはできません。
ですから、死もまた人生の一部だとして受け入れることです。
死から逃れられない以上、無闇に死を恐れるよりも、むしろ親しむべきだと思います。
生を軽んじる風潮があるのは、実は死を知らないからだと思います。
小さい頃から、死を受け入れ、死と親しむことです。そうすれば、いざ死が近づいてきても、恐怖は遙かに小さいはずです。

死と親しむためには、昔のように老人と一緒に生活することです。
人間は誰もが老い、そして死んでいく。その姿を子供たちに見せることです。
そして、できれば家の畳の上で死を迎えたいものです。
無理に命を引き延ばす病院での延命措置は、却って人間の尊厳を傷つけているようにも思われます。


◆ヒンズー教徒は、死期が近づくとベナレスに行ってガンジス河で身を清め、「死を待つ家」という施設で静かに死を待ちます。その施設では、死ねばガンジス河に流すことによって、魂は神のもとに行き、解脱できると教えます。

死期が近づくと、そんな死を待つ家に家族揃って出かけて起居を共にします。
そこでは、一切の医療行為は行われず、ただ死を静かに待つだけです。
死を迎えた老人は、「ラーマ、ラーマ」と、つぶやくように神の名を唱えます。
ベッドに横たわる老人には、常に家族が寄り添い、手を握り、腕や足をなでさすり、聖典を読み、神をほめ讃える歌を歌い、思い出を語り、受けた恩への感謝を述べます。
そんな濃密な家族の絆に包まれて迎える死は幸せだと思います。

インドでは、死も生も共存しています。
聖なるガンジス河の畔では、死体が次々と薪の上で焼かれ、焼かれた灰はガンジス河に流されます。
そのそばでは、ヒンズー教徒たちが水に浸り、口をすすぎ、合掌しています。
時には、死体が焼かれている地点から程遠からぬ場所で、新郎新婦が僧侶から祝福を受けています。
本当の人間の姿を象徴しているように、死ぬ場所と新しい生活を迎える場所とがインドでは共存しているのです。


核家族になって、老人は子供たちと別々に暮らすことも多くなっています。
老人ホームに入る場合もあります。
そして、点滴など何本もの管につながれ、医療機器に囲まれて病院で寂しく死んでいきます。
そんな状況の中では死に親しむことは不可能です。また、死を恐れるなと言っても難しいことです。

インドの現状と日本の現状と、果たしてどちらが人間にとって幸せなのでしょうか?





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Last updated  2006.06.30 05:38:57
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