太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2006.07.07
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カテゴリ: アラカルト
葬式について、南直哉禅師が次のように語ってみえます。
「葬式は、死んでしまった人はもうこの世のことは全部お終いになっているのだから、別れが身にしみて耐えている『残されて生きている人たち』のためのものである。
別れとは、残された人が、それまでのいろいろな行きがかりやしがらみ、愛憎悲喜万般をご破算にして赦すことである。愛憎も生前の積もり積もった屈託も、そこで断ち切らなければならない。
葬式でするのは、その断ち切りであり赦しである。

本人が断ち切り難く赦し難いものを、儀式の形を借りて強引に切らせ、けりをつけてしまう。
『引導を渡す』というけれども、これは死者に渡すと見せかけて、その実、残された人に渡しているのである。
そして、私たちは死んだ相手を赦し、今度は仏に対して、恐らくは有ったに違いない自らの罪を仏から赦されなければならない。拝むとは、仏の前で自分を省み、自分を変えていき、生き方を深めていくことである。それが本当の供養であり、『彼の死を無駄にしない』ということである。
何も変わらなくては、彼の死がムダになる」

◆また、仏教における葬式の内容は得度式であるとも聞きました。


得度式では戒名(法名)をいただくが、たった一度のかけがえのない人生を、わがまま気ままな私の思いを先とせず、「天地の道理、仏戒に従って生きてまいりましょう」という誓願を起こしたときにいただくのが戒名です。
ですから、本来は死んでからいただくのでは遅いわけで、天地の道理、生き方を聞く耳、読める目、それを行ずる体のあるうちに、一刻も早くいただくものだそうです。

「泥多ければ、仏大なり」という言葉があるが、泥(人生の悲しみや苦しみを象徴)は仏をつくる大切な材料であり、泥を嫌っては仏は作れません。
しかし、泥はあくまでも泥であり、泥を仏として昇華させるには、その昇華の方法を学ばなければなりません。泥を肥料として仏を作り花を咲かせていけるように、此岸(煩悩の世界=現世)から彼岸(浄土)へ導くことを引導といいます。

だから、生きているうちに戒名をいただいて引導を渡してもらうのが本筋といえます。





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Last updated  2006.07.07 04:44:24
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