太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.01.06
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私たちは、この世に修行に来ているのだから、苦があるのは生きている証拠です。
その修行が終わった者からあの世に帰れるというが、苦から逃れる唯一の方法は死を賜ることです。そう考えると、法然の言葉(極楽は日に日に近くなりにけり あわれうれしき老いの暮れかな)も納得がいきます。

でも、もう人生の第2期までで十分に苦も味わったのだから、せめて第3期の人生くらいは、ゆったりと面白、可笑しく生きたいものです。
それには、過去を悔いたり、将来の「老病死」を思って不安を抱くのではなく、それらは避けられないもの、その時はその時と達観して生きていくことです。
誰にでも等しく訪れる死という現実。これに向き合い、受け入れることで、よき生に繋げることが、第3期の生き方としては大切だと思います。

だが、生きる時間は限られているという事実は明白なのに、それをあまり意識することもなく、いや永遠に生きるかのように思って、ダラダラと過ごしがちです。
死と向き合うということは、限りある時間と命の尊さ、大切さに気づくこととも言えます。「いま死んでも悔いはないか」と死を身近に考えることによって、今の生き方が充実した人生であるかどうか、生き甲斐を持った生き方をしているかどうかを省みる機会としていきたいものです。

命とは時間であり、時間の使い方そのものが命の使い方と同じだと思います。
ところで、自分の命を愛おしく思わない人はいないはずだが、「あなたは今という時間を大切に生きていますか」と問われればどう答えますか?

人生を、つまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、すべて自分の時間の使い方の結果であり自己責任ともいえます。

「私から年齢を奪わないで下さい。これは、私が年月をかけてつくった私の財産なのだから」と言った人がいるが、年齢は隠すものではなく、それ相応の重みのあるものとすべきだと思い知らされました。
真に「私の財産」と呼ぶことのできる時間とは、自分の魂を豊かにし、人の役に立つものであるべきです。

世の中には年齢を気にする人が多いが、今までどんな生き方をしてきたとしても、「年齢とは私の生きた証であり誇るべき財産である」と誇れるものでありたいと思います。
幾つになっても、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないもので、自分の生きた命には意味があり、いつも楽しかったと言える歳の重ね方をし、財産としての年齢を死ぬまで重ねていきたいと願っています。





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Last updated  2014.01.06 06:41:28
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