太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.06.29
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仏教でも「この世は苦なり(一切皆苦)}というように、私たちは生まれた瞬間から四苦八苦(生老病死ほか)の世界に放り込まれます。
だから、苦があるということは生きている証でもあります。
死ねば、一切の苦から解放されるのだから、これ以上の幸せはないともいえます。
でも、「苦しい、苦しい」と言いつつも、何時までも生きたいと願うのが私たちです。

古代ギリシャにも次のような神話があります。
母親がヘラ女神の社に詣でる必要があったが、あいにく牛車に使う牛が畑仕事に出ていたので、長い道のりを二人の息子が牛の代わりになって牛車を引いて行きました。
用事が済んだ母親は、「あの孝行息子たちのために、この世における最高の幸せを授けてあげてください」と神様に祈りました。
すると神はこの祈りを聞き入れられ、疲れて神殿で眠っていた二人の息子は、二度と再び目覚めることはなかった・・・。

子供が若死にすれば、嘆き悲しむのが普通です。

仏教でも「生によって苦が始まり、死によって苦が終わる。修行の終わった者からあの世に帰る」と教えるように、この神話は「若死には必ずしも不幸ではない。ましてや神罰ではなく、神が人間に与えられた最高の幸せである」と教えています。

私など早く逝きたいと言いつつ、修行が足りずに未だに生きています。





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Last updated  2014.06.29 04:44:45
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