太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.07.21
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家族を始めとする共同体が完全に機能していた時代には、人は死んでも、共同体の中では生き続けていたから、それぞれの個人は死を恐れる必要はなく、死体の保存にこだわる必要もなかった。
マダガスカルでは、人は祖先になるために生きたので、死といわず、「祖先になる」と言って、死を怖がらなかった。
しかし共同体という時間を超越した居場所が無くなって、生と死は分節され、人は寂しく死ななければならなくなった。
老いて死ぬ人が共同体のかわりに頼るのは、社会保障と立派なお墓である。

立派な墓も、共同体が消えたことの補完物であった。
共同体がしっかりしていれば、墓はどうでもよかったのである。
墓の延長上に、建築や都市というモニュメントがある。
安らかに死ねない人が、立派な墓を作り、その延長として立派な建築を作るのである。
安らかに死ねないから、立派な建築や、都市を作って、死を隠蔽しなければならないのだと、僕は感じると養老孟司東大名誉教授はいう。


臨終間近となり、家族が集まって談笑していた次の間で横たわっていた。
何気なく、私が隣の部屋を覗きにいき、鼻に手をかざしてみると息がなかった。
機械に頼ることもなく、近くで家族の談笑を聞きながら、静かに去っていった親父の死は、生と死が連続していた。

また、人は身近な人の心の中で忘れ去られない限り生き続けています。
そういうものが期待できない人は、「私を忘れないで」、「私はこんなに立派な人だったのだ」とモニュメントを欲するのかも知れない。
「認めて欲しい」というのは、子供から大人までの根源的な欲求である。
でも、そんな欲求って、虚しいと思いませんか?
私は、命のバトンタッチもしたし、あとは静かにフェードアウトしてゆくのみ。
「葬式もお墓も遺された者の心の問題、お前達が必要性を感じなければ無くても良い。私には無用の物だから」と言っています。





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Last updated  2014.07.21 05:19:38
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