朝吹龍一朗の目・眼・芽

朝吹龍一朗の目・眼・芽

幽霊  第十一回から第十五回


 結局この晩も深い眠りに落ちることなく、欲求不満の仮眠のような時間を過ごした翌朝は日曜日である。どうせ眠れないのだからと若さに任せて7時にレストランへ降りて行くと泊り客はおろかギャルソンすらいない。一応ビュッフェとしての体裁を整えるだけの料理は出ているのだが、取り分けるためのカトラリーが用意されていない。入口であきれているとやがてコックさんの帽子をかぶったシェフが出てきてフランス語でどうぞどうぞと言う。

 どうぞどうぞと言われてもナイフもフォークもないぞと言い返すと、奥からがちゃがちゃさせながら若い少し太ったギャルソンヌが籠ごと食器を持って現れた。その籠の中からよく磨かれたステンレスのナイフとフォークと小ぶりのスプーンを取り出し、決してまずい料理ではないのだが、昨日からのこともあり、ほんの20分ほどで朝食を切り上げ、N**市の中心街へ向かってシタデル(城塞)の中を降りて行った。すでにかなり明るく、上天気が空いっぱいに広がっている。

 博物館や美術館が開く時刻ではないので、まずは教会を目指して探検を始めることにした。目抜き通りともいえる高級ブティックが軒を並べる一角には12世紀に基礎ができたという聖ヨハネ教会がある。しかしこの建物は繁華街のど真ん中にあることも災いして規模を拡大することができなかったようで、非常に不規則な形をしており、森之宮は入口すら見つけることができずにその場を後にした。

 次に向かったのは聖ルー教会で、こちらは8時半だというのに中で飾り付けをしている。昼から展覧会だそうで、とてもゆっくり瞑想に浸る雰囲気ではない。ここもそそくさと離れることにした。

 最後に向かったのがこの地域(司教区と呼ぶらしい)で一番大きな教会、司教座聖堂でもある聖オーバーン教会である。ホテルでもらったN**市のガイドブックによると、18世紀にバロック様式で建てられたベルギーを代表する建築、とのことだった。

 正面入り口はかぎが掛かっているらしく、押しても引いても動かない。仕方なく入口左にかかっている木製の看板を見ると、ミサの時刻が記されているのに気づいた。日曜日は8時半、10時、11時半、それに18時半のようだ。しかし8時半と11時半は糊で貼った紙がはがれたような跡がある。もしかすると、敬虔と言われるフランス系カトリック教徒も最近は朝早くからのミサには来ないのかもしれないと思って内心微笑したくなる気分になる。

 しばらく待っていると9時である。教会の中からごとごとと重そうな音がして、やがて扉が外に向って開いた。出てきたのは背の低い東洋人で、体を入れ替える感じで中に入った森之宮を追い出しにかかる。おむすび顔で目が吊り上がっている。なんとなくいやな感じがする。英語で見学してもいいかどうか問いかける森之宮に、ものすごく訛りのあるフランス語で、信者以外は来るな、と言った。なんとなくではなく、完全にいやな感じになった。これから再びドアを閉めて掃除を始めるのだという。

 釈然としない気分でドアを離れ、広々作ってある階段をゆっくり下りた。あいつ、お化けじゃないかと思った。西洋の、いや、中国の。何と言ったか、そう、キョンシー。足のあるお化け、と思った。これでちょび髭かどじょう髭でも蓄えていた日には、まるで漫画だ。さあ、次だ。

 今回の学会発表に出発する前に、学生時代に付き合っていた美大生に電話していくつかアドバイスを仰いだ。美人だったが森之宮とは何も起こらなかった仲だった。久しぶりに聞く声は弾んでいて、物理的な距離を感じさせない明るさが製造現場をはいずり回っている日々の森之宮の暮らしとの心理的な距離をいやでも際立たせた。それを少しだけ我慢して、N**市に立ち寄るならどこへ行けばいいかとたずねると、勧めてくれたのがロップス(Rops)という聞いたこともない画家の個人美術館だった。

 その入口には予想通り10時から18時開場と書いてある。あと一時間、さして広くもない町である。S**川沿いを上流にしばらく歩いて修道院をのぞいたり、その先の「武器庫」(Arsenal)という表示のある細長い建物をぐるりと巡ったりして時間をつぶした。頻繁に目にする犬の糞以外はよく整備された美しい町だ。ほんの20メートル程度しか幅のないS**川は、日本の同様の規模の河川からは想像できないくらい、驚くほどゆっくりと流れている。住民たちの主観はともかく、客観的にはこの流れと同じように時間も過ぎてきたのだろう。

 10時ちょうどにフェリシアン・ロップスの美術館の前に戻った。まだ人通りは少ない。大声で話しながら店先を掃除するおじさんや、ぺちゃくちゃとあまり標準的でないフランス語をしゃべり続けるおばさんたちがぱらぱらいるだけである。

 さて、と。オープンは10時からのはずだが、これまた押しても引いてもドアが開かない。今日は押しても引いてもダメなんだなと思っていると、小さな犬を2匹つれたおばあさんと、同じような体格の犬を1匹だけ連れたおばあさんが二人連れ添って歩いてきた。二人とも一目で幸せな老後を送っているとわかる服装と物腰である。

 森之宮の苦戦を見てとった「2匹連れのおばあさん」のほうが、今日からは冬時間です、とフランス語で言ってから、ああ通じない、とつぶやいた。いかにも東洋人然とした森之宮にはフランス語なんてできっこないと頭から思いこんでいるらしい。

 あまりうまくない英語で言い直してくれる。今日からヨーロッパは冬なのです、だから1時間遅いのです、という。冬時間は11月1日からだと思い込んでいた森之宮はびっくりした。10月の最後の日曜日の朝の2時が再び1時になるのだという。なるほどその方がビジネスアワーが狂わなくていいのかもしれないが、それはそれで面倒だろうなあと思いながら、おばあさんの時計を覗き込んで時刻合わせをしていると、連れていた犬が2匹揃ってそれぞれ森之宮の右足と左足の裾におしっこをかけた。

 あらあら、ごめんなさい、そういうわけで美術館が開くまで1時間あるから、うちでお茶でも飲んで行きなさい。その間にズボンも洗って拭いておきます、と言いながら高価そうなレースのハンカチを惜しげもなく広げて、ポワン、ロゼ、と呼ばれた2匹の子犬の粗相を吸い取ってくれる。

 ロップスの美術館からほんの3ブロックほど離れた所がおばあさんの家だった。通りに面しているアーチをふさいでいる大きな木製の扉を開けると、両側に入口のドアがあり、5メートルほど先には見事な中庭が見える。ちらりと薪が積んであるのが目にとまった。街中でも薪が現役の燃料なのだ。おばあさんが左側のドアを開けて階段を登り始めるので、森之宮はそれ以上中庭を観察する余裕がない。

 踊り場ひとつを過ぎて2階がめざすお宅らしい。犬たちも慣れた足取りで背丈ほどある階段を飛び跳ねあがってくる。ドアを開けて森之宮は思わず靴を脱ぐ気になったが、おばあさんが暗い廊下をさっさと先に行くので脱ぐチャンスを逸してしまった。もちろんそのおかげで妙な恥をかかずに済んだわけだが。

 日本間にして8畳が2つくらいつながった広さの応接間に通される。刺繍で彩られた硬めのソファに座っているとおばあさんがキルトのスカートを持って現れ、手早くズボンを脱がせると再びドアを閉めて出て行った。

 しばらく待っていると今度はコーヒーを持って戻ってきて、あと30分くらい、しみぬきと乾燥にかかるけれど、それでもまだ10時にはならないから心配しなくても大丈夫だという。それだけ言うとおばあさんは森之宮の向かいの椅子に座って口をつぐんだ。

 静かな日曜日、冬時間を勘違いしていたために思いがけず拾った静謐で豊かな時間。

 その安らぎを壊すような勢いで上半身濃紺、下半身白の服装の女性が転がり込んできた。


 アンジェだった。


第十二回
どうしてKimiはここにいるのでしょうか、と目を丸くしながらアンジェがしかししっかりした英語で言った。おばあさんは声も出ずに森之宮を見つめている。アンジェとおばあさんを交互に見ながら森之宮は言葉が出て来ない。

 やがて言葉を発したのはまたしてもアンジェである。この人はホテル・シャトー・ド・N**のお客様で、私が給仕しました、だから知っています。するとおばあさんがこの人は私の孫なのです、と森之宮に向って言い、アンジェに向っては、ポワンとロゼがこの人におしっこをかけたのです、と言った。そして、これはサンチュベールのお導きですね、と付け加えた。

 これで3人の緊張がほぐれ、アンジェは勧められる前に森之宮の左隣に微妙な距離をおいて座った。
「サンチュベールとは何でしょうか」
 あまりにも情感のない問いであることを重々自覚しながら、自分にはでも結局これが相応しい問いなんだと納得し、自分を慰めながら森之宮が言った。

 二人の説明を総合すると、サンチュベールすなわち聖ユベール(Hubert)で、N**市の守護聖人であると同時に狩りと動物たちの守護聖人で、今日がそのお祭りの日だという。

 ちょうどこれからサンチュベールのお祭りに出かけるというアンジェの上半身濃紺、下半身白のいでたちは、あらためてみれば昨日と同じ乗馬姿である。ギャルソンヌをしていたときの少し前かがみで猫背にも見える姿勢とは打って変わって、男の目から見てもとてもりりしい。

Galante!(りりしいね) 
Mais non femme galante(でも売笑婦じゃない)
Femme fatale?(悪女、かな)
Je suis la barque fatale? (私は運命の小舟? 「地獄の渡し船」という意味が
あることを後で知った)
 それだけ言うと、とろけるような微笑を森之宮に送り、さっと振り向くなりバタバタと音をたてて走って出て行ってしまった。

 嵐のようでしたね、とおばあちゃん、マダム・ロレーヌがため息交じりに言った。
「ホテルでも逢ったし、昨日もD**近郊の立派な城でも会いました」
森之宮がやや真面目な顔をして答えると、ああ、あの幽霊の出る城のことですか、と即座に訳知りの答えが返ってきた。笑っている。

 かいつまんで幽霊のまねをした話をして、アンジェに知らん顔をされたところまでを遠慮がちに伝えると、ロレーヌおばあちゃんは大笑いしながら、あなたはいい人、Vous etes un bon garcon. と言った。

 そう言うなり、顔を改めて、ああ、bon。なんていい加減な形容詞。散文向き。でもボンギャルソンだから知ってほしい。これからお話しすることは散文ではない。と言ってアンジェのこと、その母親のことを語り始めた。もちろんフランス語である。森之宮はすでに聞き耳頭巾の有利性を捨てている。

 d'enfant hors mariage(私生児)。彼女の母親がフランス人貴族の息子の家庭教師をしていたときにみごもった。父親の子か、息子の子か、どちらの子供かすらわからない。結局父親のほうが認知した。少し前のめりになって歩く。必ずしも姿勢が良くない。本当の貴族ならもっと胸を張って歩いて行けるのに。

 森之宮はこんな深刻な話なのにまっすぐ自分を見ながら語り続けるマダム・ロレーヌを正視できないまま、前にあるティーカップを見つめている。

 明るく育った。さして苦労せずにEcole polytechnique(注1)に入学した。でも、自分の出自を知ったとき、心が、こわれてしまった。Schizophrenieになった。結局、Ecole polytechnique は休学して、こうして静養を兼ね、私のところにいる。母親もEcole normale(注2)出身で、文系だけれど優秀だった。その間にフランス語訳の日本文学――きっかけは川端康成の千羽鶴だった――に興味を持って、日本語の勉強も始めた。そこに、と森之宮の背後の棚を指差した。千代紙でできた、あまり器用でない折り鶴が飾ってあった。

 同じ棚の上にカードケースがあって、中には日本の千代紙が数十枚入れてある。森之宮はマダム・ロレーヌが表情で促すのに従って中から一枚をとり、さっと鶴を折りあげた。何と上手なのでしょう、とおばあちゃんがほめてくれる。こっちは私が折ったのですが、ボンギャルソン、さっきアンジェはKimi、と呼んでいましたね、Kimiの作品を飾ることにしましょう。そう言いながらご自分の鶴を丁寧に開き始めた。

 このOrigami(折り紙)を開いていると、開くにつれて思い出がおぼろ(Vague)になってきます。数々の橋の下を水は流れたのです。(注3)
「ミラボー橋の下、というのはそういう含みがあるのですね」
森之宮が言うと、マダム・ロレーヌはアンジェのように大きい孫がいるおばあさんとは思えないようなつやの肌に少しだけしわを寄せて、Sous le pont Mirabeau coule la Seine.(ミラボー橋の下、セーヌは流れる)アポリネールも知っているのですね、と笑って褒めてくれた。そうなのです、月日は流れ、わたしは残る(Les jours s'en vont je demeure.ミラボー橋の詩の続き)のです。さあ、そろそろロップスの美術館も開館時間です、あなたはここに残ることなく、お行きなさい。

 そう言うロレーヌおばあちゃんの目に老人性でない涙が浮かんでいるのを森之宮は見逃さなかった。そして、その悲しみをいつか共有しようと思った。

 きれいにしみ抜きされたズボンをはいて外に出ると、10時、そう、冬時間の10時、昨日までの11時なのだが、天気が良い割には肌寒い。ロップスの美術館内は暖房されていて、ほんの3分寒風にさらされただけの体に心地よい。まだほとんど観覧者はいない。常設展のほかに、特別に「Arbre(木)」についてのロップス以外の小品を集めた展覧会も開かれている。ドリアードという木の妖精が女性と交合しているような、日本では到底展示できないエロチックな絵である。アンジェに似た若い女性が悶えている絵柄を見つけた森之宮は思わず赤面し、周りに人がいないことを確かめてほっとした。

 もちろんそれ以外の主題の絵もたくさんある。一種独特の、しかし確実に高い芸術性と風刺性を併せ持った絵を12時近くまでゆっくりと眺めてからN**市の街並みに戻った。

 さして遠くないところからファンファーレが聞こえてきた。


(注1)Ecole polytechnique:エコールポリテクニーク、理工科学校と訳される。フランス最高峰の大学校。ちなみにフランスでは理系と文系の地位が日本とは全く逆で、たとえば高級官僚にEna(国立行政学院)以外の文系はあまりいない。
(注2)Ecole normale:エコールノルマル、高等師範学校と訳される。高等教育機関の教員の養成機関。日本の教育課程を持つ大学とはレベルも役割も違う。                                
 両校ともフランスを代表する超エリート養成機関。
(注3)フランス人は「いろいろなことが起こった」「いろいろなことが起こるだろう」という言葉の代わりに、「数々の橋の下を水は流れたのです」「これからそのときまでに、橋の下を水が流れるだろう」と言う。(斎藤愼爾)


第十三回
ファンファーレの音源はいわゆるビューグルだった。音の方に歩いて行くと、ほどなく聖オーバーン教会が見えてきた。教会前の広場には騎馬隊が勢ぞろいしている。馬だけではない。飼い犬や、豚までいる。かわいいポニーに曳かれた小さな馬車にのった子供達もいる。なるほどこれが年に一度のサンチュベール(注:聖オーバーンのフランス語読み。念のため)のお祭りなのだろう。たどりつけそうにないほど高い蒼穹に、シュークリームのように褐色の雲が張り付いている。寒気が広場を覆い尽くしていて、馬1たちの吐く息はみな白い。ファンファーレの音はホルンのようにくるくると巻かれた楽器が出しているのだが、奏者たちは教会のほうを向いているがホルンの音の出る口、ホーンは広場を向いている。なるほど、オーケストラやブラスバンドで使われるホルンのホーンが後ろを向いている理由がわかった。自分たちは指揮者の方を向いたまま、音を後ろにいる参列者に向かって聞かせることができるのだ。

 森之宮はトランペット吹き、Buglerだった。学生時代の思い出が一瞬のうちに蘇り、不覚にも涙がこぼれてきた。

 やあ、Japonais!(ジャポネ。日本人)、泣くことはない。

 童話、いや、今ならテレビゲームのロールプレイングゲーム出てくると分類したほうが通りやすいかもしれない、ドワーフのような短躯小太りに白いあごひげのおじさんが声をかけてきた。

 きょうはサンチュベールの日だ。フランス語で言ってから、ちょっと待って、S'il vous plait attendez un petit! と言って、たどたどしい英語で説明してくれた。

 今日はChasseの日だ、ああ、Chasse! English! No! 森之宮が「Is it means Hunting?」と補足すると、そうだそうだ、ハンティングだ。サンチュベールはハンティングのsaint du protecteur(守護聖人)なのだ、と言った。狩人の守護聖人でもあり、野生動物や家畜の守護聖人でもあるのだという。

 しかし狩人と狩られる動物の両方の守護聖人というのも何となく釈然としない。ふと小学校の時に習ったピアノの練習曲を思い出した。森之宮は大学のオーケストラでトランペットを吹くまではずっとピアノを習っていたのだが、ブルクミュラーの25の練習曲の真ん中より少し前に出てくる、「狩り」という曲で、ハ長調のトニックが転回しながら始まる前奏に続いて軽快な長調と短調が交互に出てくる。その頃は狩りをする側とされる側の気持ちなのだろうと思いながら弾いていた。そういえば曲名の「狩り」の横に、La Chasse と書いてあって、習いたてのローマ字読みで「ラチャッセ」ってなんのことだろうと思ったこともついでに思い出し、なるほどもしかするとブルクミュラーはこの曲で狩りの守護聖人を表現したのかもしれないと考えた。

 考えながら、そしてドワーフおじさんの話もちゃんと聞きながら、目では一生懸命アンジェの姿を探していたのだが、なかなか見つからない。見つからないうちに、ミサを終えたらしい司教が表に出てきて、騎馬隊に向って何か説教が始まった。ドワーフおじさんが汗をかきかきしてくれた通訳によれば、今日は狩りはしないで動物たちに優しくしなさい、これから動物たち用のマナを配ります、とのことだった。見ていると、野球ボールくらいの大きさの少しやらわかめのフランスパンが聖職者たちの手から馬や犬や豚に配られ始めた。まだアンジェが見つからない。

 ぼんやり立っていた。
 大きくて真黒な塊が森之宮の前に出現した。仰ぎ見るとアンジェがいた。少し行きすぎて馬体を戻すと、夕方、ホテルに迎えに行きます、夕食を一緒に取りましょうと声をかけてきた。馬の大きな黒い目とアンジェの切れ長で青い目の両方が森之宮を見おろしている。馬の額にある大きな白い点がまるで星のように印象的で、アンジェは自信たっぷりに星を乗りこなしているのがよくわかる。

 星に乗った天使か。森之宮が急いでうなずくのを確認すると、Etoile(エトワール。星)、行こう、とアンジェが声をかけ、再び馬体を翻すと先頭で旗を持った少女に遅れないように追っいった。やっぱりあの馬は「星」号なんだ。森之宮は変に納得し、ついでに『貴婦人の乗馬』と訳されているブルクミュラーの練習曲の最後の曲を彷彿とさせる鮮やかな騎乗振りだと思った。次のソナチネに早く進みたくて、いい加減な仕上がりのまま先生に大甘の合格をもらった、いささかほろ苦い思い出のある曲だ。

 陳腐な表現に聞こえるかもしれないがあえて書けば、文字どおり嵐のような一団が去った後の大聖堂前広場は、食べ残しの丸く焼いたフランスパンと、よく似た色をしている馬の落し物で茶色くなっていた。においもしてくる。その落し物を避けることなくきれいなハイヒールでふんづけていく妙齢の女性が結構いるのに森之宮はちょっとだけ驚いた。

 あの一団は町じゅうを走り回ったらしく、石畳のそこここに茶色いものと蹄でひっかいた白い跡が残っている。都会育ちの森之宮には心の底からは共感できないものの、入社してからずっと過ごした工場のある地方都市なら中心部をほんの少し出外れればおなじみの臭いである。しかし見渡す限り石造りの街全体がなんとなく田舎の香水にまみれているにはさすがに違和感を禁じえない。逆に考えれば、それがこのN**市の田舎たるゆえんなのかもしれない。

 そんなことを考えながら旧市街の外側をめぐっている広めの道路に出ると、郊外と思しき方向から大きなトラックが荷台一杯に乾し草を積んで走ってきた。まだ市内で飼い葉が必要であるという証拠だ。そういえばアンジェの愛馬、エトワールはどこに飼われているのだろう。少なくともあの家には厩(うまや)はなかったけれど、同じように中庭を持った家にはもしかしたら馬が飼われているのかもしれない。

 最初に行った、市街中心部にある聖ヨハネ教会の隣に小奇麗なアンティークの店があり、その奥ではちょっとした昼食をとれるとのことで、サンドイッチと称するフランスパンにハムや野菜をはさんだものを食べた。これにコーヒーをつけても約200円である。あのホテルのディナーの値段を思い出していささかいまいましくなった。

 満ち足りた気分で、午後は学生時代に付き合っていた美大生に教えてもらっていたいくつかの博物館を回ったり午前中の大騒ぎでほとんど疲れてしまったかのような静かで美しい街並みをゆっくり散歩したりして、結局ホテル・シャトー・ド・N**に戻ったのは5時ごろだった。

 鍵を受け取って部屋に戻った途端、見透かしたようにちりんちりんと電話が鳴った。飛び上がってとりついた。

 アロー!

 アンジェの声が聞こえる。耳元で叫んでいるかのような近しい感じがした。今日はサンチュベールの祝日だから馬車で迎えに行くという。まだ雇いの馬車が健在なほどN**市は田舎なのです、パリでは考えられません、とアンジェが付け加えた。

                             (続く)

第十四回
ものの5分もしないうちに例のちりんちりんが聞こえた。アンジェがドアの外の紐を引いたのだ。ベージュのベールがついた黒い帽子をかぶり、黒くて毛先が鮮やかに光るふさふさした毛皮のロングコートの前をはだけ、同じように黒いシルクのワンピースを着たアンジェが立っている。胸元に光るのはダイヤだろうか。

 おととい同様、ククーッという鳩時計のまねをしたおどけたしぐさをしたが、左のほほが耳の方に引っ張られていて、顔が左右対称でないのにすぐ気がついた。森之宮のそんな観察がどこか顔に出たのかもしれない。アンジェは逆に森之宮に対して緊張していませんか、と真顔で言うとフロア全体に響き渡るほど大きな声であははは、と笑いだした。

 笑いながら森之宮の左の腕をとり、右手で背を押しながら出かけようとするので、急いで鍵を取りに戻り、マネークリップにさっき両替したベルギーフランの束がちゃんと挟まっているのを確認し、出発3日前に手元に届いたクレジットカードが財布に収まっているのもチェックした。ついでに、大急ぎで作ったこのカードも使ってみると結構便利なもので、ホテルのデポジットも要らないし、支払いも、当たり前だが本当にサイン、それも日本語の漢字のサインで済ますことができるのにいまさらながら驚いたのを思い出した。

 しかしそんなバカなことを話題にするのもはばかられるので、中学時代に生徒会長を争ったカール(佳有と書いてカールと読ませた。父親がボンの日本大使館に勤務している時に生まれたそうだ)というバレーボール部主将でもてもてだった男の口癖を思い出した。

「似合いのコートですね、素材は何ですか」こういうときはまずは服装を誉めて、たとえ知っていてもデザイナーやブランドを聞くものだ、というのがカールのアドバイスだった。
Il est la zibeline. 黒貂(くろてん)です、というアンジェのこたえはいささか素っ気ない。隙あらばVeuillez m'epouser(結婚して下さい)くらいは言ってやろうと思って、重くなるのを承知で持ってきた黄色い表紙の仏和辞典のJのあたりをみていると、アンジェは最後の方のページを開いた。Zで始まるフランス語の単語なんて滅多に目にしない。黒貂がzibelineであることがわかって辞書から顔をあげると同時に階段の最後の一段を踏み外した。

 いつの間にか森之宮の左腕にはアンジェの右腕がしっかり通っていて、すっこける小柄な男をやや大柄なしかし華奢な女性がかろうじて支えるという図柄になった。これで完全にアンジェの緊張はほどけたように見える。青いというより黒目が白く見える目が森之宮の間近に迫っていて、唇を合わせるより目と目を物理的にくっつけたい衝動にかられた。でもまだ自分は正気だと森之宮自身は思っている。

 フロントに鍵を置いて玄関を降りようとすると、七分丈のぴっちりした黒いズボンに白い五分袖のシャツ、それにこれも黒い前ボタンのベストをまとった御者が待っていた。黒光りする4輪の箱型の馬車である。曳いているのはたてがみの長い、白い馬で、膝のあたりにリングのように飾りを巻いていた。昼間見たアンジェのエトワールより一回りがっちりしていて、いかにも馬車曳き馬という感じがする。

 ほとんど音がしないくらい丁寧にドアを閉めると、前方に器用に回り込んだ御者が掛け声とともに御者台に飛び乗り、ぴしりという鞭の音が聞こえるより早く馬は走り出した。ちょうど耳の高さあたりに手品に使うような丸い金属製のリングが取りつけてあるのには乗ってすぐに気がついた。吊り輪のような役目なのだろう、カーブをゆるやかに切るたびに森之宮はそれにつかまることで不用意にアンジェの体に近づかないように気をつけていた。

「どうして昨日は声もかけてくれなかったのですか」森之宮の皮肉ともとれる問いかけにダイレクトには答えず、アンジェはどうしてさっきはホテルのフロントのすぐ横にいたのに声をかけてくれなかったのですかと言った。なんだ、気がつかなかった。電話の声が近かったのは当り前か。ホテルの内線電話だったのだ。それにしてはそのあとずいぶん待たされた。
「それならもっと早く来てくれればいいのに」
 アンジェの答えにはいつも何らかの謎がある。アンジェはLe temps pour voiture. 馬車の時間だと返してきた。こういうのはいかにフランス語会話ができても教養と機智がないと裏の意味まではわからない。素直に降参した。
 どういう意味?
 時間の流れが遅い、という意味です。
 なるほど、わざとゆっくり来たのですね。
 違います、数々の橋の下を水は流れるべきなのです。
 ああ、おばあさんから聞きました。フランス語の決まり文句。いろいろなことが起こるだろうってことですね。
 Grann(おばあ)と言いかけて、マダム・ロレーヌと言いなおした。マダム・ロレーヌとは何を話しましたか、私の病気ですか、家庭ですか、身の上ですか、それとも結婚相手ですか。アンジェは小声だが早口で言いたてる。
 馬車の立てる音はかなりのもので、馬の蹄のカツカツと言う音と鉄の輪がはまった車輪のごろがらからころという響きは自動車の騒音の数倍耳障りであり、かつ車内の会話を妨げる。アンジェの小声、それも気がつくとさっきから全部フランス語のやり取りになってしまっているのをかろうじて聞き分けて、森之宮が答えた。
「折り紙、千羽鶴の話をしました。折り紙をほどくとすべてがイリュージョンになってしまうそうです」

 さっきからわざとではないかと思うくらい遠回りしながら走っていた馬車が、ようやくM**川に架かる橋を越えようと急カーブを切った。二人の体が大きく揺れた。

 ばか。森之宮の手がリングをしっかりつかんでいるのに気がついたアンジェは突然そう言うと、体を翻して森之宮の手をつかんだ。顔と顔が異常接近している。アンジェの右手がリングをつかんでいた森之宮の左手を押さえ、左手は馬車のシートにだらしなく置かれていた森之宮の右手を取った。きょうは、狩りをしてはいけない日だと、司教様がおっしゃっていました、Kimiを狩るのはやめます、それともKimiがわたしを狩りますか、それとも、すでに狩られた獲物を食べますか。今はSauvage(ソバージュ、野生の)おいしい肉が手に入ります。ジビエと言います。

 そうだ、ジビエだ。もうこの緊張感には耐えられない。森之宮は血圧が上がって顔が真赤に充血し、心臓の鼓動はアンジェの耳に確実に届いていると確信できるほど大きな音を立てている。ソバージュって女性の髪型の名前かと思ったが、実は野性的という意味もあったのか、会社の事務の女性のなかにそんな髪型の人もいたが、あまり野性的な性格ではなかったような気もする、ズボンが不随意的に窮屈になってしまって位置を直したいのだが両方の手を拘束されていて身動きが取れない、いや、動きたくない。

 天使ににらまれた凡人だ、ちがう、天使に微笑まれた幸せな男だ、そうでもない、ほほえみのかげになにがあるかわからない、てんしといってもみかえるやせらふぃむではなくて、るしふぇるのなかまかもしれない、どっちでもいいしあわせなきぶんだアンジェ、Je vous aime!(ジュブゼム。あなたがすき)

 Mais non!(どうして)アンジェがいきなり身を離して強い口調で言った。


第十五回

 どうしてvousなのでしょう、どうしてtu(おまえ)と言ってくれないのでしょうか。これ以上膨らまないというくらい大きくほほをふくらませたその顔は、どこかの教会で見たエンジェルの姿そっくりだったので、森之宮の高揚は一気に収束した。

 森之宮は余裕を取り戻して言った。
「Je t'aime!(ジュテーム) C'est bon dans ceci?(これでいいですか)」
 Tres bien!!(トレビヤン。とってもいい) 屈託ない声でアンジェが答える。再び体を返して森之宮の両肩に手を置くと、伸びあがって顔を近づけてきた。夢に見たキスだ。

 森之宮はわかっていても目をつぶってしまおうかと思ったとたんに馬車が停まった。
キスは、お預け。

 降り立ったのはN**市で一番古い教会前の小さな広場に面した小さなレストランの前だった。N**市最大の目抜き通りであるアンジェ通りのすぐ裏側にあたる。
「おまえ(森之宮はこのときから親称であるTuを使いだした)の名前と同じだね」

 アンジェの足が止まった。
 そうです、通りにはところどころにラッパを吹きならす天使の像があります、天使が吹くラッパの意味が非クリスチャンにわかりますか、非カトリックにわかりますか、カトリックという表現の意味を知っていますね、カトリックは『Universalite、普遍』という意味です。

 ここまでまくしたてるようにしゃべったあと、店のドアを押して静かな店内に入った。考えてみれば、日曜日の晩に開いているレストランなんて、こんな田舎町ではありえないことなのかもしれない。店内に他の客はいなかった。勧められたテーブルに着くや否や、アンジェは再び独り言のように話し始めた。ただし今度はゆっくりと、自分に向って何かを確認するような話し方だった。

 私の意識はKimiの意識でしょうか、違うみたいですね、Kimiと私は違うのですね、不思議ですね、どうしてでしょうね、いつも私の心は他の人から見透かされているのに、ほかの人や、たとえばこのテーブルや、ワイングラスや、テーブルクロスは私の一部だったのに、今日は違いますね、私は、わたしなのですね、なんだか不思議、Kimiと会ってから、それまでと違うのです、普遍だった私が、わ・た・し、になって来ました、Kimiったら私が考えていること、わからないでしょう、つい数日前まで、私の周りの人はみな、私の悪口を言ったりテレビに告げ口をしたり、椅子と私がくっついたりしていたのですが、Kimiと一緒だと、自分が自分になったような気がします。

 アンジェはここで、沈黙した。
「天使がラッパを吹くのは、必ずしも最後の審判の日だけではない。受胎告知の時も、キリストの復活の時も、きっと吹いていたはずだ。そう、狩りの時も吹くのではなかったかな」

 森之宮はほっとした。アンジェの顔に微笑みが戻ったからだ。さあ、ジビエを食べましょう、ギャルソン! さっきから隣に控えているのに、店中に響き渡るほど大きな、でもうっとりするようなメゾソプラノでアンジェが言った。

 でも、Kimiはどうしてジビエなどという特別な名詞を知っているのでしょうか。
 ジビエ! 森之宮はちょうど日本を出てくる直前に読んでいた、古庭蔵保好という人の書いた一種のグルメ本(*1)の話をした。ご夫婦で世界中のおいしいものを食べ歩く話である。そういうわけでジビエのメニュー(定食のこと)を頼んだ。

 すると、アペリティフは何かとギャルソンが聞いてくる。森之宮は全く考えていないので、Veuillez apporter la liqueur que vous pensez etre bon. いいと思う酒を持ってきてくれ、と頼んだ。

 出てきたのは、『La tentation d'un ange 天使の誘惑』という酒だった。続いて、この酒にはつまみとしてイチジクが合うのだという。ヘビは、天使です、と、哲学者からほど遠い顔をしたギャルソンが澄ました顔で言った。

 メインディッシュの『ジビエ』は野生の肉、Marcassin(子供のイノシシ)だった。ジビエはその名の通り、狩ってきた肉なので、その晩何が供されるかは、モノが出てきて見ないとわからない。

 イノシシなら日本ではボタン肉というのだというと、どうしてイノシシに対してボタン(pivoine)のような美しい花の比喩が用いられるのでしょうか、と詰め寄られた。いや、馬は桜肉だし、鹿はモミジだと言うと目を丸くした。そういえば、イノシシのことは別名山クジラと言うのだと付け加えると、さすがの日本通ぶっていたアンジェも笑いだした。江戸時代の日本人は獣肉食がタブーだったこと、しかしおいしいからたとえば山の「クジラ」だとして、あるいはウサギは耳を羽根に見立てて「鳥」だとしてひそかに、一部おおっぴらに食べていたと解説をすると、ナイフもフォークもテーブルに投げ出して大笑いが始まった。

 おなかがよじれる、と涙を流しながらひとしきり笑うと、すぐに残りの肉に食らいついた。マウンテン・ホエール、わかりましたよ、日本人の本質が、でも、おいしいものはおいしいです。無邪気な健啖ぶりを見ているだけで森之宮はおなかがいっぱいになってしまう気分だ。

 結局アンジェは全部食べた。森之宮も食べるには食べたが、味は全く覚えていない。馬鹿話の合間に器用にナイフとフォークを操るアンジェの手元と、フォークに刺さった肉片を切り裂く白い歯と、ワイングラスの細い脚をそっとつまむ華奢な指と、それに吸い込まれそうな青い目に映って揺れているろうそくの灯を見ていた。

 時々手が止まる森之宮に、C'est bon, ou pas? (おいしい? そうでもない?)とアンジェが問いかけた。
「美味しくないわけがない、だって、おまえ(Tu)と一緒だから」
とかろうじて答えると、KimiはきっとZense(前世)、と日本語で言ってから、Existence anterieureとフランス語の直訳で言い直し、次いでformer incarnation、previous lifeと英語で説明した。ああ、いつのまにか私はフランス語で話していましたね、困らせてしまいましたね、Zense、私の知っている日本語です、Kimiは前世できっとフランスのジゴロ(gigolo)だったに違いありません、ジゴロは女を口説くとき、いいことはなんでも女のせいにするんです、そうしてうれしがらせて女を自分のものにするんです、Kimiもそういう悪人なのでしょう、でも悪人こそ天国に行けるのでしたね、Shin'ranがそう書きました、フランス語訳で読みました。

 うーん、親鸞か。理科系の森之宮は大学の教養課程での日本史の授業を思い出した。例の美人が出席しているのを見つけて、履修届もしていないのに聴講し続けたのだった。もちろんアンジェにそんな話をするはずもなく、そのままデザートにベルギーらしいホットチョコレートをバニラアイスクリームにかけた、それでいて甘さ控えめの上品な一皿を迎えてお開きになった。勘定は思いのほか安かった。もちろん森之宮が払った。

 外にはすでに馬車はいない。酔いざましにまたシタデルを登っていって、いわくありげだった「濡れた石」を見ていくのもいいかと思っていると、するするとタクシーがすり寄ってきた。Veuillez m'epouser(結婚して下さい)くらい言えるだろうか。


(*1)1997年に出た「骨の髄までうまい話」という本で読んだことを白状しておきます。
 したがって本当は、この小説に描かれているこの時点(1986年)には刊行されていませ
ん。



                              (続く)

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