法喜が語る

法喜が語る

その2

イエスの苦悩
聖者はこの世の溢れている苦しみの多さに心を痛める。
人間が人間である限り世の中には様々な悲しみが存在する。
なぜなら悪魔は姿を見せず、またそれ独自には存在しないが、人間の心の隙間に入り込み悪事を働くからである。全くの悪人はいない。悪魔が心に入り込んだ時に過ちを犯すものである。悪魔が得た最大のパワーは人間の心の隙間を見抜き、悪事を働く事にある。これでは悪魔を退治するのは難しい。なぜなら目にはみえないから。悪を封じるのには自らの精神力を鍛えるしかない。全ての人の精神が強くなれば、悪魔は発病できない病原菌のように、人間を惑わす事が出来なくなる。悪魔とは人間の心の作用で生まれるものである。聖人は悪を憎むが、またその悪を生み出すのが人間だということに悲しみを覚える。なぜなら人間は本来愛されるべき存在だから。
目に見えないものを信じない人間は、目に見えない悪魔に囁かれる。それがまるで自分が望むかのように。実は悪魔に利用されてるのだが。
悪は快楽である。神は快楽を否定した。しかし快楽は生きる喜びにつながる。悪は神から生まれ、神も人間も知っている。
神が存在するところに悪は存在する。また悪が存在するところに神がいる。
悪を無くすのに、神をも超越しなければいけないということなのか?

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