沙紀が時間よりも前に待っていて、そこに時間どおりに先輩があらわれる。沙紀は、いつもとは違う少しぎこちない笑顔で先輩を迎えた。
 「待った?」
 「いや、今来たところです。」
 「そう・・じゃあ、どうしようか。」
 「どこか、ゆっくり話せるお店に行きましょうか・・」
 歩き出してから、二人ともほとんど言葉を発さなかった。気まずい感じで歩きながら、沙紀は今にも泣き出してしまいそうだった。
 けれど、今日は泣かないと決めてきていた。沙紀は、絶対に泣かないと自分に言い聞かせた。
 二人は、あまり混んでいない、静かな喫茶店を選んで入った。

 「沙紀ちゃんのことを一番に考えられなくなったんだ。ほかに好きな人がいるとかじゃないんだけど、なんていうか、沙紀ちゃんが僕を好きでいてくれるのと同じように、僕は沙紀ちゃんのことを思えなくて・・。だから、距離を置きたいっていうか・・別れて、前みたいに先輩と後輩っていう関係に戻りたいんだ・・。」
 先輩の口から、別れるという言葉が出た。沙紀は、先輩の気持ちが手にとるようにわかった。きっと先輩も、前までの私、これまで付き合っていた人と別れる時の私と同じような気持ちなのだ。
 相手の気持ちが大きくて、自分の気持ちの小ささに気づく。気づいてしまうと、もう、付き合いつづけることはできなくなる。自分のことを好きだという相手の気持ちに、ただ合わせているだけの付き合いなんて、意味が無いと。
 「そっか。」
 沙紀は小さくつぶやいた。先輩は、何も言い返すことが出来ないような感じで間を空け、それから沙紀に謝った。
 「ごめん。」
 沙紀は思った。それは、自分が別れたいと言ったことに対してだろうか。だとしたら、謝るくらいなら別れるなんて言わないで欲しい。
 「謝らないで・・。仕方ないよ。」
 沙紀は思った。このまま、先輩と別れてしまうのだろうか。
 「何よりも、沖田先輩の気持ちが大切だから。」
 いやだ。
 「だから、先輩が別れるって決めたなら、しかたないよ。」
 いやだ。別れたくない。
 「私と別れて、先輩が幸せになれるなら、私はそれでいいから。」
 いやだ。私には先輩がいなきゃダメなんだ。
 「これからは、今までどおりの先輩、後輩の関係に戻りましょう。」
 私は、先輩のことが好きだ。すごく好きだ。
 「私は、先輩のことが好きです。だから、これから、また先輩が私のことを好きになってくれる時を待ちます。」
 待てない。そんな時が来るのかなんてわからないじゃないか。待てない・・。
 沙紀は、泣きたかった。泣きながら、どうしても別れたくない、どうしても先輩と一緒にいたいと叫びたかった。どうしてこんなに好きなのに、別れなくてはならないんだ。先輩が何を言おうと、私にとっては先輩しかいないのに。先輩がいなきゃ私は絶対に幸せになんてなれないのに・・・。
 先輩は、つらそうな顔で沙紀の話を聞いていた。そんな顔をするなら、別れなきゃいいのに、と沙紀は思ってしまう。
 沙紀の話が途切れると、先輩はまた、「ごめん」とつぶやいた。

 もしも今沙紀が、嫌だと声に出して言ったならどうなるだろう。別れたくないと言って泣いて取り乱したりしても、先輩はただ困ってしまうだけだ。
 そして、そんな醜い私を先輩は余計に好きではなくなってしまう。
 だから・・・
 沙紀は、先輩のことが好きだった。このまま一生会えなくなるなんて嫌だ。これから付き合う前までの関係に戻って・・。そうしたらまたいつか先輩が沙紀のことを好きになる日がくるかもしれない。
 だから、そのためにも、沙紀は先輩の前では取り乱すことは出来ないと思った。相手が別れたいと思っている時に感情的になっては、余計に引かれてしまうだけだ。例えどんなに自分の感情を相手にぶつけたいと思っても、最後まで相手のことを思って自分を抑える方が、印象が良いし、今後もお互い接しやすくなる。
 そう思って、沙紀は気持ちを抑えた。それが、今までの経験から考えられる、沙紀に出来る精一杯のことだった。

 沙紀と沖田先輩は、喫茶店を出た。駅で別れてしまえば、二人はもう恋人ではなくなってしまう。別れ際に、沙紀はカバンから小さな包みを取り出した。
 「沖田先輩、来週誕生日ですよね。もらっても迷惑かもしれませんけど、誕生日プレゼントです。」
 「あ・・、ありがとう。」
 「開けてみてください。」
 包みの中は小さなビンだった。ビンの中には一つ一つが星の形をした、小さな白い砂が入っている。
 「星の砂です。持っていると幸運になれるっていうお守り・・。先輩がこれから幸せになれるようにっていう気持ちをこめて、プレゼントです。」
 沙紀は、今出来る精一杯の笑顔で言った。
 沙紀は、自分と先輩が別れても、自分が先輩の幸せをいつでも願っていますって気持ちが伝わるように、この砂をプレゼントした。
 自分からのプレゼントなんて迷惑に思われるかと心配だったが、どうしても何らかの形で自分の思いを先輩に持っていてもらいたかった。
 「ありがとう。大切に持ってるよ。」
 先輩は、その砂をもらって泣きそうな顔をしていた。どうして先輩が泣くのよ、と思い沙紀も泣きそうになった。これ以上お互いの顔を見ていると本当に泣き出してしまいそうだと思ったとき、先輩が言った。
 「それじゃあ、ここで。」
 「それじゃあ。」
 涙をこぼさないように、二人は後ろを向き、別々の方向へと歩き出した。

 そうして、二人は別れた。


 先輩と別れて帰る途中、沙紀は、沖田先輩のことは忘れなければならないと思っていた。
 こうして別れてしまった二人が元に戻ることは、どんなに沙紀が望んでも可能性は薄いとい思う。沖田先輩の中では、私とのことはもう終わっているのだと思う。
 だから、どうしたって忘れることなんて出来ないと思うけれど、でも、沙紀は忘れなければと思った。
 沙紀は、今にも零れ落ちそうな涙をぬぐって空を見上げた。太陽が沈んだばかりで西の空が少し光を帯びているくらいの夕暮れ、すでに街灯の明かりはついていて、やはり星は見えなかった。沙紀は、先輩と見た夜景を思い出した。この街灯も、集まってあんなにきれいな夜景を作り上げる。
 沙紀の目から涙が溢れた。今度は抑えることも出来なく、次から次へと涙が溢れた。

 沙紀は思った。先輩のことを忘れようと思っても、彼を思い出してしまうものが多すぎる。

 夜の街を歩くたびに、先輩と見た夜景を思い出してしまう。

 きっと、
 パスタを作るたびに
 駅前を通るたびに
 本を読むたびに
 そのたびに、先輩と過ごした時を思い出す。

 そして、渡せなかった腕時計の入った包みが、引出しを開けた時に不意に目に入ってしまうたびに。
 そのたびに、先輩の幸せを純粋に祈っていた自分の気持ちを思い出す。先輩との時間がいつまでも続くと願っていたことを思い出してしまう。

 そうやって沖田先輩のことを思い出すたびに、沙紀は涙を流すのだろう。


 「あー、失恋ってつらいなー。」
 星の無い空を眺めて涙を流しながら、沙紀はつぶやいた。


おわり

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