希望




 つくづく、申し訳ないと思っていた。
 祖母が死んだ時、友達が事故で死んだ時、そして、自分の子供を流産した時。そういった身近な人の死と接する度に、自分なんかが生きていて本当に申し訳ないと思った。
 申し訳ないと思いながら生きていることにも、申し訳ないと思った。
 自分は、生きていたくない・・・。

 「大丈夫か?」
 「え?」
 隣で車を運転している男が、私に声をかけた。
 「今なら、まだ戻れるぞ。」
 「・・大丈夫よ。」
 男の名前は、なんだっただろう。さっき初めて顔を会わせた時に名乗ったのだが、忘れてしまった。まあ、覚えている必要もないだろう。どうせ、もうすぐ死んでしまうのだ。名前なんてどうでも良くなる。
 「まだ戻れるなんて、ひょっとしてあなたが怖気ずいたんじゃないの?」
 後部座席に乗っていた女が言った。
 「・・ああ、確かに少し怖いのかもしれない。・・けど、もう大丈夫だ。」
 男が答える。
 それからはまた、沈黙が続いた。

 私たち3人は、今から自殺する。
 インターネット上の自殺志願者が集まるサイトで出会った私たちは、一緒に死ぬことにした。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。
 ・・・なんて、そんなことはわかりきっていた。原因は、もちろん私の性質にある。
 子供の時から、今に至るまで、なぜ自分が生きているのかがわからなかった。なぜこんなに生きることが面倒なのに、生きていなければいけないのかと。
 確かに、生きていれば時には良いこともある。そうして、ああ、人生も捨てたものじゃないかも、なんて思うことがあったから、今まで騙し騙し生きてきた。
 けれど、やはり、気が付けばまた自分がなぜ生きているのかを疑問に思う日々が続いた。私には、人が当たり前のように持っている希望や夢を、何の疑いもなく持つことができなかった。

 そして、今、やっと私は自分の人生を終えることに決めた。

 もしも私の知り合いが、私の自殺を知ったらどう思うだろう。きっと離婚を苦に自殺したと思われるだけで、私の本当の気持ちを理解してくれる人は居ないだろう。
 私は、それでも良いと思う。人に言っても理解してはもらえないだろうし、誰かにわかってもらいたいとも、思わない。それに、確かに離婚をきっかけに私は自分の人生を終わらせる決心をすることができた。

 彼との結婚生活は確かに「人生は捨てたものじゃない」と思わせるのに十分なくらいの幸せを、私に与えてくれていた。

 けれど、やはりそれも終わってしまった。

なかなか子供に恵まれなかった私たちの間に出来た初めての子供を、私は流産した。そして医者からもう妊娠は望めないと言われた。
 それを聞いた彼は、気にするなと言ってくれた。けれど、彼が落胆しているということはひしひしと伝わってきた。
 旧家の跡取りである彼の子供を望んでいた親戚たちからの、私に対する風当たりは強くなった。そして、心から子供を欲しがっていた彼との関係も、徐々にギクシャクしだした。
 どうしても彼と別れたくなかった私は、必死になって関係を修復しようと努力した。けれど、その努力も空しく、彼と私は別れることになった。

 離婚によって、私のただでさえ少なかった生に対する執着は、完全に無くなってしまった。

 「この辺がいいかな。」
 男が車を止めたのは、めったに人は来ないであろう山奥だった。
 「それじゃあ、始めよう。」
 これから締め切った車内で練炭を燃やし、私たちは自殺する。
 男が準備を始めた。
 「もうすぐ・・終わりね。」
 後部座席で女がつぶやく。
 私は、シートに身をもたれたまま目をつぶった。


 「・・お母さん」
 遠くの方から、女の子の声が聞こえる。
 「お母さん。」
 目を開けると、そこには私を揺り起こしていた娘の顔があった。
 「あらやだ。眠っちゃっていたみたいね。」
 庭に面したテラスに出したリラックスチェアで、私は眠ってしまったようだ。
 「まったく、そんな所で眠ってたら風邪引くぞ。」
 娘と一緒に私のそばに来ていた夫が、そう言った。
 「だって、気持ち良かったから。あなたとのぞみが庭で遊んでいるのを見てたら、眠くなっちゃった。」
 陽射しが暖かく照らしていて、心地よかった。
 「まあ、天気も良いし、気持ち良いのはわかるけどな。お前一人の体じゃないんだからさ。もう中に入ろうか。」
 「そうね。じゃあ、そろそろお昼にしましょうか。」
 私が重いお腹を抱えて起き上がろうとすると、夫が私の右側に回って手を貸してくれた。娘も、それを真似るように私の左側で手を差し出す。
 夫と娘と、私とで過ごす穏やかな休日。私のお腹の中には2人目の子供が居る。まさに、幸せな家庭を絵に描いたようだった。
 あまりに幸せな光景。そう思った瞬間、突然、私の心から悲しみが沸きあがってきた。

 助手席のシートにもたれながら、私は目を覚ました。
 車内を見回すと、私が眠っていたのは一瞬だったようで、まだ男が自殺の準備をしているところだった。

 その時、私は気が付いた。まだ生きていることに安堵している自分に。
 なんだ、私はまだ死ぬことに迷いがあるのだろうか。自分がおかしくなる。

 私が妊娠した時、女の子だったら希望と書いて「のぞみ」という名前を付けようと、夫と話していた。そして、私が流産した子は女の子だった。
 もしものぞみが無事に生まれていたならば、ちょうど今見た夢の中の姿くらいに成長していただろう。
 もしも私が死ねば、のぞみに会えるだろうか。いや、きっと無理だろう。自殺する私なんかが、のぞみと同じ場所に行けるはずなんてない。
 もしも、自殺じゃなければ。これから先も、のぞみの分までしっかりと生きたならば。もしかしたら、そうして生きて、そして死んだ時に初めてのぞみと出会うことが出来るのかもしれない。

 なんて、バカな想像をしている自分を笑いたくなる。私は、何を迷っているのだろうか。
 「・・大丈夫?」
 後部座席の女が、声をかけてきた。泣いている私に気が付いたのだ。

 ・・・私の心の中に生じた小さな迷いが、心全体に波紋を広げていくのを、私は感じていた。

 のぞみ。お母さんは、今ならまだ戻れるかな?


おわり

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