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2017.01.24
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                               [探訪時期:2015年4月]
宇治橋東詰から 府道7号線を北方向に少し歩むと、式内彼方神社が見えます。府道を隔てて東側に、宇治市源氏物語ミュージアムに向かう東西方向の道があります。この道を進めば、ミュージアムの北側の入口が右手(南側)に見えてきます。
その入口を過ぎ、道沿いに少し進むと、道が分岐します。
その分岐点にあるのが、冒頭の左の写真です。右側の道路には「さわらびの道」の道標が建てられています。こちらの坂道を少し進み、右折して南に向かえば、宇治上神社に向かいます。 この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


分岐点の道標は、上掲の「さわらびの道」を進めば、立木観音で有名な立木寺まで三里半を経由して、石山寺まで五里と刻されています。
今回は、左の道を進みます。途中、「蜻蛉名跡」まで一丁半。 ここを通り過ぎ、道なりに北上していくことになります。
「蜻蛉の古蹟」は拙ブログでご紹介しています。こちらをご覧いただけるとうれしいです。 (「探訪 [再録] 源氏物語・宇治十帖ゆかりの地 -4 浮舟・蜻蛉の古蹟」)

直接にこの嚴島神社を訪ねるには、京阪電車宇治線の三室戸駅下車で 、踏切を渡り、府道の交差点からそのまま東に三室戸寺への道沿いに進み、次の四つ辻を左折して北に向かう道がよいでしょう。 地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

莵道の東中という区域に「厳島神社」があります。

この神社への目印は南側の武家屋敷風の構えの大きな建物 です。上記地図を拡大すると「通仙堂」という表記が見えます。
道路からは少し奥まったところに神社があり坂道の参道を少し歩むことになります。

石鳥居の傍の石灯籠の棹には、寛延元年(1748)の寄進日付が刻されています。
宇治十帖の古蹟を巡ったときに、併せて立ち寄ったことがあるのですが、今回は久々にゆっくりと拝見しました。
参道両側に沿って築地塀が設けられている雰囲気がなかなか素敵です。

参道坂道の途中、北側に 末社・大神宮 が見えます。この境内社には、神明鳥居が建てられています。貫 (ぬき) に楔 (くさび) が使われていません。しかし、柱は皮付きの自然木ではありませんので、黒木鳥居ではないでしょう。ここには「大神殿」という女神が祀られているそうです。

境内南側の築地塀の先に、この池があります。築地塀の裏側に池が回り込んでいます。


                     池の前から眺めた 社殿

こちらは、境内の奧、東側からの本殿の眺めです。
以前に訪れた時にはこの神社の由緒を見た記憶がありません。

今回、この説明を読み、なるほどと思いました。

もともとは、現在地より西へ三町ほどの三室津の水辺に神社があった とされているということです。川の港の近くに祀られていたならば納得がいきます。江戸時代、元禄年間に現在地に神社が移されたようで、 当時は弁財天社と呼ばれていたとか。

本殿には、厳島神社の他に、4つの神社が隣り合う形で祀られています。
それぞれの神社には扁額が掛けられています。本殿の正面からみて、左から順番に記載しますと、稲荷大神・八幡大神・厳嶌大神・菅原大神・熊野大神が祀られているのです。
厳島神社の左に稲荷神社と八幡神社、右に熊野神社と天満宮ということになります。

厳島神社の祭神は、市杵嶌姫命 (いちきしまひめのみこと) です。

市杵嶌姫命は、かつては神仏習合の考え方により、仏教の弁才天 (べんざいてん) と同神とされて、「弁天様」として広く信仰されていました。弁才天は七福神の一神としても人々に知られている存在です。弁才天が弁財天ともなり、美の神、音楽・芸能の神から財宝の神へと広がっています。弁才天は、もともとインドのヒンズー教において河の神として信仰されていたそうです。つまり水の神であったので、海の神である市杵嶌姫命との共通性があります。また、共に美人の神という点も共通します。農業を基盤とした日本において、水の神・弁才天が農業に不可欠の水という点から農業神として崇めることになるのは自然だったのでしょう。「祈雨の対象」として崇めるのも自然なつながりです。 (資料1)

海の神・市杵姫命→(神仏習合)水の神・弁才天→祈雨の対象→(神仏分離)市杵嶌姫命という循環でしょうか。

序でに少し調べてみますと、 「宇治上神社」の末社にも厳島社が設けられています (資料2) また、宇治神明西に所在の 「神明神社(神明皇大神宮)」にも境内社として厳島神社があります (資料3)

本殿は、梁間2間、桁行5間の流造で、現在は屋根が鉄板葺きとなっています。
元禄10年(1697)の棟札の写しが残されているようです。






組物(斗供)の木鼻がシンプルに造形され、本殿の頭貫の木鼻とは異なる形です

向拝の頭貫の木鼻の象は目が笑っているようで、その鼻の造形も可愛らしい感じ。

                   蟇股もいたって素朴な形です。


本殿の西隣に 「新羅大明神」の扁額を掲げた 「新羅神社」 があります。
祭神は、須佐雄之命 (すさのおのみこと) ・五十猛之命 (いたけるのみこと) です。

五十猛之命は素戔嗚尊(=須佐雄之命)の子。新羅から樹種を持ち帰り、大八洲 (おおやしま) 国土に植えたと伝えられる日本神話の神です。

なぜ、この地に新羅神社が祀られているのか?
古代の渡来人一族の足跡がこの宇治にもあるということかな・・・と思ったのです。
調べて見ると、やはり研究されている方がいらっしゃいました。それによると、
「元々、三室戸寺の十八神社の隣にあったものを明治十年大鳳寺村の厳島神社に遷座した」ということが、「十八神社の由緒書」に記されてあるとのことです。 (資料4)

三室戸寺の境内を流れる小さな川に架かる橋を渡ると、すぐ左側に「新羅神社」が祀られています。この地は宇治市菟道滋賀谷です。 拙ブログで既にご紹介しています。こちらをご覧いただけるとうれしいです。 (「スポット探訪 [再録] 宇治・三室戸寺細見 -1 参道を歩む」)

貞観年間に天台座主智証大師がこの地に来られたときに、疫病退散祈念のために勧請されたとされている神社です。

現在、三室戸寺にある新羅神社との関係はということになります。「恐らく明治の神仏分離の際に、三室戸寺から新羅神社を分離して境外に移したものが、現在三室戸寺にある新羅神社であり、その神社の分霊を大鳳寺村に移した、ということか、元々大鳳寺村にあった新羅神社が、いつの時代にか、三室戸寺の新羅神社へ合祀されていた舎を元に戻したかのどちらかであろう。大鳳寺村には新羅神社の信者が多いので、もともと、大鳳寺村にも新羅神社があった可能性が強い。」また、「新羅神社本殿当神社のある一帯は、古代に大鳳寺なる寺が存在したことから考えると、新羅明神はその寺の守護神であったものであろう。大鳳寺は天台宗の寺であった可能性が強い。当神社のすぐ近くにある浄土宗の安養寺も元は天台宗の寺であったといわれている。現在、大鳳寺は廃寺となり址はない。」とも記されています。 (資料4)

新羅明神は、天台宗寺門派(園城寺、三井寺)の鎮守神とされています。渡唐した円珍が「帰国後、比叡山の麓に園城寺を作る際に、鎮守の神として、比叡山の日吉(日枝)神社の代わりに、自身の航海と唐での研鑽を後援してくれた新羅人の信仰していた土俗神を勧請して、新羅明神社を置いたのです」という由緒があるのです。 (資料5,6)

こちらの本殿の頭貫の木鼻は象の頭部をごく単純化した造形です。

興味深いことに、同じ単純化でも、向拝の木鼻の造形とも微妙に異なっています。

左右対称となった雲形でしょうか、蟇股が良い感じです。



境内の一隅に、手水舎の水槽と思われるものが置かれています。
「大正御大典記念 獻納」と記されています。これは、大正天皇の即位式と大嘗祭の儀式のことを意味するようです。 (資料7)

                     境内から参道を眺めた景色

この折、「安養寺」も訪れました。次回、ご紹介します。

参照資料
1) 『「日本の神様」がよくわかる本』 戸部民夫著 PHP文庫 p38-41
2) 宇治上神社末社厳島社(宇治市)   :「京都府」
3) 観る 境内のご案内  :「神明神社公式サイト」
4)  京都府の新羅神社 新羅神社考  :「三井寺」
5) 秘仏 新羅明神坐像    :「三井寺」
6) 新羅明神と新羅神社   :「おもしろい古代史の掲示板」
7) 大正天皇御大典   :「京都通(京都観光・京都検定・京都の寺院)百科事典」

補遺
鳥居の分類   鳥居色々  :「神社参拝記」
鳥居の種類の豆知識    :「神社.com」
厳島神社    :ウィキペディア
宗像三女神   :ウィキペディア
渡来人   :「コトバンク」
「京都最古の寺、新羅の渡来人が建立」   2014年05月15日 :「中央日報日本語版」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.01.24 10:36:34
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