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syuichi6780さんComments
家族4人での旅行は昨年私が言い出しました。
思えば信ちゃんが17歳の秋なんだか様子がおかしくて近くの病院に受診し(毎回阪大はしんどくて次男が小学校入学後は信ちゃんの鉄の点滴や軽症時はお世話になっていた)、風邪でしょうと薬ももらって帰った夜、パパが帰宅後信ちゃんの顔色などから「いつもと違う」と言い出し、再度昼の病院に夜間受診してそのまま入院したのが発端です。
採血とレントゲン、点滴開始で一晩、数日この病院でお世話になるものの、血液データーが悪化し、転院を勧められたが空きベット待ち、直談判に行ってようやく転院OK出て発症から数日後に転院、小児科に入院できたときにはかなり危険な状態でした。
(今から思えば昼の時点で最初から阪大に受診していたら軽症ですんだかも知れません。当時の私は通院そのものにとても疲れていました。また体調不良の翌日は小児神経の定期受診日で朝に連れていくからその夜は一晩様子をみるつもりでした。夜間に阪大緊急受診もその時点では想定外でした。)
ようやく阪大小児科に入院できたものの即手術ができないほど血液データーが悪く、点滴や輸血で数値を上げようやく手術のOKが出たけれど、「こんなに危険率の高い手術は阪大でもめったにしません、五分五分です」との説明でした。
そんな状態から生還した信ちゃんです。
生まれてからたくさんの医療費も使っていただいて、またこうして私たちのところに帰ってきました。
正直私は手術のOKがでた安堵感とは裏腹に、その後のこと(さらなるケアが増える可能性がある等自分が対応できるかの不安)も心配でした。
信ちゃんは「私の限界」をいつも越えていきます。
そのたびに私は自分では限界と思っているハードルをなんとかして上げないといけません。
そんな節目の旅行初日にお友達の訃報です。
信ちゃんはYちゃんにエールを送られて、新たな一歩を踏み出します。
家族は神さまが与えられた信ちゃんの使命を探しつつ、ともに歩んでいこうと話しています。
JUNOさんのブログ に書かれています。(MLには流れていません。)