私の気づきへの道1(マイナスの恩人編)



私は、ここ数年の自分を考えるとそう思わずにはいられません。

デキるOL(笑)だった私は、自分がマッサージ師(笑)になるなどと、これっっっぽっちも考えたことはなかったのです。
自分が癒し系の仕事で独立開業するなんてことは、ほんの5~6年前には想像したこともありませんでした。

それが今では。。

これは、私以外の何かに「導かれた」ためとしか思えないのです。
導かれて与えられて、そのおかげで幸せで楽しい今があるのです。
そしてこれから、もっと楽しい。。^^

気がキツいOLさんだった私が、癒し系(?)になるまでの不思議なお話をご紹介いたします!


大学を卒業した私は、とある生命保険会社に事務職で入社しました。

配属されたのは広報部。社内報なども担当したため、社内イベントの取材でいろいろなところに出張に行ったり、充実した日々を送っていました。

仕事も楽しかったし、一番拘束時間が長いことならば、それを趣味にしてしまえ、趣味と実益が一緒になれば効率がいい!と事務職から総合職への転換コースにもチャレンジしていました。定年までこの会社に勤めていようと思っていたのです。
そのとき、転機が訪れました。

「合わない上司」が配属されたのです。

彼は、私が今までやっていたやり方全てにチェックを入れ、不満を示し、私はよく呼び出されてご指導を受けました。
今までよしとされており、「デキる」とも評価されていたのに、毎日が指摘される日々でした。スケジュールが詰まっていて、遅れたら業者さんに迷惑がかかるような決済も、「そのような頼み方では、僕はすぐにはその書類を見ないよ」と言われるようなことも多々ありました。

彼を見ると胃がちぢみ、萎縮しました。頭の中は、いかに彼に気持ち良く動いてもらうかという段取りでいっぱいで、その後、一緒に昼食を食べていた友達から、「あの頃、食事をしているときも、いつも目が泳いで、頭で考え事をしてたよ」と笑われるくらいだったのです。

ストレスからか原因不明の湿疹が手足に発症し、顔はむくんで乾燥し、耳の皮までむけました。

その頃、私は通勤時間が1時間40分ほどかかっていたので、いつも本を読んでいました。ジャンルは、仕事を忘れさせてくれるようなエンターテイメントものがほどんどだったのですが、そのときから、「心・魂とは」「いかに生きるか」そういったことについて書かれた、精神世界についての本を読むようになったのです。

いちばん初めは、シャーリー・マクレーンの「アウトオンアリム」。そしてそのシリーズ。レッドフィールドの「聖なる予言」。「ミュータントメッセージ」、「アルケミスト」、「なまけもののさとり方」などなど…名前は忘れてしまいましたが、図書館にある精神世界コーナーの本をむさぼるように読みました。

それによって、人と接するとエネルギーが吸い取られることがあるというのを実感したりという気づきもありました(怖いくらいに吸い取られました)。
逆に、指導を受けている間、必死で相手に愛をのエネルギーを送ってみても(送ったつもりになっていても)全然変化がなくてガッカリすることもありました。

そんなとき、私は母とインドネシアのバリ島に行きました。姉がバリの男性と結婚して向こうに住んでいるのです。

彼の顔色を窺いながら休みを申請し、仕事を必死で詰め、へとへとな状態でバリに行きました。

神の棲む島・バリ。熱い空気と強い日差し、抜けるような青い空に、咲き乱れる赤い花、そこここで豊かに実っている黄色いマンゴー。

赤ちゃんの甥っ子を抱いたり、気持ちがいい風に吹かれて、ようやく落ちついた気持ちになって母と姉と話していたとき、会社の話が出ました。
二人が見ていても、私の状態はおかしかったようです(笑)。

話しているうちに、母が言いました。
「会社、辞めちゃいなさいよ」

私はひどく堅実な性格で、レールの上を歩くのを当たり前と思い、高校を出たら大学に進むもの、大学を出たら就職するもの、就職するなら堅実な金融機関。会社は出産の期間だけ休んで定年まで勤めるもの。

そう思っていました。そして、親もそう考えていると思ったのです。

その母が「会社を辞めたら」言ったのです。

それまで、私に「会社を辞める」という考えは全く浮かびませんでした。
彼が異動するか、私が異動するか、それだけしかその状態を変える手段はなく、それまでは耐えるしかないと思っていたのです。
それは全く新しい視点でした。

「会社、辞めてもいいのかなぁ。。」
私はポツリとつぶやきました。

「いいよいいよ、辞めちゃいなよ」
姉も言いました。

「会社以外に人生見つけてもいいのかなぁ。。」

「いいよいいよ!」

私はボロボロ泣きました。

その涙が、私の「浄化」への第一歩だったと思います。


「幸せな小金持ち」 になるという生き方を提唱されている本田健さんから、プラスの恩人とマイナスの恩人がいる、と言う話を聞いたことがあります。

プラスの恩人とは、困ったときに助けてくれる人。
マイナスの恩人とは、自分を困った立場に立たせることによって、自分を成長させてくれる人ということです。

私の上司はまさに「マイナスの恩人」でした。

マイナスの恩人と分かっても、それでもまだ恨む気持ちがあったのですが、今は、「私に気づかせるために、わざわざ悪役になってくれてありがとうございます」と心から感謝できるようになりました。


私の気づきへの道はそれから始まりました。

シンクロニシティ、ということも感じるようになったのです。

「会社を辞める」。そう考えてから実際に辞めるまでは1年半ありました。

けれど気づきが始まり、加速度的に人生が進んでいくようになったのです。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: