闘病記 2
| 入院生活 |
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私はとても不真面目な患者だったと思います。 普通みんなデータを執ったりしているのだけど、まったくしませんでした。 主治医は病院内で人気のベテラン先生とインターンの先生 敬語も使うことなく友達の様にタメ口 夜になると同じ長期入院患者を連れもって ジュースと煙草片手に座談会 「@Museさんのような性格の人は治りますよ 以前、同じような性格の人を受け持ちましたが 治りましたよ」 インターンの先生が言った。 性格でなおるんかい?! 「お前 楽しそうやな~」 旦那が言った 楽しいわけないやろっ! |
| 辛かった事 |
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1番辛かったのは、やはり子供の事 子供は集団生活しているので感染の危険があるため しばらくは面会禁止 よくTVや映画で手紙を書いたり、写真を見たりするシーンがあるけど そんな事出来ませんでした。 辛くて写真は見れないし 手紙は遺書になりそうで書けなかった。 「電話してやれや」と旦那は言うけど 何をどう話すの? これも出来ませんでした。 やっと面会できた時、変わり果てた私の姿を見て 息子がポツリ「誰がこんなことしたん・・」と 今でも忘れられません。 「こんなヒナ鳥のような姿で死んでたまるか! 元の姿にもどってから死ぬんだ!」 普通の姿で笑ってる私を子供の記憶の最後にするんだと |
| 戦友の死 |
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前の日に「おやすみ~♪」と別れた同じ病気の戦友 朝「○○さん!○○さん!」と看護婦さんが 友の名を叫ぶ声で目覚めた。 バタバタと機会が運ばれる音 あわただしい足音 泣き声 「お世話になりましたが、駄目でした。 娘の分までがんばってください。」 戦友のお母さんが挨拶にきた。 同じ病気の戦友 この時、私を含めて7名 6人で見送った。 それから順番に戦友はいなくなっていった。 ひとり残った時・・罪悪感にかられた 何故?私が残ったんだろう? 私と皆はどう違ったんだろう? なんで?・・なんで・・? 答えはありません |
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