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不死鳥と訳されるフェニックスの原型は、エジプト神話に登場する“ベンヌ” と呼ばれる霊鳥であることは既に述べました。 このベンヌ(ベヌウ)について、ウィキペディアなどでは、「 ベンヌはエジ プト神話に伝わる不死鳥で、その名は『鮮やかに舞い上がり、そして、光輝く 者を意味する』、『自ら生まれた者』『立ち上がる者』などの肩書を持つ 」 とあります。 エジプト神話に、ベンヌがどのように登場するのかと申しますと、エジプト神 話の中でも最も偉大な神である太陽神“ラー”と共に語られています。 本ブログでは、太陽神ラーと呼ばれる存在は、そもそも今より1万7千年近く 前に、ムー大陸に肉体を持って生まれた「ラ・ムー」(「ムーの光大王」の 意)に由来することは既に述べました。 それは、太陽神ラーが別称「光の主人」「全ての太陽神の領主」と呼ばれてい ることからも、その関連性が認められます。 太陽神ラーの信仰地域は非常に多く、特に重要な聖域は、ローマ語で「太陽の 都市」を意味する“ヘリオポリス”でした。 ラーは、このヘリオポリスで信仰を受けていた創造神にして太陽神でもある “アトゥム”を吸収する形で信仰されるようになります。 何故にラーがアトゥムを吸収する形となったのか、それは、アトゥムよりラー の方が偉大であったから―――という解釈も出来ますが、エジプトの神話を注 意深く読むと、アトゥムもラーも同じ生命体の神であることが判るのです。 それは、太陽を表した次のような一説によっても判ります。 「 わたしは朝はケプリ、昼はラー、夕方はアトゥムである――― 」 古代エジプト人は、太陽について、朝の太陽と昼の太陽と夕方の太陽は、別々 である―――という考えがあったようで、上記のように朝と昼と夜の太陽を、 違う神の名前でとらえていました。 しかし、実際には太陽は一つであります。これは、どういうことかと申します と、実在界では“EL”が、太陽のように光り輝く存在であるわけですが、 “EL”の生命体の一部が地上に降りると、その名は地上名で“ラー”であっ たり、“トス”と呼ばれたり、“リエント・アール・クラウド”と呼ばれたり します…。 このように、地上では別々な名前を持っているものの、本来、その生命体は 一つである―――といったように、同じ太陽神でありながら呼び名がケプリ、 ラー、アトゥムと変わったとしても、その実態は一つの生命体である―――と いうことなのです。 本ブログでは、“EL”は、ラーや釈迦(仏陀)といった名前で地上に降りた ことがあると主張しているわけですが、そう考えますと、手塚治虫という漫画 家は、かなり、この“EL”の魂に追随した作品を多く遺していることが判る のです。 彼の代表作である『鉄腕アトム』も、エジプト神話の創造神・太陽神であるア トゥムから由来することを知れば、この“アトゥム”と呼ばれし太陽神は、 昼の太陽神ラーの、夕方の呼び名であり、その実態は、“EL”と同じ生命体 であるからです。 また、手塚治虫は『ブッタ』という作品も遺しています。何度も述べているよ うに、仏陀もまた“EL”の生命体の一部です―――。 そして、さらに『火の鳥』という作品も残しているわけですが、この“火の 鳥”に象徴されるものが、エジプト神話に登場する“ベンヌ”であり、後に、 ヘロドトスがこのベンヌをギリシャ語で“ポイニクス”と記し、それが“フェ ニックス”という言葉に転化され、そのイメージは、東洋においては“鳳凰” となった―――というわけです。 手塚治虫がこれらの霊鳥を“火の鳥”としたのは、ベンヌやフェニックス、そ して鳳凰についての伝説をひとまとめにするには、“火の鳥”と呼ぶのが相応 しいー――と感じたからでしょう。 エジプトの神話では、ベンヌはアトゥムやラーの魂とされています。そのこと を知れば、手塚治虫が作品の中に、“EL”の生命体を追い掛けていた――― ということが判るのです。 手塚治虫は、かなり高次な霊能力を持った漫画家であることが、これらの事実 から判ります。
2008.03.31
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中国の瑞鳥(ずいちょう)、または、霊鳥とも呼ばれる鳳凰は、エジプト神話 に登場する霊鳥“フェニックス”と同じである―――と、私は解釈していま す。 フェニックスは、エジプト神話の中で、「5~6百年ごとに一度、自らの死期 が近付くと、香木を積み重ねて火をつけ、その中に飛び込んで焼死しするが、 燃えた灰の中から再び幼鳥となって生まれ変る――― 」という伝説から、 “不死鳥”とも呼ばれます。 この“フェニックス”という言葉は、前5世紀頃のギリシャの歴史家ヘロドト スが自著『歴史』の中で、ギリシャ語で「真紅の鳥」の意である“ポイニク ス”と書いたことから、フェニックスという言葉に転化した―――ということ です。 ヘロドトスはフェニックス(ポイニクス)を絵で見たとして、『歴史』の中で 「 羽毛は金色の部分と赤の部分があり、その輪郭と大きさは鷺(サギ)に似 ている――― 」と書いています。 ヘロドトスが見たフェニックスの絵は、「 鷺に似ている―― 」ということ から、この鳥は、エジプト神話の中に登場する伝説の鳥“ベンヌ”であること が判ります。 ベンヌという鳥は、長いくちばしをした黄金色に輝く青鷺、もしくは、赤と金 の羽がある鷺―――とあるからです。 つまり、ベンヌもフェニックス(不死鳥)も鳳凰も、同じ霊鳥である―――と いうことですが、漫画家である手塚治虫は、その鳥を“火の鳥”として、作品 の中に取り入れています。
2008.03.30
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M・ドリール博士著の『エメラルド・タブレット』には、博士が、エジプトの ピラミッドから発見した“エメラルド・タブレット”の物質的な面持ちについ て、述べている箇所があります。 それによれば、“エメラルド・タブレット”は、その名が示すように、鮮緑色 の12のタブレット(=平板)から成っており、しかもこのタブレットは、錬 金術的変質によって創造された物質で造られている―――ということです。 この12枚のタブレットは、いかなる自然の力、いかなる物質にも侵されない 不滅のもので、実際、原子的細胞的構造が固定され(イオン化しない)ている ので、永久に変化が起こらない―――ということだそうです。 とういうことから、これらのタブレットは、物質のイオン化法則に反している のです。 また、12枚のタブレットは、金色の合金で出来た4つの輪でもって、ひとま とめに閉じられている―――といったもので、その輪を通す一本の棒も、同一 物質でできたもので、その棒に吊らされている―――といった形になっていま す。 そして、これらのタブレットは、古代アトランティス後の文字が刻まれており その文字は、それを読む者の心に、文字に関連した心的波動を起こして、同調 した波長に感応する―――ということです。 このタブレットに書かれている叡智は、目が開き、心が開いた者が読むことに より、その者の智慧を、より高きものへと導いてくれる―――と、博士は論じ ています。
2008.03.27
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本ブログでは、ラ・ムー→トス→リエント・アールクラウド→オフェアリス→ ヘルメス→仏陀→ELと続く転生を語ってまいりましたが、“EL”は200 7年に、ある法を出版しています。 その本の表紙には、宝石のエメラルドの中に、鳳凰が描かれている―――とい った、一風変わったデザインです。 何故“EL”が、エメラルドの中に鳳凰を描いたデザインを、本の表紙に選ん だのかは、上記に述べたような、“EL”の転生の事実を知らなければ、さっ ぱり分からないと思われます。 アメリカのモーリス・ドリール博士著の『エメラルド・タブレット』には、 「 後の世々にトートの自我は、このエメラルド・タブレットに書かれた方法 によって人間の体に入った―――このようにしてトートは3回、人間に化 身したのであり、その3回目の化身は、3度生まれのヘルメスとして知ら れている―――。 この化身の時に彼は、近代神秘学者たちによって、エメラルド・タブレッ トとして知られているものを残した―――。」 と解説しています。M・ドリール博士の言う「3度生まれのヘルメス」とは、 「3倍偉大なヘルメス」の意である、“ヘルメス・トリスメギストス”のこと だと思われます。 M・モーリス博士は、ヘルメスはトートの3回目の生まれ変わりであることを 述べています。これは、“EL”が説いている転生と符合しています。 しかし博士によれば、トートが残したエメラルド・タブレットは、ピラミッド 祭司たちの監守のもとにピラミッドに残されたものであって、偉大なものであ るのに対し、ヘルメスが、近代神秘学者たちによって残したエメラルド・タブ レットは、古代のそれより、非常な低級な説明書である―――としています。 M・ドリール博士が著した『エメラルド・タブレット』は、エジプトの太陽神 の幾つかの大神殿の内の、一つの祭壇の下に隠されていたタブレットに刻まれ た智慧の一部を翻訳したもの―――ということです。
2008.03.26
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『 エメラルド・タブレット 』とは、ヘルメスの前世の一形態である、トス と呼ばれるアトランティス時代に生きた王が説いたとする教えを、エメラルド 製のタブレット(銘碑=めいひ)に記されたことから、そのように呼ばれるよ うになった―――と、今に伝えられています。 トスはその後、ギリシャ語でトート、あるいはトトとも明記され、古代エジプ トでは、ジェフティと呼ばれるようになりますが、名前の呼び方は違っても、 同じ神を指しているのです。 トスが生まれたのは、今より1万2千年ほどの前のアトランティス時代という ことですが、トスはその後、今より7千年ほど前のアンデス山脈中の古代イン カ帝国にて、リエント・アール・クラウドという名前に転生します。 その当時のインカ帝国は、かなり頻繁にUFOが地球に飛来し、地球人の中に も、宇宙人を信仰する人が多数居たということですが、その時に飛来した宇宙 人は、レプタリアン系の悪い宇宙人であった―――ということです。 当時の人々が、誤った宇宙人信仰に傾いていたため、王であったリエント・ア ール・クラウドは人々に、「 宇宙人は神ではない―― 」と説き、「 人生 の目的は心の世界の神秘を探ることであり、心を高めることで、いかに神近き 自分をつくってゆくかが大切である――― 」と語りました。 リエント・アール・クラウド王は、こうして人々の心を、悪しき宇宙人から守 ったわけなのですが、科学技術が進んでいるからといって、それがすなわち、 “悟り”ではない―――ということなのです。 例えば、科学技術が進んで戦争が起こった時、核を沢山使って、住んでいる星 が木っ端みじんになりました―――という状況では、何のための科学なのかさ っぱりわかりません。要は、科学技術を使う者の“心”が大事だ―――という わけなのです。 そのため、心の向上・鍛錬が必要なのです―――。 そして、リエント・アール・クラウドはその後、今より6千5百年前のギリシ ャの地に転生します。この時の名はオフェアリスと言いました。オフェアリス は、その2千2百年後に、再び同じくギリシャの地に、ヘルメスとして転生し ています。 このような転生の流れから、ギリシャ人は、トスとヘルメスを同一視していた ということです――。 トスとヘルメスの名は融合し、「ヘルメス・トリスメギストス」という神の名 前が生まれますが、これは、トスもヘルメスも同じ神であることを認識した故 に出来た名前なのです。 アメリカの神智学者のモーリス・ドリールが、1948年に編集出版した『 エメラルド・タブレット』には、「『エメラルド・タブレット』は、ヘルメス ・トリスメギストスが3回目に転生した時に、エメラルドに刻んだもの――」 としています。 この『エメラルド・タブレット』については諸説あるのですが、もう、これを 超える本が、ヘルメス・トリスメギストスと同じ生命体である“EL”によっ て説かれているので、そちらの方を読まれることが、賢明かと思います。
2008.03.21
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“EL”の前世であるゴ―タマ・シッダールタ(後の仏陀)が、生まれた時 に、バラモンの相師(そうし)に占わせたところ、「 …出家をせずに世楽 (せらく)を受ければ、転輪聖王(てんりんじょうおう)になる… 」と応 え、さらにアシダ仙人は「 必ずや出家して仏陀(覚者)になるであろう 」 と応えた―――と言います。 そう占われたように、シッダールタは出家し、悟りを得、すなわち仏陀となっ たわけですが、出家をしないで釈迦族にとどまっていれば、転輪聖王となって いた―――ということです。 本部ブログでは、その転輪聖王について既に述べていますが、転輪聖王とは、 インドのジャイナ教徒・ヒンドゥー教徒・仏教徒などの間で考えられていた、 武器を用いず、“法”によって世界を統治する―――といった理想的な帝王の ことです。 仏陀の前世が、西洋の神秘思想の原点でもある、ギリシャの神ヘルメスである ことは、既に述べました。 ヘルメスは、今より4千3百年前に、ギリシャのエーゲ海に浮かぶクレタとい う島にある、シティアという町の豪族の王子として生まれましたが、後に、ギ リシャ全土を統一し、西洋文明の基礎を築きました。 その時は、武器を一切用いなかった―――というわけではありません。それは ヘルメスと同じクレタ島に居て、勢力を誇っていた悪王ミノスが、武力でもっ て統治していため、それを打ち破るには、武力が必要であったからです。 武力を肯定すると、イスラム教徒のように“聖戦”を掲げて異教徒をを殺害す ることを“善”と考える思想も出てくるので、武力を肯定するのは、思想にお いて危険なので、注意が必要となります。 ヘルメスは、悪王ミノスを倒した時に流れ出た数多くの人の血に、心を痛めま した。悪を制することは必要なことであっても、その手段として武力を用いる ことは、決して、ヘルメスの真意ではなかったからです。 悪王ミノスを倒し、クレタ全土を統治した時、ヘルメスはこう考えます。 「 ヘルメスの国に、不幸な人というのはいらない―――。幸福な人で満たす のだ―――。 」 ヘルメスは武力ではなく、“法”の力でもって人々を統治し、平和な国造りを した王なのです。ヘルメスこそ、転輪聖王と呼ぶに相応しい王だったのです。 私は瞑想中に、黄金の船に乗り、天空の愛の大河を航海するヘルメスの姿を霊 視したことがあります。それは優雅で、ゆったりとした時の中を進んでおられ ました。 その優美なる姿を見た時に、“豊かさ”とは、“富”とは金貨の量ではなく、 心の“優雅さ”や“優美さ”の中にあるんだ―――ということを学んだのでし た。 ヘルメスは繁栄の神様としても知られていますが、それは、がむしゃらに働く 姿ではなく、実相の世界においては、心の豊かさが、富のあらわれなんだ―― ということを、私に気付かせてくれました。 そして、同じく瞑想中に、ヘルメスを乗せて航海している黄金の船の上を、優 雅に舞っている黄金の鳳凰の姿がそこにありました。 鳳凰が天空を飛んでいる姿は、それはそれは優雅で、舞ながら金粉をまき散ら し、富を無限に与えるような印象を受けました。この美しいビジョンは、時間 を超越していました―――。 天空を航海する黄金の船に乗るヘルメスと黄金の鳳凰の舞―――。神々の世界 は、この地上の雑踏とした世界とは大違いです。 人は生きていくために、忙しい毎日を送っています。けれども、そうした中に おいても、心だけは別な世界に行くことは出来ます。 私がこのビジョンを見た時、鳳凰が、「聖徳の天子の兆し」として現れる空想 上の動物であるとか、「天下に正しい道が行われていると現れる」と伝えられ ていることなど、まったく知らない時のことでした。 それでも、ヘルメスと鳳凰が一緒に居た姿を見たことで、私は、鳳凰とはヘル メスをはじめとする、彼の生命体の象徴なんだろう―――と思っていたので す。 それから10年以上の歳月が流れ、仏教の経典などを読むようになってから、 鳳凰の謂(い)われを知るようになり、ヘルメスと鳳凰が一緒に居た意味を、 初めて理解した―――というわけです。
2008.03.20
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地球という舞台は、実在界とは違い、次元の違う魂が混在するといった、特異 な空間です。 地球は3次元世界ですが、救世主存在というのは、9次元世界に居る存在で す。ですから、救世主にしてみれば、3次元世界は住みよい世界ではありませ ん。 また地球上に居る数多くの魂は、4~5次元クラスの住人が多いので、救世主 との次元に開きがあります。それ故に、救世主の説く“法”に共感する部分が 少ない―――という現実があります。 そういった理由から、イエスの時などは、イエスが生存中に、彼を信じた者は 少なかったと思います。そして、イエスの死後、教えの内容が大衆化し、次第 に信者が増える―――といった具合に、救世主の教えが人々に隈なく伝わるに は、長い年月がかかってしまう―――というわけです。 ですから、救世主が説く教えのレベル(=次元)が高いと、次元の低い魂が理 解するまでに、もともとの“法”が、かなり脚色されて初めて理解に及ぶ―― といったこともあります。 そうしたことを含めながらも、私は言いたいのですが、人々が信じようが信じ まいが、今、日本には救世主がおり、法を説かれています―――。 本ブログでは、その存在について“名”は伏せていましたが、“EL”とは、 “エル・カンタ―レ”の略で、その名の意味するところは、「 うるわしき光 の国、地球 」という意味です。 “EL”が法を説き始めてからというもの、その“EL”の法を真似て、部分 的に取り入れながらも、“法”を少しずつ湾曲し、最終的には“EL”ではな く別の存在の名前を挙げて、人々を誤った信仰に導こうとする―――組織もあ ります。 そうした“魔”に操られた組織に、誤って信じてしまうという人は、可哀想で すが、それも波長同通の法則に従っているわけで、ある意味、自分自身の責任 となります。 “魔”に操られた教団や組織が悪いのは当然なのですが、それを信じた人とい うのも、正邪を見分けられなかった―――という罪があるのです。
2008.03.19
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同時代に救世主が存在していることにについて、それを信じる者は、ごく限ら れています―――。それは救世主という存在が、どういう存在であるのか知ら ないからかも知れません。 救世主と言えば、何か超人的なことをやり、その姿を一目見れば、「 これが 救世主だ! 」と判るかといえば、そうではありません。その人の心の偉大さ というのは、外見では判断できないものなのです。 その人が救世主であることを知るのは、“心”でしかありません。または、 その人が救世主であることを確認するのは、その人の説く“法”の内容にて、 それが本物であるか否かを判断する以外道はないと思われます。 しかし、1995年に“サリン事件”を起こした教祖を信じていた信者らにし てみれば、彼らにとっての救世主は、麻原彰晃その人だったわけです―――。 そして、今でも彼らにとって、麻原彰晃は救世主だと思っているわけです。 どうしてこのような思い違いをしてしまうのかと申しますと、判断する人の心 が汚れていると、正しい判断がもはや出来ないからなのです。間違った心で生 きていると、正しいものとそうでないものの判断が出来なくなるのです。 私が学生の頃、学校に行く途中に、麻原彰晃が紫色をしたサテン素材の洋服を 着て、座禅をしている姿のポスターが貼っていたのですが、私はそれを見た時 ものすごく不快感を感じました。 私はその時の悪い印象から、麻原彰晃という人物は、気味の悪い人だと思い、 学校のある友人に、「 あのポスターの人物は気持ちが悪い 」と話すと、 なんとその友人の姉はオウムの信者で、聞けば、そのお姉さんは麻原彰晃と初 めて会った時、感動のあまり涙が出た―――と言うのです…。 私は友人のその話を聞いても、麻原彰晃に対する私の悪い印象が、良くなるこ とはありませんでしたが、案の定、その麻原の指導のもと、“サリン事件”が 起こったのでした―――。 そして彼(麻原彰晃)は、“EL”もサリンで殺そうと企んでいたのです。本 物の仏陀を殺せば、自分が仏陀にでもなれるとでも思ったのでしょうか…。な んとも情けない話です。 私の友人の友人がオウムの信者か何かで、オウム真理教が○月○日に、ヘリコ プターを使って、上空からサリンを撒く計画がある―――との情報を聞いたこ とがありました。 その日はちょうど、“EL”の講演会の日だったため、私は念のため“EL” の教団の支部に連絡を入れ、その旨を伝えました。その結果、講演会が延期に なったことがあります。講演会がなくなったせいか、オウムは上空からサリン を撒くようなことはしませんでしたが…。 このような邪教の教祖でも、彼を信じて集まる人々がいます。私は一見して、 不気味さを覚えたのに対し、その姿に涙する者も中にはいるわけです。 このように、救世主であるかないのかは、個々の認識と、その判断によって、 感じ方が違うといったことから、救世主存在を見極めるのは、とても困難なこ とであるのかも知れません…。
2008.03.18
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さて、今より3千年前に遡って、日本という国の建国の流れが、どのようなも のであったのかを述べてまいりました。それは、神々との交流があった上での “政(まつりごと)”であったということです。 それ故、宗教を何か悪いものでも見るような日本の風潮は、間違っているので す―――。物事には、必ずいい面と悪い面があります。例えばマスコミなどは 悪い面ばかりを報道するので、宗教のイメージがますます悪くなる―――とい った具合です。 そうした風潮でありながらも、人々が神や仏の存在を信じなくとも、この日本 という国を“神の国”“仏の国”として建国しようとしていた諸如来・諸菩薩 が多数おられるわけです―――。 そうした神々の努力のもと、日本は様々な問題を抱えながらも、こうして世界 をリードする大国へと成長をしてきました。その日本人が、今、忘れているこ とは、そうした神々に対する畏敬の念――信仰心――です。 本ブログは、まったく個人的な見解のもと、書き込んでいるものなので、私が 所属している宗教の名を伏せていますが、本ブログで何度も述べているように 今、この日本の地に仏陀が再誕しています―――。 これは、3千年前より、具体的にその国造りをしてきた“結果”なのです。 約2千5百年前に、インドの地にゴ―タマ・シッダールタが生まれ、悟りを開 き、後に仏陀(=「悟り開き者」)となったわけですが、その仏陀が、東の国 “日本”にて再誕する―――という神々の計画のもとに、日本という国は準備 されてきたのです。 この真実を信じられるかは、それは個々の認識の“差”であります。これまで にも、自称仏陀が複数おられたと思いますが、偽仏陀を信じて満足しておられ る信者の方は、それは、それまでの認識でしかなかったということです…。 また、本ブログでは、再誕の仏陀を“EL”と明記しておりますが、それは、 『聖書』の中にあるように、仏陀と同じ生命体の神が“エロヒム”と呼ばれて いた歴史に基づいていることの他に、ダンテの『神曲』などでは、“エル”と と明記されている理由から、本ブログでは“EL”と書いています。 私自身は、“EL”が仏陀の生まれ変わりであることは、それ程、重要なこと ではありませんでした。むしろ、仏陀の生まれ変わりだからって、それが何な の???というような感じでありました。 しかし、再誕の仏陀“EL”の説法を聴き、その著作を読んだ時に、「 ああ 私は、この“EL”が日本に生まれてくるということで、自分も日本に生まれ て来たんだ――― 」ということを実感したのです。 “EL”の法に出会う前までは、自分が日本に生まれついたことに対して、非 常にネガティブな思いがありました。日本は、私にとって、あまり馴染みのな い地だ―――と感じていたからです。 本ブログをずっと読んでいただいている方ならお分かりですが、私は2千年以 上もの間、日本の地には生まれてきてはいません。ほとんどヨーロッパを中心 に、転生を繰り返してまいりました。 そういった自分の過去世の理由から、日本の“美”よりも、西洋の“美”に、 馴染みがあったため、美意識の違う日本の文化には、馴染めないものがあった のです。 しかしながら、私の根底に流れている精神の“支柱”には、明らかに仏教の教 えがあります。今より約2千年もの間は、クリスチャンとしての経験が多かっ たた私ではありますが、今世の私の精神的基盤には、仏教の教えが、その中心 にあります。 これに関しても、本ブログでは何度も語ってまいりましたが、私は2千5百年 前のインドの地においては、マイトレーヤと呼ばれており、仏陀の直弟子だっ た経験があるからなのです。 今世においては、自分がマイトレーヤ(=弥勒)であったことを、瞑想中の伝 言(=テレパシー)で知ったわけですが、そうした魂の過去世の記憶から、私 自身の精神的な基盤(=魂)に、仏教の教えが染みついていることを知った次 第です。 宗教にあまり関心のない方は、このマイトレーヤ、或いは弥勒と呼ばれている 存在が、どういう者であるのか、知らない人の方が多いと思われます。私自身 も、自分の過去世の名が“弥勒”であったことを知るまでは、弥勒がどういう 存在であるかは、まるで知りませんでした。 しかし、弥勒が世に現れると人々を救う―――などと書かれている仏教書など を読むと、それは、とても責任重大である―――と感じたわけであります。 人は困った時、誰かに助けを求めると思います。自分が困難にぶち当たった時 助けてくれる人がいたら、それは本当に有り難いことです。しかし、そうした 窮境に陥る前に手を打つ方法があるのです。それは、窮境に陥らないようにす るために、“心を入れ替える”という方法です。 困った時にだけ神頼みをし、助けてくれなかったら神の存在を否定する――。 これが世の人の常だと思います。 末法の世に弥勒が現れ、人々を救う―――という仏典なども、解釈を間違えれ ば、自分は変わることは出来ないが、困った時は弥勒が救ってくれる―――と いった解釈が生まれますが、そうではないのです。 自分の人生が苦境になる前に、その心を正せ―――ということです。心の向き が間違っているからこそ、窮地に陥るのです。であるならば、誤った考え方を 正せ―――ということです。 自分の心を正しい状態に置く―――これが、“信仰”です。そのためには、正 しい宗教に帰依し、その教えを実践することです。それが人としての最善の道 だからです―――。 弥勒が人々を救う―――のなら、それは、弥勒が世の人々を救うために、地上 に降りている救世主存在を明らかにする―――ということに尽きます。
2008.03.17
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聖徳太子(574~622)といえば、「冠位十二階」「十七条憲法」の制定 の他、仏教諸教典の注釈作り、造時、造仏を盛んに行ったことでも有名です。 聖徳太子は、日本がその後、世界の仏法の中心地になる日が近づいていること を知っていた―――と言います。聖徳太子も、天之御中主神、高御産巣日神( たかみむすびのかみ)、神御産巣日神(かんみむすびのかみ)の国造化三神ら と共に、日本の地に降りて、国造りのために布石を敷いた高級霊(8次元如来 界の住人)であったのです。 今から三千年程前に、先に述べた国造化三神や聖徳太子らをはじめとする高級 諸霊が集まって、東の国――日本――において、新たな神の国を創らんとする 計画が立てられました―――。 聖徳太子は霊能力を有しており、生存中に、天上界の諸如来・諸菩薩の方々と 交流していたと言います。そして、「十七条憲法」においても、当時の時世に 合った作り方をしながらも、これは、そうした諸如来・諸菩薩から与えられた “諸規範”であった―――ということです。 聖徳太子が制定した憲法は、このように、神々の“法”を取り入れて作られた ものであるのに対し、現在の法律は、法律学者や政治家が決めたものであり、 日本国憲法にしても、GHGが2週間程の短い期間で草案したものであって、 神や仏の“法”(=正法)に沿ったものではないため、今後の日本の憲法は、 抜本的に変えなければならない―――と、聖徳太子は主張しています。 それは、日本国憲法の改定ではなく、抜本的な“改正”ということです。日本 国憲法の中に、神、仏の“法”を敬う支柱を取り入れなければならない――と 彼は説いています。
2008.03.16
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日本の文化の土台は、紀元前830年頃に、天之御中主神が、現在の九州は 高千穂峰(たかちほのみね)に出生したことに端を発していると言っていいと 思います。 本ブログで述べましたように、天之御中主神は、東国原知事ですっかり有名に なった宮崎県を中心とした南九州に、一大勢力圏を築いた政治家兼宗教家でし た。 その後も、この日本の地には、高御産巣日神(たかみむすほのかみ)が、第二 代の国王に選ばれます。この時の権限委譲(けんげんいじょう)は、父子相続 ではありません。御中主の臣下の中で、最も霊能力に優れ、“徳”の高かった 者に位を譲る(=禅譲)というものでした。 高御産巣日神(たかみむすほのかみ)は霊視が利く方で、いわゆる千里眼であ ったと言います。そのため、遠くに地に居る敵国の様子が、手に取るように分 かる―――といったことから、戦(いくさ)において敗れることはなかったよ うです。 そして、その次に出て来た第三代目の国王が、神産巣日神(かみむすひのか み)という方です。神産巣日神も霊言能力に優れ、既に天命を全うして、天上 界に帰天さた天之御中主神から直接通信を受けて、日本の政治の指針としてお りました。 天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三人とも、八次元如来界の住人で あり、日本神道の“格”を高めた方々です―――。 このような高級霊が日本に生まれ、国の政治ないし、その精神を築かれたわけ ですが、この土台造りも、その後の20世紀の時代に、主が降臨するために練 られた計画であったわけです。 本ブログでは、この“主”の存在を“EL”と明記しておりますが、このEL が、仏教を興した仏陀の生まれ変わりであることを、何度も述べております。 そのため、この日本の地に仏教の教えを根付かせるために、天上界の方針によ り、574年に聖徳太子を送り込んだわけなのです―――。
2008.03.15
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先の大戦で、日本が負けた理由については色々あります。軍の戦略や技術面に おいても、アメリカの力には及ばなかったのも事実です…。しかし、こうした 側面もあります。それは、宗教的側面から言えば、キリスト教と日本神道を戦 わせ、日本神道を破る―――というものです。 これは、キリスト教と日本神道の神々よりも、さらに高次な視点から言えるこ となのですが、神々の世界においても、悟りの“差”、次元の“差”があるの です。つまり、アメリカの神々とと日本の神々を戦わせた、さらにその上の “神意”が働いていた―――ということです。 そろそろ回りくどい口調は止めて、本題に入りたいと思うのですが、日本がこ の戦争で負ける―――というのは、ある意味、日本神道の神々の意志のみなら ず、さらに、それを超えた高次の神の意思決定による―――ということです。 というのは、それまで日本の地というのは、大日本帝国憲法にもあるように、 天皇という存在は国民にとって、“生き神様”であったわけです。この精神は 絶対的なものでありました。 確かに天皇家というのは、日本の神々の肉体の末裔であり、実際、日本神道の 神々の御加護を得ながら、天皇家は続いてきたわけでありますが、そもそも、 日本という国を造ろうとして、数千年前より計画してきた神々の流れの中に、 この日本の地に“救世主”を降臨させる―――という意図があったということ なのです―――。 救世主を地上に降ろす―――ということは、容易なことではありません。本ブ ログでは既に言及していることですが、救世主の転生のサイクルは、2~3千 年に1度―――というサイクルです。通常、一般の魂の転生のサイクルが、 平均2~3百年に1度ということですので、救世主存在の転生のサイクルが、 得意なものであることが分かると思います。 また、本ブログで救世主と呼ぶ存在の魂は、仏教用語では“大如来”と呼ばれ 次元的には“9次元”と呼ばれている世界(=実在界)に住んでいる存在で す。この9次元世界には、釈迦やイエス・キリストらの生命体の他、数名の生 命体が住んでいる―――といったように、ごく限られた存在です。 この9次元世界に住む生命体が地上に降りる際は、大抵、そこで宗教が興りま す。それは神々の計画の中に、そのような方針があるからです。 しかし、新しい宗教を興す―――ということは、非常にリスクが高いことも事 実です。それは、既存の宗教に押し潰される可能性があるからなのです。 例えば、本ブログで既に述べていることではありますが、イエス・キリストに おいても、彼は9次元世界から地上に降りた救世主であったわけですが、彼が 生まれた地ではユダヤ教が主流で、ユダヤ人たちはその教えに則った生活をし ていました。 『旧約聖書』を見れば分かることなのですが、彼らユダヤ人が信じている律法 というのは、完全な教えではないのです―――。 イエスは、律法には足らない、正しい神の“愛”の教えを説いたわけですが、 ユダヤ人たちはイエスの教えを信じませんでした。彼らにとって、ユダヤの教 え“律法”は絶対的なものだったので、イエスの教えをまったくもって理解し ませんでした。 その結果、イエスが辿った運命は、十字架に架けられる―――というものでし た。ユダヤ人はイエスを罪人として扱い、そして殺害しました。最悪のシナリ オが展開したわけです―――。 このように、新しく宗教を興すということは、既存の宗教との教えの違いから 摩擦が起き、イエスのように、救世主存在が“罪人”と扱われ、挙句の果てに 殺されてしまう―――というリスクがあるのです。 これは、いつの時代でも起きていることでもあります。真実の教えが説かれる 時は、必ず、その犠牲者というものが出てしまうのです。それは認識の“差” があるために生じてしまうのです。 こういった理由から、20世紀の日本の地において、救世主を誕生させ、新し く“法”を説くためにも、それまでの日本の神道の信仰形態が、救世主存在の 仕事を邪魔してしまう―――といったことが起こるわけです。 2000年前に起きたイエスの悲劇的な死を繰り返さないためにも、日本国民 の天皇に対する絶対的な崇拝形態を、取り払わなければならない―――という 計画が、天上界にあったことを知る必要があります。 しかし、何度も言っておきますが、戦争を終わらすために核を使用したことは 間違っており、それは天意ではありません―――。
2008.03.14
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第二次世界大戦に負けた日本は、1946(昭和21)年1月1日の詔書(し ょうしょ=天皇の命令を伝える公文書)の中で、天皇が現人神(あらひとが み)であることを、自ら否定した―――と解釈される言及部分があります。 ―――私は国民とあり、その関係は、お互いの信頼と敬意とで結ばれているも ので、単なる神話や伝説に基づくものではない。 ―――私を神と考え、また、日本国民をもって、他の民族に優越している民族 と考え、世界を支配する運命を有するといった架空の観念に基づくもの ではない。 この昭和天皇の詔書は、自ら発したものではなく、GHQの要求に応じたもの であったわけですが、この昭和天皇の詔書により、当時の国民は非常にショッ クを受けたのでした。 例えば、それまでの大日本帝国憲法の第1章天皇の第3条では、 ―――天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス―――とあります。 これは、「 天皇は神聖にして侵すべからず 」という意味ですが、天皇は 日本の神々の末裔である―――という流れから、日本国民にとっては現人神で あったわけです。 そのように崇拝されていた天皇自身が、先に述べたように、人間宣言をしたこ とで、日本国民は崇拝する対象を失ってしまったわけです。この宣言は、日本 国民の精神を骨抜きにされたと言っても過言ではないと思います。 日本の対戦相手であったアメリカが、1945年8月6日に、まず、広島に原 爆を投下し、続いて8月9日に長崎に原爆を投下したことで、日本は事実上敗 戦しました。しかし、いかなる理由があろうとも、戦争に原爆を使ったという アメリカの行為は、決して許されるものではありません。 ちなみに、アメリカは原爆を使ったことにより、戦争を終わらせたことを自負 していますが、この行為は宇宙協定から見ても、“違反”行為である―――と いうことです。 話はやや逸れましたが、この戦争によって、原爆を落とされた当時の日本国民 の悲惨さは、とても語り尽くせるものではありません……。しかしながら、日 本人はこうした制裁を受けながらも、戦後、ここまでの繁栄を見せました。 現代の日本人は、このように苦難を乗り越えた日本人の努力の上に成り立って います。戦後を乗り越えてきた日本国民の上に、今の私たちの生活があるわけ です。 そして今現代、日本を骨抜きにしたアメリカの経済はどうでしょうか…。サブ プライムローン問題により、アメリカ経済は非常に傾いています。アメリカは かつての強い国ではもうないのです―――。日本はいつまでも、GHQの草案 した日本国憲法に縛られている場合じゃないことに、国民は早く気付くべきな のです―――。
2008.03.13
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日本の神々の肉体的な末裔(子孫)として、神武天皇の即位以来、天皇家が続 いているわけですが、第二次世界大戦後、日本国憲法第1条において、天皇は 日本国と日本国民統合の“象徴”として規定されています。 それまでの天皇と言えば、国民からしてみれば“神”のような存在であったた め、天皇の言うことは“絶対的”なものでした。 実際、天皇家は神道系の神々の指導を受けている存在でありますが、そうした 日本の神のご加護を受けていながらも、この神の力が、世界には通用しなかっ た―――という“現実”があります。 この“現実”とは、すなわち第二次世界大戦で“敗戦”したことです。この戦 では、明らかに、アメリカと日本の軍事面においても、戦力と技術の“差” がありました。それは、この当時のアニメーション技術のひとつをとってみて も、歴然とした“差”がありました。 日本はこの大戦にて、1945年8月でもって無条件降伏したわけですが、ア メリカのアニメーション会社で有名なウォルト・ディズニー・スタジオは、こ の5年も前に、『 ファンタジア 』(1940)というアニメーション映画 を製作しています。 『 ファンタジア 』の日本での公開は、戦後の1955年9月23日であっ たということですが、このフルカラーのアニメーションの技術力ひとつとって みても、アメリカとの“差”は歴然としたものがあります。 戦時中、ある日本人が、アメリカのアニメーション映画を目にした時、その技 術力の高さから、「 この戦争は負ける! 」と思ったそうです。これは、と ても説得力のある逸話だと私は思いました。 当時の日本人は、「 神の国日本が絶対に負けるわけがない―― 」と信じて 戦ってきたので、日本が敗戦したという知らせが国民に届いた時、それはそれ は、とてもショッキングなことであっただろうと思われます。しかしながら、 アメリカのアニメーション技術の実力を知っていた日本人にとってみれば、そ れは至極当然のことであったと思うのです―――。 日本という国は、第二次世界大戦前まではそれで良かったのかも知れません。 しかしこのように、その当時の国民一人ひとりの意識の中で、世界の基準から 見た日本の位置関係という認識が、かなりズレていたのも事実です。 厳しい言い方をすれば、日本神道の流れを持つ天皇を中心とする国のあり方が 世界の基準に通用しないという現実を、知らされた戦争でもあった―――とい うことも出来るかも知れません。 日本国民の天皇に対する信仰にも似た姿勢は、GHQ(連合国軍最高司令官総 司令部)にしてみれば、この上なくやっかいな問題でした。彼らは、日本人の この天皇に対する信仰―――或いは崇拝と言ってもいいですが―――の形態を どのように解体すればいいのか、あれこれ悩んだのです。 オーストラリアやアメリカの国民世論、イギリスの首相チャーチルやソ連など は、日本の天皇制を廃止するように求めましたが、GHQの出した案は、日本 の天皇制を持続させ、国民を統合し、間接的に統治をした方がやりやすい―― というものでした。 つまり、外見は天皇制というものを持続させながらも、その中身はアメリカの 言いなりというわけです。こうした具合に、それまでの日本人の神道に対する あり方が徐々に廃れ、アメリカナイズされていったわけです。 そして、この戦争をもっと高次な視点で見れば、これは、アメリカのキリスト 教と日本神道の宗教戦争であった―――という見方もあります。日本は敗戦し たことで、日本神道が事実上敗れた―――ということです。
2008.03.12
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天照大神によれば、「 本来、“神道”というのは、道徳・道徳家・或いは、 仏教的な宗教家たちの集まりではない―――。神道というのは、政(まつりご と)、“祭政一致”をもってその原点としている―――。」と説いています。 また、「 神道は政治から追放された時に、神道の機能の大半は喪われた。本 来は、人々を治める中に神の道がある―――それが“神道”である―――。」 とも述べられています。 現代の日本において、“神道”とか“仏教”、或いは“キリスト教”でもいい ですが、こうした類の宗教について、何か特別な行為や行動・動作などを連想 される方が多いと思われます。 しかしながら、天照大神によれば、「 日曜日に教会に行くことが信仰のかた ちではない―――、“宗教”とは各家庭の中にあって、常に神のことを念い、 神と共に生活すること―――ただ、それだけのことである―――。」とも説い ておられます。 つまり、かつての日本の家庭には、宗教心があり、人々は神と共に生活してい たものが、今失われているということに、天照大神は嘆いているわけです。 各家庭での宗教心が失われたことで、神を念い、敬う気持ちが無くなってから 日本人は、どういう人が、人の上に立つ人であるのかという指針を見失ってい るわけなのです。 これには、日本が第二次世界大戦に敗戦した後に、アメリカのGHQの政策に 甘んじて従わなければならなかったという弱さにも、その原因があります。
2008.03.11
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日本の精神的基盤(=宗教心)には、まず、日本神道の流れがあったことをお 話しました。この日本神道の教えの特徴を挙げれば、“秩序”というものがあ ります―――。 この“秩序”とは何であるのか―――ということですが、これは「 神近き人 が最も尊ばれる 」ということです。 あの世の実相界においては、この“秩序”が狂うことはありません。あの世は “秩序”そのものの世界だからです。つまり、悟り高き人が高次元の世界に住 み、その悟り具合によって、雛段飾りのように住み分けができているのです。 しかし、この3次元の(地上)世界においては、その“秩序”は確立されてい ません―――。善人も悪人も、同じ階梯に住んでいます。そして、この3次元 世界においては、悟り高き人よりも、家柄や腕力、念力や世渡り上手な方―― ――というような人が、成功者となることが多いのも事実です。 そのため、日本は長らくの間、神の理想的な“秩序”とは、まったく無縁な 状況が続いています…。それも止むを得ないことではありますが、そのために 今の日本の政治、あるいは経済といったものが乱れに乱れいる―――といった 状況にあるのです。 今の日本の世の中が、何が良くて、何が悪いのか―――といった基準がありま せん…。それは、そうした基準を教えるはずの“宗教教育”を、教育の現場か ら外に追いやったためなのです―――。 文部科学省なども“神”や“仏”、あるいは“霊”といった言葉を、できるだ け教育の現場から外すような政策をとってきましたが、その結果、彼らがそう した政策をとった結果は、どのような教育の現場が出来ましたでしょうか…。 先生を敬わない生徒や父兄―――陰湿ないじめ、いじめによる自殺……。この ような最悪な現場を生んだのではないでしょうか―――。 また、文部科学省がとった“ゆとり教育”が、どれだけの成果があったのでし ょう……。それはただ単に、日本人を世界に通用しない人材を育てたに過ぎま せん。“ゆとり”とは、努力の結果得られるものであって、努力の前に与える ものではないのです…。 文部科学省は、未来を担う日本人をダメにした大本(根本原因)です。彼らは 最悪の仕事をしてくれました。 この文部科学省の“失敗”は、普通の民間企業であれば、解雇されるべきはず でしょう―――。しかし、文部科学省の者は、誰も責任を取りません…おかし な話です。政策が失敗であったにも関わらず、何故、国民の税金で、彼らの高 い給料が支払わなければならないのでしょうか―――。 何故、政策に失敗した民間企業は、倒産を余儀なくされるのに対し、国家公務 員(官僚)の失敗は問われずに、税金で賄われなければならないのでしょう か……おかしな世の中です。 日本はよく、“官僚政治”とよく呼ばれますが、これがそもそもの元凶なので す―――。
2008.03.10
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日本の宗教の基盤には、まず、神道の流れがあります―――。これは今より 約3千年程前に、九州は高千穂峰に出生した天之御中主神を中心に、神の言葉 を伝える者が国を治める―――という姿勢をハッキリと打ち出したもので、 宗教と政治が一致(=祭政一致)していました。 天之御中主神は、現在の宮崎県を中心とした南九州に、一大勢力圏を築いた政 治家でしたが、霊能力があり、人の心を手に取るように読めたので、彼の臣下 に悪人が出ることができなかったためもあって、完全な徳治政治を行った―― ―ということです。 話は少しズレますが、宮崎県と言いますと、今ではすっかり有名な東国原知事 を思い浮かべますね。彼は今、非常に故郷の国を立て直そうと努力されていま す…。見ていてとても気持ちがいいものです。 彼がこれだけエネルギッシュに故郷のために政治が行えるのも、かつて同地 に、天之御中主神が降臨されていたことも無縁ではないと思われます。九州は “信仰”の磁場がある地なのです―――。 今は、宮崎県というレベルで政治を行っている東国原知事ですが、もっと視野 を広げれば、そうした故郷のことのみに関わらず、日本全体の視野に立たれる と、日本という国はもっと良くなると思われます。 日本は小さな島国でありますが、例えば神奈川県一つとってみても、神奈川県 の1年間の予算が、なんとオランダの1年間の国家予算と同額であるという事 実があります―――。一国の予算と、日本の一つの県の予算が同額であるとい うことは、日本は、小さな国が沢山集まっている大国であるわけです――。 このように、世界と比較しましても、現代の日本は非常にハイレベルな国家と なっているわけですが、一つひとつの県の規模が大きいだけに、政治がまとま らないのも無理がありません…。ですから今の政治は困難を極めるわけです。 政治の政策については話が長くなるのでこの辺でやめますが、初期の日本の国 には、政治家であり、なおかつ、神の声を伝えることが出来た、天之御中主神 というお方がおられたことを、認識していただきたいと思うのです。 彼がひとたび口を開いて発した言葉は、必ず成就する―――といった具合だっ たそうです。例えば、隣国が何月何日に和睦を申し入れてくる―――と予言す ると、実際、その通りになるということです。 今の日本に、こうした政治家はいません。政治と宗教は別個であるからです。 そのため、神の意に反した政治を行うことで、日本は様々な問題を抱えている のが現状です―――。
2008.03.09
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天之御中主神が日本の主宰神の一人であることは、周知の事実でありますが、 そうした日本神話の中に登場する人物以外にも、この日本を神の国として築か んと努力をされた方がいます。その人物とは「冠位十二階」や「17条憲法」 を定めた聖徳太子(574~622)です―――。 聖徳太子は、日本の国造りに力を尽くされた方でありますが、それまでの日本 の“神道”の教えではなく、“仏教”の教えを取り入れたことに、大きな意味 があります―――。 ELの著籍によれば、天之御中主神は、主として、日本の宗教指導を担当して いるわけですが、聖徳太子は主に、日本という国の基礎となる政治・経済・文 化の面を担当している―――ということです。 天之御中主神も聖徳太子も、如来界(8次元)の最高段階の住人ということで ですが、何故、同じ位の如来界最高位の指導者であるにも関わらず、一方は、 日本神道の教えを説き、もう一方は仏教を取り入れたのか―――これには歴と した神の計画があるのです―――。 ちなみに、聖徳太子の魂は天上界では7大天使に並ぶ方で、“シュバン・ツ ェル”と呼ばれており、その生命体はアメリカの19世紀に生まれ変わって、 第16代大統領となったリンカーン(1809~1865)―――ということ です。
2008.03.08
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日本人は“宗教”という言葉を聞くと、何か“胡散臭い”ものや“いかがわし い”と考えたり、「 宗教は弱い人が入るところでしょ? 」などと感じられ ている人が多いと思います。 しかし、この価値観こそ、日本人をダメ人間にしている価値観であることを、 ハッキリと明言しておきたいと思います―――。 “日本”という国が、神々の意識によって明確に形造られたのは、およそ3千 年前あたりからだと言われています。 それは、神々が住む天上界にて、日本の神々が編纂され、いかにしてこの国を 立派な国にするか―――と協議がなされ、そうした神々の意図と指導をもとに して、紆余曲折を経ながらも、日本は、今や世界の中心的な国になろうとして いるわけです―――。 日本人の皆さんは自覚がないかもしれませんが、今の日本は、かつてのイタリ ア・ルネサンスの文化を、はるかに凌駕する文明の高みを築かんとしている― ――といった、稀有なる時代なのです。 何故、未だに文明の高みをイタリア・ルネサンスの時代にフォーカスされるの かは、イタリア・ルネサンスの生み出した芸術の高みが、結局、その後の芸術 作品と比べてみても、最高の位置にあるからだと思うのです―――。 イタリア・ルネサンス以降、ヨーロッパ諸国において、小さな規模でのルネサ ンス運動はありましたが、やはり芸術性からみても、イタリア・ルネサンスが 遺した芸術の域は超えていないと思います―――。 その理由については、本ブログで以前述べましたが、芸術の高みとは、つまり “霊性”の高み―――なのです。言葉を言いかえれば、芸術の高みとは、すな わち、“高貴なる魂の輝き”のあらわれ―――なのです。 この“高貴なる魂の輝き”は、どのようにして生まれるかは、それは、正しい 宗教によって生まれてくるのです。正しい宗教を“信仰”し、それを貫いた姿 勢―――その心意気―――によって、あらわされる表現が“芸術”と呼ばれる のです。日本の主宰神の一人であられる天之御中主神は、「 宗教の最高段階 は“芸術”である――― 」と、ハッキリと語っておられます…。 つまり、宗教を度外視した芸術は、有り得ない―――ということです。 このような宗教観や正しい信仰の姿勢を度外視したり、はたまた、神の存在を も否定した者が作り出す作品などは、それは“芸術”とは呼ばないのです。そ れは単なる“モノ”でしかありません。この意味がおわかりでしょうか…それ は、こういうことなのです…。 この3次元の世界では、玉石混淆で、良いも悪いも同じ3次元の空間に存在し ています。幼児が描く落書きでも、はたまた、ある画家が描いた数億円もする ような絵画が、同じ空間(=地上)に存在します。 けれども、あの世の実相の世界は違います。例えば、この3次元の世界で、心 清らかで、神の御心に添った人物Aが作り出した作品と、一方、神の意に反す るような姿勢で生きている人物Bが作った作品は、あの世の実相の世界では、 同じ次元で見ることは出来ない―――といった事態が生じるのです―――。 神から愛されていた人物Aの作品は、その作品の霊性に似合った天上界に、そ の作品は移行されるわけです。そして、人物Bの作品は、神の意にそぐわない 作品として、地獄界に移行する―――ということになります。 このように実相の世界では、作り出した作品の霊性のレベルによってハッキリ と行き先が変わるわけです。ですからこの地上のように、どこぞこのお偉い 先生の趣味・趣向によって評価が変わる―――なんてことはありません。列記 とした霊性の高み―――その人の悟り具合い―――によって評価がされるので す。 今の日本は、正しい宗教の動きがあるにも関わらず、それを批判・誹謗する― ――といった事態となっています。それは日本最大の邪教(=創価学会)が、 政治・マスコミ・警察―――などの機関にいるからです。この偽宗教団体が、 どれだけ日本をダメにしているか、日本人はもっと、この邪教団の動きに敏感 にならなくてはなりません……。
2008.03.06
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創価学会員による殺人事件について、有名人の名を挙げれば、故伊丹十三映画 監督の自殺も創価学会による暗殺ではなかったか―――という噂があります。 伊丹監督は自作の映画「ミンボーの女」で、組織暴力団を批判していましたが その伊丹監督の顔をカッターナイフで切りつけたのが、創価学会と癒着関係に ある後藤組の組員であったということです―――。 伊丹監督は「愛人がいた」というスクープ記事が出るのを恐れ、ワープロに、 「 死んで身の潔白を証明する―― 」と書いて、ビルの屋上から自殺したと されていますが、それは事実ではないようなのです…。 と言いますのも、ある情報によりますと、伊丹監督の次回作は、なんと、創価 学会の不正を暴く作品だった―――というのです。それは、ウィキペディア百 科事典にも、次のように書いてあります。 「 1997年12月20日、写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰さ れたことに対して『 死を以って潔白を証明する 』との遺書を残し、 丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。 しかしながら、他殺とされる見解も非常に多い。それは不倫疑惑について 週刊誌の記者からインタビューを受けた際に『 妻に聞いてみればいい よ 』と笑いながら全く意にも関せず、『 いつものことだから 』のよ うに軽口を叩いていた伊丹が突然それを、『 死を以って証明する 』と 自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。 さらに、次回作の題材となる宗教団体の信徒に殺されたという陰謀論もあ る―――。その信徒が深夜、件のマンションに乗り込み、伊丹の手足を縛 った上アルコールを無理やり飲ませ(静脈注射との説もある)、泥酔した ところを屋上から突き落としたというものだ。 」 私も、伊丹十三監督が自殺した―――という報道をTVのニュースで聞いた時 は、「 へっ?何で? 」と思いました。そして、その自殺の原因が、愛人が いないことを身を持って証明する―――ということであったと聞いて、正直、 「 愛人がいたから自殺したんでしょ? 」って思ったものです…。 しかし、伊丹監督が、次回の映画を、創価学会の不正を暴くものであった―― ―ということを聞き、それでは、彼らに消されたんだな―――と思った次第で す……。
2008.03.05
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日本最大の邪教団(=創価学会)の悪事を書き込むときりがないので、この辺 りで止めたいと思いますが、邪教団の信者の行く末がどのようなことになるの か―――述べておきたいと思います。 本ブログ(511)で、私は既に、「 創価学会の実態を知る―――ことは、 ちょうど『底なし沼に足を踏み入れた』ような感覚に似ている――― 」 「 その悪事を紹介することで、私自身も、その泥沼から這い上がれなくなる ような感じがする――― 」と表現しましたが、邪教団の信者があの世へ帰る と、実際、地獄のヘドロに浸かったまま這い上がれない―――といった状況に 置かれるようなのです―――。 邪教の教えを信じることは、思想が間違っているので、当然のことながら死後 は地獄に落ちます―――。 そうした地獄に落ちた霊たちを、天使は救済に行くのですが、何年間も邪教に 入信して、信じ込んだまま亡くなってしまった人というのは、地獄の中でも、 へドロに浸かっており、へドロに浸かっていた体(=霊体)が腐っているので なかなか救済出来ない―――ということです。 このヘドロとは、つまり、邪教団の“教え”“思想”の部分が、霊的にはちょ うど“へドロ”のようなものであるので、3次元世界(=地上)では、経典ら しき形をとっていても、実相の世界においては誤魔化しがきかないので、そう した邪教の経典は、“へドロ”そのものである―――ということです。 ですから、邪教団に足を踏み入れると、この世的には、その邪教団の組織力に よっていい思いをする方もおられるかも知れませんが、実相の世界では、大変 な地獄の世界が展開しているので要注意です―――。
2008.03.05
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国連(「国際連合」)に、創価学会の信者が多数送り込まれているのはご存じで しょうか…。これは、別に世界平和を目的にしているのではありません。それは 名目上のことです…。世界平和を理想に掲げながら、人殺しをして揉み消すこと をしている組織は、どう考えてもおかしいでしょう…。 私の娘が幼稚園生だった頃、小学受験をするために、受験用の塾に通っていたの ですが、その時に知り合った方で、こんな方がいました。 私に対しては、「 どの学校を受験するの? 」と聞きながら、自分の娘の受験 校は教えない―――という姿勢だったので、私は変な女性(ひと)だな~と感じ ながらも、「 どのあたりを受験されるのですか? 」と聞くと、彼女は「 立 川の方… 」と言い、「 そこは将来、国連に入る人材を育てるから… 」とい うようなことを言っていました。 彼女が、受験校を口にしないことと、“国連”という言葉を口にしたことで、私 は、( 創価学会の小学校に受験するんだな… )と、すぐにピンときました。 創価学会が国連を牛耳ろうとしていることを知っていたからです…。 私は心の中で、何も知らない彼女の幼い一人娘が、創価学会という邪教の信者と なって、国連で働かせるという夢を背負わされていることに( 何て可哀想なん だろう――― )と思っていました。 その後、その親子は案の定、創価学会の小学校に入ったことが分かりました。塾 の合格一覧表に、「 創価小学校―――1名 」と記入されていたからです。 国連が世界平和のための機関である―――という固定観念は持たない方がいいと 思います…。そこの人材は、多くの創価学会の信者がいるからです…。
2008.03.04
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なぜ、日本の政治は迷妄しているのか―――ということですが、これは政治の 中枢に邪教党(=公明党)がいるからです…。 公明党の母体が、創価学会であることは周知の事実でありますが、この邪教団 が、どれだけ日本をダメな方向に向けさせているのかは、国民の皆さんは、あ まりご存じではないと思うのです。 この邪教(=創価学会)のことを取り上げると、そのいかがわしさを紹介する だけで、私の人生の大半を費やしてしまいそうなので、あまり触れたくないと 思っていましたが、この日本最大の邪教を叩き潰さない限り、日本の未来はな い―――という思いから、やはり本ブログでも触れることにしました。 創価学会のいかがわしさを挙げれば、本当に話題に事欠きません…。それほど “悪事”があるのです。この“悪事”が表立たされないのは、本ブログでも既 に述べていますが、警察・マスメディアに創価学会の信者が大勢いるからなの です。 創価学会という邪教団が、どこまで“悪事”をしているかについては、その話 題に触れている、他の方のブログを覗いていただきたいと思います。あまりに もおぞましいので、とても私の手には負えない―――というのがその理由で す。 創価学会の実態を知る―――ことは、ちょうど「底なし沼に足を踏み入れた」 ような感覚に似ています。その悪事を紹介することで、私自身も、その泥沼か ら這い上がれなくなる―――ような感じがするのです…。 そういった理由から、創価学会の実態を知りたい方は、最近有名なネット・ジ ャーナリストのリチャード・コシミズ氏のブログなどを見ていただければと思 います。 リチャード・コシミズ氏に限らず、他の方も述べていることですが、なぜ、こ の邪教団が、ここまで日本の政治を悪くするのかは、そのボス(=池田大作) が、日本を亡国させようとしている“朝鮮人”だからです―――。 朝鮮人を批判しているのではありません。私にも韓国人のお友達がいます。し かし、この池田大作に限っては論外です―――。彼は明らかに、この日本を滅 ぼす方向に導いているからです……。 この邪教団(=池田大作)のボスは、成太作(ソン・テチャク)というのが 本名です。―――ソン・テチャク―――本ブログでは、彼の本名で呼びたいと 思っています。
2008.03.03
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“りそな銀行国有化問題”は、ジャーナリストが手を出すには“危険”を伴う トピックスのベスト3に入る―――と言われているそうです…。 その被害者となった、経済評論家の植草氏、朝日新聞記者の鈴木敬一さん、会 計士の平田聡さんの事例を紹介してきましたが、被害者は他にもいます。それ は、国税調査官の太田光紀さんです―――。 太田光紀さんは当時、りそなの脱税を調査していたのですが、その太田さんは 2006年9月7日午後3時15分頃、横浜市西区のJR横浜線東口ルミネの エスカレーターで、女子高校生(17)のスカートの中を“手鏡”で覗いてい たとして、巡回していた鉄道警察隊員によって、現行犯として逮捕されたので す―――。 この事件が捏造であることは、私が説明しなくても、賢い読者であればおわか りになると思います―――。 この事件は、植草氏とまったく同じ内容である―――ということです。つまり 闇組織は、太田さんに対して、「 よけいなことを言えば、お前も植草と同じ 運命を歩むことになるぞ――― 」と脅されたわけです…。 なぜ、こうした捏造事件が繰り返されてしまうのか―――。私たち国民は、警 察やマスメディアの言いなりにならずに、正しい見解を持てる人間にならなく てはなりません―――。 ちなみに“りそな銀行国有化問題”についての詳しい内容は、私もまだ目を通 していないのですが、『植草事件の真実』(ナビ出版)に記されています…。 植草事件の真実
2008.03.02
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植草氏が“りそな銀行国有化問題”を指摘する以前に、闇組織から殺された人 が他にもいます―――。それは、りそな銀行の監査を担当していた、当時の 朝日監査法人(現あずさ監査法人)の平田 聡さんです―――。 りそな銀行の監査を担当していた平田さんは、同銀行の経営状態を当然のこと ながら熟知していました。そんな平田さんは、りそな銀行が経営危機にある― ――ということを演出したい政府筋から、激しい圧力を受けていた―――と言 われています。 りそな銀行が危ない―――と全国放送のメディアを通じて論じていた政治家が いました…。私はその政治家が悪者だと思ってはいませんが、結果的には、闇 の組織の“駒”としての仕事をしていたことになります―――。 大物政治家が、全国ネットのTV番組で、そのような発言をしたことにより、 当然、りそな銀行の株は売られ、どんどん株価が下落していきました。 当時、小泉政権は、りそな銀行処理に関して「 退出すべきは退出させる 」 として、再三にわたり表明してきました。つまり、りそな銀行の株を持ってい るだけ損である―――ということです。結果、りそな銀行の株はどんどん売ら れていきました。 しかし、2003年5月、土壇場になって、政府はりそな銀行に対して「破綻 処理」をするのではなく、総額1兆9660億円にも上る公的資金を注入する といった「 救済 」策をとりました。その結果、りそな銀行は、国が大株主 となったことで国有化となったわけです―――。 それまで、「 救済しない 」と公言していたにも関わらず、「 救済 」し たことにより、値下がりしていた株価は、当然のことながら一気に上昇しまし た。日経平均7607円まで暴落していた株価が、2003年8月18日には 10000円の大台に乗ったのです―――。 表面的に見れば、小泉政権がとった政策により、金融恐慌が訪れるはずだった 日本の経済が回復した―――と見えるかもしれません。けれどもその実態は、 米国の指示するままに動いた日本の政治家たちによって、日本の資本が、その まま外国系のファンドに持って行かれた―――ということなのです。 りそな銀行の株を持っていた日本の資本家が、安値で株を売ったことで、資本 が目減りします―――。そして、安くなったりそな銀行の株を、外資系ファン ドが買いあさります―――。その後、日本政府が米国の言う通りに、救済処置 をとった結果、株価は上昇を見せ、外資系ファンドや、その他、政府が救済す ることを事前に知って、株を買っていた人達が儲かる―――という図式です。 国ぐるみのインサイダー取引が行われていた―――というのが、専門家の見方 です。けれども、それは、米国の言いなりになっていたということでもありま す。 この時に大儲けした外資系ファンドとは、ユダヤ系資本家であると思われます が、騙されたとはいえ、これは日本の政治家の失態です―――。 このような茶番劇であった「 りそな銀行国有化問題 」の真実を知る人間 ―――監査担当の平田さん――は、りそな銀行が国有化される直前の4月に、 自宅マンションから転落死――自殺――したことにされたのでした。 その後、朝日監査法人は、4月22日にりそな銀行の監査を辞退しています。
2008.03.02
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しかし、植草氏は殺されなかっただけ良かったかもしれません…。実際に殺さ れてしまった方もいるのですから…。私はこの事実を、TVのニュースではな く、インターネットで知りました。 殺された人というのは、朝日新聞の鈴木敬一記者です―――。鈴木記者は、 2006年12月17日に、海に飛び込んで自殺したということになっていま すが、彼が亡くなった原因は、自殺ではありません。彼は抹消されたのです。 それは翌日に朝日新聞一面に掲載された、「 りそな問題 」の記事を書いた ためなのです―――。 2006年12月18日に、朝日新聞に掲載された鈴木記者の記事には、大手 銀行の自民党への融資残高は、2005年末で80億円に達し、その内で、り そな銀行が54億円も占めている―――ことを指摘しています。 大多数の銀行は政党融資には慎重を期していますが、りそな銀行だけが突出し て融資しているのです。 りそな銀行は、旧大和銀行時代から自民党に対して国政選挙の融資を提供して おり、そうした事実を含めた記事を書いた鈴木氏は、自らのスクープが掲載さ れる前日に、海で変死体で発見されているのです―――。おかしくないでしょ うか…。警察もマスコミも、もっと詳細に調べるべきでしょう―――。 植草氏も、「 りそな国有化問題 」で詳細に調べをし、本を出版する直前に 事件をでっち上げられ、犯罪者に仕立てられたのです―――。 もちろん全てではありませんが、政治家・マスコミ関係者・警察の中に、闇の 組織の“分子”( あるいは“駒”と言ってもいいですが… )が居るという ことです。この3拍子が揃わなければ、殺人事件を自殺として処理できるはず ないのですから―――。
2008.03.02
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アメリカのユダヤ系投資会社リップルウッドは、新生銀行(旧「長銀」)を 10億円で購入したということですが、買収される前に日本の政府は、同銀行 の融資先には、ダイエーやそごう、熊谷組などの不振企業を抱えているため 「潰せない」ということで、3兆5千億円もの税金をつぎ込んでいました。 つまり、日本国民の税金――“3兆5千億円”――もの大金ををつぎ込んでお きながら、それをアメリカの投資会社に、10億円で買収されたわけです。信 じられない汚点です。まんまとアメリカのユダヤ系企業に儲けさせてしまった のですから……。 植草氏はその不当性を述べていたことから、口封じのために、事件を捏造し、 植草氏の社会的信用を失くさせたのです―――。 そして、再び植草氏は狙われました…。それは新生銀行と同様、りそな銀行救 済時に、大規模なインサイダー取引が行われたことを同氏が指摘したことによ ります―――。 またもや闇組織が、植草氏の口封じのために、彼に汚名を着させました。その 手口はまたしても、彼を痴漢犯罪人に仕立てる―――というものでした。 2006年9月13日午後10時10分頃、京浜急行の電車内で、神奈川県内 の女子高校生(17)の下半身を触った―――というものです。 植草氏は周囲の乗客に取り押さえられ、京急蒲田駅で同署員に引き渡されたと いうことですが、植草氏は一貫して無実を訴えています。それにも関わらずマ スコミは、この事件を大きく取り上げ、あたかも植草氏が再犯したかのように 報道しました―――。 しかし、この報道により、一人の心ある男性が、植草氏の無実を証言している のです。 その男性とは、捏造事件が起きた同日、植草氏と同じ電車に乗り合わせていた という人物で、彼は、植草氏は吊革につかまって、うなだれて立っていただけ だった―――と、裁判所で証言をしたのでした。 この男性は、植草氏は何もしていないのに犯罪人として扱われていることに同 情して、自らの意志で、その場にいた目撃者として名乗り出たのです―――。 マスコミのやり方というのは、植草氏の不利になるような報道ばかりをし、同 氏が無実であるような内容は一切報道しません―――。私たち国民は、こうし た偏った報道ばかりに耳を傾けていると、無実の人を犯罪者として見てしまう といった色眼鏡を、知らず知らずのうちに、かけさせられているのです…。 もし、自分が植草氏の立場であったらどうでしょうか―――。世の中というの が信じられなくなって、自暴自棄に陥るのではないでしょうか…。闇の組織は まさしく、それを望んでいるのです。彼らが次に狙うとしたら、植草氏を殺害 して、それを自殺に見せかける―――というものです。
2008.03.01
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おかしいのは日本のマスコミだけではありません。警察も既に曲がっていま す。その事例をご紹介したいと思います。 例えば、2004年4月12日、JR品川駅構内で手鏡を使い、女子高校生の スカートの中を覗いていた―――ということで、当時、早稲田大学大学院教授 であった植草一秀氏が、現行犯で逮捕されるという事件がありましたね…。 しかし、この事件は“捏造”なのです――――。 何故に植草氏が狙われたのか―――は、当時、米国の要求(つまり、その裏に ある“黒幕”)に従っていた小泉内閣に対し、植草氏は一貫して批判していま した―――。 “手鏡事件”は、新生銀行(旧「長銀」)を、アメリカのユダヤ系投資会社 リップルウッド・ホールディングス社が落札した不当性を、植草氏が指摘した 直後に起きているのです―――。 つまり、植草氏の口封じのために、手鏡事件は“捏造”されたのです。彼を卑 劣な人間であるかのようなレッテルを張り、社会的信用を失わせることで、植 草氏の発言に、国民が疑いを持つように仕向けた―――ということなのです。 女性のスカートの中を覗き見するような人間の発言なんか、耳を貸さないのが 普通ですよね―――。彼らの目的は、こういうことなのです…。 植草氏は逮捕直後から「 品川駅構内の防犯カメラの映像を見せるように 」 と要求していますが、そうした要求に警察は応じません…。それは、どういう ことかと申しますと、警察も“グル”だからです―――。 マスコミも、植草氏の“手鏡事件”は大きく取り上げるものの、同氏が無実で ある内容は、一切報道しません…。 これでは国民は、まんまと騙されてしまいます…。国民の意識には、植草一秀 と言えば、「 いやらしい男――― 」という印象が残るだけですね…。こう して失脚させるわけなのです。
2008.03.01
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