おとぼけ香港生活から脱皮

おとぼけ香港生活から脱皮

引越しのはずが


そして、パパさんの家が燃え、
2000年の冬、私達は再会しすぐに入籍をした。

そして、新しい家があるからと言われ
私は以前経験した惨めな生活を送ることは
もうないのね♪と浮かれながら新しい家のご対面と
新しい家での新婚生活を待ち焦がれていた。


どうせなら、パパさんの家と新しい家の壁を
取っ払って大きい家にする?

などと、入籍を済ませた私達は浮かれた気持ちで
色んな計画を立てたものだった。

だが、この計画は豊の家族により却下され、
とにかく私は新しい家での豊との新婚生活を
楽しみにしていたのである。


そして、3月上旬、私は香港へ、
もう足を踏み入れることはないであろうと思っていた香港へ、
今度は自分の真の生活をする為に
香港へ私は降り立った。

さっそく一足先に来ていたパパさんに新しい家を
見せてもらった。
小さいが部屋は2つあり、キッチンシンクも古いが
ちゃんとついていた。備えつきのクローゼットも
古くて手作りっぽいがちゃんと服だってかけられる。
それに、壁も手入れされて真っ白で、電灯だってお洒落なのが
ついている。←(どんな家に住んでいたんだ??)


リビングはちょっと縦長で使いづらいだろうけど
2人で住むのだからいいや♪と  ←(あくまで素直に喜んでいない自分・・)
本棚をここに置いてぇ、テレビはここでぇ、
ソファーを買ったらここでぇと
私の頭の中はすっかりインテリアコーディネイターだった。


だが!!!!だが!!!!!
当たり前だが、一向に引越しの準備ができない。
それはどうしてか。


火事になったパパさんの家が一向に片付けられないままだったからだ。
正確にはパパさんが自分の手で丸焦げになった家の物を
少しづつではあったが片付けてはいた。
だが、ゴミ屋敷と称されたほど、家の中は物が多すぎ
いつ片付け終わって住めるのか見通しがないほどであった。
私も手伝うからと言うと、「自分でやるから」と
断られたくらいだ。
私が手伝うと何でも捨ててしまうのを恐れたからであろう。


以前と変わりない生活を強いられ、
しびれを切らし、豊に「いつ引っ越こすの!!!」と
喧嘩を売っていた。 ←(悪い女です)


そして、それが何年も続き、途中、中国や大阪へ行ったが
私達は住んでいる家を改造することにしたのである。




(*続く)

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