器、そのすばらしき器 2



神戸に戻った私は、その頃結婚した前の妻と共にモーツァルトに通うようになります。 ひょんなことからモーツァルトのオーナーから妻の職を紹介されることになったのがきっかけです。  モーツァルトで私は今まで触れることも出来なかった洋食器の数々に触れることになります。
 百貨店で見る事しか出来なかった器に触れ、飲む機会を与えられます。モーツァルトは高い喫茶店でした、当時1杯500円のコーヒーというのは、関西ではめったに有りませんでした。ただ、紅茶も珈琲もポットサービスで何杯か飲めましたが・・・バイト代が1時間450円の時代です。
 マイセン、そしてヘレンド、大倉、この手にとって毎日のように飲みました。(モーツァルトは紅茶が美味しいので、この頃紅茶にもハマりました、自分でブレンドすると美味しいですよ)それらヨーロッパや日本の格式ある食器はとても美しく、魅力的で写実的でした。植物図鑑から出てきたような花の絵、抽象化した絵柄正確なハンドタッチの筆、完璧な焼成。  ところが長い間これらを手に取り使っているうちに信じられないでしょうが、飽きが来ました。

なぜ飽きが来るのか、これらの洋食器が好きな方には信じられないかもしれませんが、毎日手に取るうちに飽きてしまったのです。今でも店で見ると美しいとは思いますが、欲しいとは思いません。
なぜ飽きるかと云う事を簡単に書くと多分こういう事です。 「造っている人の顔が見えない。」その意味は追々書いていこうと思います。
 この頃、日本の陶磁器の世界ではクラフトという分野が脚光を浴びるようになっていました。それまでの伝統的な和陶器にデザイン感覚と洋陶器の感覚を取り入れ、日本の陶芸にインテリアの分野を融合させた新しい流れでした。
   今でもクラフト(陶磁器に限らず、日本の伝統工芸全般のデザインの感覚を取り入れたもの)展とかクラフト大賞とか呼ばれているのはほとんどこの頃(1980年~1985年頃だと思います)に出来たものだと思います。

 私はこういったクラフトを見るのも好きでした、新しい感覚で新しいデザインの器、珈琲碗や皿、湯のみ、今まで見たことも無いような硬いデザイン、柔らかなデザイン、新しい絵柄、伝統の中に縛り付けられた若い息吹が吹き出したような作品が、次々町のギャラリーや陶器店に展示されるようになり、買えるようになりました。クラフト専門の店が出来たのもこの頃、神戸の町は風見鶏の館を中心に北野界隈が観光地として確立した頃です。
 アパレルもデザイナーブランド全盛の時代でkenzo、ニコル、kansai、三宅一生などの店が町にあふれ、それらのパイロットショップが北野の町に次から次に雨後のたけのこのように出ては消えて行った頃でした。
 テレビのCMではネスカフェが違いが判る男シリーズでクラフト陶芸家(今そういうと彼は怒るかも知れません、たぶん美術家)が出演し、その人の作ったコーヒーカップが一躍世間で有名になりました。 その人のカップは一客35000円もしたんです。そのCMが流れて3年後ぐらいですが展示されているのを見た事が有ります、CMと同じ形のもの、何個作ったんだろ。
 京都はそのクラフトの流れの中心でした。京都の近代美術館の近くの京都会館にはクラフト専門の展示場があり、気に入ったものを買う ことが出来ました。 今でもそのスペースがあるのかどうかは判りませんが。  そうしている内に何点かそういった器を手に入れ、使い始めていました。やっぱり珈琲カップです。私の器の買い方はフルセットを買う のではなく、大体は気に入った一点か二点をチョイスして集める方法です。
 珈琲カップ以外の食器を買うようになってもそのクセは治らず、おかげで今、我が家の食器棚はいろいろな統一性の無い食器が雑然と並んだ、ごたごたとした陳列になってしまいましたが、その中で唯一異彩を放っているのは、女房が集めて持ってきたウェッジウッドのオズボーンシリーズです。ずらり、所狭しと食器棚に鎮座しています。
 そんな風に暮らしているうちにある日一軒の陶器店と出会います。私を器の世界へ本当の意味で引き込んでしまった一軒の店と。 続く

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