ウエスティ Benの部屋

ウエスティ Benの部屋

12月30日(金)


9時過ぎからアスワンハイダムの観光へ出かけた。
このダムはドイツとソ連の協力によって1970年に完成した。体積はギザのピラミッドの92倍だという。
ここから上流に向けてナイル川が堰き止められてできた全長500kmにも及ぶナセル湖が続く。
海のように大きい。
アスワンハイダムの建設に伴い多くのヌビア遺跡が水中に沈んだ。

カラブシャ神殿

このカラブシャ神殿はドイツの協力で現在の位置に移された。

その後空港に移動する途中でサハラ砂漠を散歩した。
風紋が綺麗だった。
砂漠の砂を記念に少し集めた。

サハラ砂漠の風紋

アスワン空港ヘ移動し、11:50発のエジプト航空249便で12:35にアブ・シンベル着。これが驚いた事に定刻に飛び、定刻に到着した。
いよいよアブ・シンベルへ。

アブ・シンベル大神殿

アブ・シンベル大神殿。
畏敬の念を感ぜずにはいられない。
築かれたのは今から3千年以上前、古代エジプト新王国時代のラムセス2世。
それにしてもナイル川の遠い果て、真冬の12月30日に29℃を超える気温の地にこれだけの建築物を築くのは並み大抵のことではなかっただろう。

大神殿正面の4体のラムセス2世像は高さ20m。
この神殿は一枚岩に彫り込まれたもので、移動に当たってはブロックに切断する方法で行われたそうだ。

ラムセス2世の像の上にはヒヒ像が22体並ぶ。
入り口手前の壁には戦争捕虜のレリーフが残る。神殿中のレリーフも戦争を題材にしており、勇壮なラムセス2世の姿が描かれている。

神殿一番奥の至聖室には4体の像があり、左から3体目がラムセス2世。
一番左は夜をつかさどるプター神。
毎年10月21日と3月21日の朝日が右3体だけを照らすように設計されていたと言う。
一番左のプター神は夜の神様だから陽が当たらないのだ。
驚いた事に古代エジプトはかくも正確な天文学の知識を持ち、それに基づき巨大建築物を築く技術も持っていたのだ。

ユネスコによる移動の後は一日だけずれて10月22日と3月22日になったと言う。
またこの日の陽の出の時間に訪れてみたいと思った。


アブ・シンベル小神殿

アブ・シンベル小神殿。
ラムセス2世が最愛の妻、ネフェルタリ王妃のために捧げたもの。
王妃の像2体と彼女を守るように立つラムセス2世の像4体が正面に並ぶ。
神殿の中の壁には王妃の彩色のレリーフが刻まれている。

ちなみにネフェルタリは「The most beautiful(最も美しい人)」という意味だそうだ。
妻妾併せて200人以上、子供の数が169人といわれるラムセス2世。
ネフェルタリ王妃、そして名が残らなかった妻妾たちは果たして幸せだったのだろうか。

その後、アブシンベル空港へ行き、15:45 発エジプト航空252便にてアスワンを経てカイロへ。
カイロには18:15の到着予定より早く到着。素晴らしい。

ホテルは以前と同じConrad Cairoへ。
夕食は20:30から 市内「アラベスク」を予約しておいたので、タクシーで移動。
このタクシーがスリル満点の乗り心地。
というのは、エジプトは3車線道路が多いのだが、隙間があれば他車が割り込みをかけ、車と車の隙をねらって歩行者が道路を横断しようとする。
そしてすさまじいクラクションの洪水。
後部座席で叫び声をあげながらレストランに着いた。疲れた。

アラベスクはこじんまりとして上品なつくり。
オマル・ハイヤームと言う赤ワインを注文。
ここでいただいたモロヘイヤ・スープは素晴らしい味。
鳩やコフタ、タジンと呼ばれるお魚をトマト・ソースで煮込んだ物もとても美味しかった。
デザートはオマワリ。
甘くてちょっと懐かしい味。コーヒーで締めくくって大満足。
おしゃべりに花が咲き、エジプト最後の夜も更けていった。



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