「チベットの生と死の書」
ソギャル・リンポチェ 大迫正弘・三浦順子・訳 1995/10 原著1992
読書マラソンの途中で出会ってしまうような一冊でよかったのだろうか。あるいは、読書マラソンの途中だったからこそ出会うことができた一冊だった、ということもできるであろうか。私が漠然とした思いで「チベット密教」といいながら、どことなく期待しているもの、神秘的でありつつ、説得力にあふれ、公平にみても将来的な人類的ビジョンを示唆しているもの、そのような期待に見事にこたえてくれているような一冊だ。
このような一冊にであったら、もうそろそろチベットに関する無駄な彷徨はそろそろ終わりにしたほうがよいのではないか、とさえ思う。
ソギャル・リンポチェ
はそれほど多作ではないようだ。日本語ではこの本一冊、
英文でも3冊
ほどしか出版されていないようだ。彼についての
ページ
もいくつかネットでみることができる
。
ソギャル・リンポチェはチベットに生まれ、今世紀のもっとも崇敬される精神的指導者のひとり、ジャムヤン・キェンツェ・チュキ・ロドゥに育てられた。中国によるチベット占領で、彼は師ジャムヤン・キェンツェとともに国外に逃れるが、師は1959年、ヒマラヤのシッキムにてこの世を去る。デリー大学、ケンブリッジ大学で比較宗教学を学んだ後、彼は、数人の指導的立場に立つチベット僧の通訳および補佐役を務める。1974年、みずからの指導活動を開始。
ソギャル・リンポチェは、「チベット死者の書」にもとづく修養方法を通じて、西洋にブッダの叡智を根づかせることを、自分の使命と考える。その修養方法は、日々の生活のなかで仏教の教えを理解し、体現し、競合できるようになることを目指すものである。
「チベットの死者の書」に依拠した教義の権威として、さらには、心理学、科学、浄化治療(ヒーリング)といった分野の指導者たちとのすぐれた対談者として、ソギャル・リンポチェの名は広く知られ、さまざまな国際会議や講演でも活躍中。また彼はリクパ(RIGPA)と呼ばれる世界的規模の仏教徒センター・ネットワークの創始者であり、指導者でもある。
裏表紙・著者紹介
この本は1992年に英文ででて、95年に邦訳され、2001年には第四版(私はこれを読んだ)がでている。また翻訳者の一 人は
「チベットの娘」
を訳した
三浦順子
である。彼女にはチベット関係の訳書が多いようだ。この本を読んで、700年
前のチベット、というなら、やはり、チベット民衆のもっとも愛するミラレパを愛唱すべきなのだろうし、「チベットの死者の書」にこそ帰るべきなのではないか、と思い始めた。まさに、わが青春時代にであった、もっとも原点的な位置にある二冊である。
瞑想の紹介は実にさまざまな形をとる。わたしはおそらく千回以上瞑想を指導してきたが、その度ごとに異なり、その度ごとに直接的で新鮮だ。
幸いなことに、わたしたちは世界中の多くの人々が瞑想に親しみつつある時代に生きている。文化的・宗教的障壁を突き抜け乗り越えた修養法として、その道をたどる人々に自己の存在の真理との直接的なつながりをもたらす修養法として、瞑想は広く受け入れられてきている。瞑想は宗教の教義(ドグマ)を超越するものであり、それがために宗教の真髄たりえている修養法なのである。
P108
ついついチベットというエキゾチックな面にとらわれてしまうし、そのエキゾチシズムゆえにチベット文化に魅入られてしまうのだが、実は、本筋は、まさにここにあるのだ。瞑想は宗教の教義(ドグマ)を超越する。これをなかなかチベット密教者たちからは、クリアに聞 くことはできない。
「チベット密教」
のような
、ある種、異端ともいうべきまがまがしさの中に何事をもとめようとしがちだが、ここでソギャル・リンポチェが言っていることは、まさに仏教の進化の他方の最先端、禅の思想だ。
東洋の叡智の伝統に対して西洋がその精神と心を開きはじめた。まさにそういう時代のさなか、1959年にチベットが陥落した。これはわたしには単なる偶然以上のものに思えてしかたがない。西洋社会がそれをうけいれるようになるのと時を同じくして、チベットの山岳地帯になかば孤立するようにして守り伝えられてきた伝統のこのうえなく深い教えが、全人類に向けて開かれたのである。チベットの人々が途方もない代償を払って世界に発したこの生ける知恵の伝統を、どんなことをしても守り抜くこと、それが今のわたしたちに課せられた役目である。
P573
この辺あたりに、わがブログが期待する地球人スピリットの萌芽を見る。
人類の未来の相当部分は、チベットに自由が回復されるか否かにかかっている。あらゆる探究者や信仰者たちの聖地としての役割、世界の成長のための智慧の中枢としての役割、高度な洞察と神聖な技術が試され、飛び済まされ、確立される実験室としての役割、それらの役割をになうであろうチベットにかかっているのである。
P574
その意気やよし。このちょっと愛国主義的な論調は気になるが、今は異議を挟まないでおこう。
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