「シャンバラ」勇者の道
<2>
<1>よりつづく
この本は一種特別である。特別な情報や知識が書いているわけでもなく、ごくごく最近に発行されて話題になっている、というわけでもなさそうだ。勿論ベストセラーになった、というほどでもなさそうだが(すくなくとも日本では)、どこか、私の心に杭を打つような強い衝撃がある。内容は一般的な言葉がほとんどで、一読する限り理解できない点というものはない。なのに、なにが私をこんなにひきつけるのだろう。
チョギャム・トゥルンパは、ダライ・ラマの使命を受け、若いラマ僧たちを養成する学校で、精神的な助言者の職務を受け持っていたp239という。また、この一連の講義は、「シャンバラ・トレーニング」と名付けられて1975年以降、限られた弟子達に向けられてスタートしたという。それを聞いて、私にはすこし腑に落ちるところがある。この本において、トゥルンパの前にいると、私は、どうやら16歳の若い出家僧になってしまっているようなのだ。難しい学問や知識や情報を得ようとしているのではない。そこで学ぼうとしているのは、人の道だ。人としてどのように生きていくのか。
この本において、トゥルンパは、必ずしもチベット人がチベット人に向かって話すようには話していない。人間として人間に向かって話している。
ここで言う「勇者の道」とは、他人に戦争をしかけることではない。攻撃は問題の原因にこそなれ何事も解決しない。この「勇者」とはチベット語でいう「パウォ」のことで、「勇敢な人」という意味だ。この文脈における「勇者の道」とは、人間の勇敢さの伝統、または恐れのない道のことだ。北米のインディアンにはそのような伝統があったし、南米のインディオ社会にも同じ伝統があった。日本の武士道も、知恵ある勇者の道のひとつの表れであるし、西洋のキリスト社会にも、目覚めた勇者の原理があった。アーサー王は西洋における伝説的な勇者の例であるし、ダビデ王のような聖書に登場する君主たちも、ユダヤ教・キリスト教いずれの伝統にも属する勇者たちだ。世界には勇者の道の典型が数多くあるのだ。
勇者の道に至る鍵となるもの、「シャンバラの理念(ヴィジョン)」の最初の原理とは、ありのままの自分を恐れないということだ。実のところ、自分自身を恐れないということ、それが勇敢さの定義なのだ。シャンバラの理念は、世界の大きな問題に直面したときに、人は英雄的になると同時に優しくもなりうると教えている。シャンバラの考え方は利己主義の対極にある。
p29
アーサー王については、「イメージの博物誌」にもあるようなので、そのうち読んでみよう。ダビデは言わずもがな。多火手の別名が、ビジョンとして送られてきている。日本の武士道も、見直す必要があるのかもしれない。この地球上にある共通する「勇者の道」とは・・・。
シャンバラの考え方(ヴィジョン)はたんなる哲学ではない。それは勇者になるための修行にほかならない。目覚めた社会を築く手助けができるように、自分の正しい扱い方を学ぶということだ。そのプロセスの中では、自分に敬意を払うことがとても大切であり、それはすばらしい、まさに並外れた経験になるだろう。
p103
単なる哲学ではない。勇者になるための修行にほかならない、という言葉は力強い。
この自然に存在するエネルギーは、シャンバラの教えのなかでは「風の馬」と呼ばれている。「風」の原理が意味するのは、基本的な善良さのエネルギーは力強く、活気にあふれ、輝かしいものだということだ。それは人生のなかでとてつもないエネルギーを発散する。だが、それだけではなく、基本的な善良さは乗ることができる。それが「馬」の原理だ。勇者の修行、とりわけ手放しの修行をすることで、あなたは善良さの風を乗りこなすことができるようになる。ある意味で、この馬はけっして手なずけることができない。基本的な善良さは個人的な所有物にはならない。だが基本的な善良さの高揚したエネルギーを人生に呼び込み、誘い込むことならできる。どうすればたったいま自分自身や他人のために、たんなる哲学的な概念ではなく具体的なものとして、基本的な善良さを円満かつ理想的につくりだすことができるのかということがわかってくる。
109p
一冊の一連の教えのなかの一部を細切れに書きとめていても、全体を見ることはできないが、忘備録としてメモしておくことも、いずれ役立つこともあるかもしれない。
私たちが見いだすのは始まりのない知恵、自然な賢さ、宇宙的な鏡の知恵だ。チベットでは、存在のこの魔法のような質、自然な知恵を「ドララ」と呼んでいる。「ドラ」とは「敵」または「対立者」のことで、「ラ」とは「上にいる」ということだ。だから「ドララ」とは「敵より上にいる」こと、「敵を超えている」ことを意味する。ドララとは、世界に内在する、あらゆる二元対立を超えた無条件の力と知恵のことだ。ドララはすべての敵や争いを超越している。それは攻撃性を超えた知恵だ。宇宙的な鏡のなかには自立的に存在する知恵と力として、私たち自身や知覚の世界のなかににも反映している。
ドララの原理をみつけるためのひとつの手がかりは、自分の人間としての知恵はあるがままの事物に備わっている力と異なるものではないと気づくことだ。いずれも宇宙的な鏡の無条件の知恵の反映なのだ。だから、あなたと世界とあいだには根本的な分離や対立というものはない。これら二つのものを一度に、いわばひとつのものとして経験するようになったとき、あなたは世界に内在するとてつもない洞察力(ヴィジョン)やエネルギーに近づくことができる。
p132
引用していて、どこで切ったらよいか、わからなくなる。一行づつ、さらに深くなっていく。一行すすめば、さらに一歩先にいく。終わりがない。
ラ・ニェン・ルは、まさに大地の秩序と掟を表すもので、人間が基本的な実在の生地に自分を織り込んでゆく方法を示している。だから、ラ・ニェン・ルの原理を適用することで、ドララまたは根源的に魔法を呼び起こすさらなる方法が得られる。
p171
「ラ」は元々は「聖なるもの」または「神」を意味するが、この場合には、天上界ではなくて、大地のいちばん高い地点を表している。
p172
次の「ニェン」は、本来は「友人」を意味している。ニェンは山の雄大な肩に始まるが、森やジャングルや平野も含んでいる。山の頂きはラであり、その雄大な肩がニェンだ。
p172
最後に「ル」だが、これは元々は「水」を意味している。それは海や川や湖の領域であり、水や湿り気の世界だ。ルにはきらきら輝く宝石のような質があるため、この場合の湿り気は豊かさと結びついている。
p173
人間はラ・ニェン・ルの秩序を守ることで文明化されるから、私たちはこれを究極の決まり事とみなすこともできる。ラ・ニェン・ルの秩序に従うなら、あなたの人生は現象世界の秩序に調和したものになる。
p175
自然な階層の調和した生き方とは、硬直した規則に従うことではないし、命のない戒律や行動規範にのっとって生活することでもない。この世界の秩序や活力や豊かさが、他人には優しくし、自分も大事にしながら、有意義な人生を送るその方法を教えてくれる。しかしながら、たんにラ・ニェン・ルの原理を学ぶだけでは十分ではない。自然な階層の発見は個人的な体験でなければいけない---自分自身で魔法を体験しなければならない。それを体験したら、帽子を床に置こうなどとは思わなくなるし、さらに大事なことだが、隣人や友人たちを騙そうなどとは思わなくなる。世の中に奉仕しよう、自分を完全に明け渡そうという情熱が湧いてくる。
p179
引用しようとすると、どこまでも引用しなくてはなくなる。分かろうとすれば、本当は、一行、あるいは一言で、一語でわかるのかもしれない。
最良の人生は平凡な状況の下で実現できる、というのがシャンバラの教えの基本的なメッセージだ。それがシャンバラの基本的な知恵だ---このあるがままの世界のなかで、私たちは充実した意味のある、また他人のためにもなる人生を送ることができる。sれがほんとうの豊かさだ。世界が核戦争の脅威や大規模な飢餓や貧困という現実に直面している時代にあって、自分の人生を治めるというkとは、この世界のなかで平凡だが十分に人間味のある生き方をするということだ。世間で暮らす勇者のイメージとはまさにこのようなものだ。
p186
まさに「世俗の悟り」だ。
つづく
ヘッセの水彩画 2007.11.04
ヘルマン・ヘッセ 雲 2007.11.04
わが心の故郷 アルプス南麓の村 2007.11.04
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