ビジュアル博物館(第60巻) 南西部のブエブロに住む部族から北極圏の狩猟民イヌイットまで、北米先住民の豊かな文化を発見する
デヴィッド・マードック著 1998/12 同朋舎 原書1995年
アメリカ・インディアン、アメリカ大陸のネイティブな人々を訪ねる旅も、チベットの奥地の探検にでるのと同じで、あまりに膨大で広大な土地のまんなかで道に迷い、最初の目的さえわすれてしまいかねない。
最近の人口動態学の研究成果によれば、コロンブスの到着当時のアメリカ大陸には5000万人以上の先住民が住んでいたと推定されている。これは当時の全ヨーロッパの人口に匹敵する。北米には200万から500万人いたという。先住民はこれほど大勢の人口を養うに足るだけの食料や生活物資を生産していたわけである。
表紙見返し
歴史もあり、地域もはるかに広大な大地の中で、自らの足跡を付けるのはどこにするべきだろうか。最初、ガールフレンドだったアメリカから来たドイツ人看護師から「あなたは唇があついから、黒人だったかもね」と言われたのが、始まりだった。アメリカで黒人とつきあっていたという彼女の言葉には説得力があった。自分はそういうものであると仮定してみた。それ以前に、いくつかのビジョンがあったのだが、一つの像にならない。黒人という肉体を得て、それからだいぶ時間が経過した。黒人というより、有色人種だったのではないか。しかも黒人とネイティブ・アメリカンの血が流れてきていたように感じる。そう発言した時、ある女性がそれはチェロキーではないか、と指摘してくれた。で、それ以降、特に違和感もないので、そのままにしておくことにした。
ところで、自分達の家族が住み込んでいた屋敷の主人とは、政府の白人高官だった。彼は愛に溢れ人心をよく把握できるひとであった。彼は第二次世界大戦後、ヒロシマの現地調査も担当した。その縁で、多火手は今回、日本に転生しているのであった。ということで、チェロキーについての記述をこの「アメリカン・インディアン」の中に探したがそう多くはない。
調和した生活
チェロキー族の男は、トウモロコシを植えるために土地を開拓した。木は樹皮を丸くはいで枯らして倒した(枯れた幹は後で焼いた)。その後女が鍬(くわ)で土地を耕し、小さく土を盛った中にトウモロコシの種を植えた。通常は二毛作で、夏と秋に収穫し、乾燥して冬用に貯蔵した。皮をむいて洗った後、実を挽いてヒキワリ粉にした。その後籠を使ってふるい、粗い塊(かたまり)をより分けた。
p17
これらの農法は、ごくごく最近の農法と何のかわりもない。むしろ、まだまだこのような農業を営んでいる人々は地球上に多くいるはずだ。
鷲の踊り
ヨーロッパ人と接触する前に、チェロキー族にとって最も重要な儀式は鷲の踊りで、平和や戦勝の祝賀の一部として行なわれた。踊り手は頭に鷲の羽根をつけ、太鼓とガラガラの音楽に合わせて鷲の羽根で飾った棒を振り動かした。
p26
これは、まさにネイティブの人々でしかできない儀式だ。しかし、現代社会においても、各地で行なわれている祭りごとを考えれば、これに類似した儀式は多く行なわれていると感じる。
ヘッセの水彩画 2007.11.04
ヘルマン・ヘッセ 雲 2007.11.04
わが心の故郷 アルプス南麓の村 2007.11.04
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