地球人スピリット・ジャーナル1.0

地球人スピリット・ジャーナル1.0

2007.06.27
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カテゴリ: 2nd ライフ

「IT革命」 ネット社会のゆくえ
西垣通  岩波書店 2001/05

 いわゆるネット社会というものが、Win95の発売された95年12月以降を示すとするなら、現在の07年との丁度中間地点にあるのがこの本の発売された2001年5月という時期だ。この時は、Y2K騒ぎは終了していたというものの、いわゆる「イット革命」推進によって、まだ曖昧ながら、もういちどITバブルに日本も乗りたいという時期 であった。まだ
9.11 の惨劇も知らず、 Google の台頭にも気づかず、 Hモン などの登場も予測できない 状態だった。

 だから、この本もあまり酷な評価 はできないだろうが、
「ウェブ社会をどう生きるか」 「情報倫理の思想」 などと同様に、どうもいまひとつ、その姿勢に何かの違いを感じる。

だが本当は、気にしなくてはならないことはたった一つだけなのである。「IT革命後、われわれは生きる意味を見いだせるのか、生きがいを持って暮らしていけるのか」ということだ。 p6

 出だしから、こうである。まるで、ITと人生が相克しているかのような前提で話を進めようとしている。だいたいにおいて、まずはIT出現の以前に「生きがい」とはどのような形で存在していたのか。それほどITが「生きがい」を疎外するとするなら、どうして国をあげてそれを推進しようとするのか。

24時間たえまなく電子メールとファックスをチェックし、英語と日本語の契約書や数表を眺め、猛スピードでパソコンのキーを叩き、トイレのなかですら携帯電話をかけまくっている人々---彼らですら、めまぐるしく頭脳をよぎる数字洪水の切れ目に、ふと我にかえる瞬間がある。そして、「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」と自問するのである。 p6

 う~ん、とにかく、この著者は、なんであれITやネット社会のことを、工学博士・教授という立場を使いながら、先端の状況を「取材」し、批判的(ひやかし的)に評価することをもって、自らの存在価値を確認しようとしている人物のようだ。

 「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」なんてのは、別にITとはなんの関係もない。ブッタもソクラテスも、神代の昔から、このテーマに取り付かれていたのではないか。ITだろうが、アセンションであろうが30世紀だろうが、「自分はこれでいいのか、人間はこれでいいのか」という問いかけが、人類からなくなるはずはない。このテーマこそ、人間が人間らしくなるための、もっとも根源的な問いかけなのだから。著者はなぜに、これほどまでしてまで、「ネット社会」に「警鐘」をならさなければならないのだろう。

 この西垣のような態度なら、ネット社会もIT革命も、パソコンも、常時接続も、コンピュータも、Googleも、オープンソースも、フリーソフトウェアも、mixiも、ブログも、ウィキペディアも、セカンドライフも、Web2.0も、シンギュラリティも、人工頭脳も、ロボットも、ケータイも、な~んにも創造されることはないだろう。ただただ保守的な怠惰な社会が生まれるだけだ。

ではどうすればいいのか。---結論から言えば、答えはただ一つ、「テレビがインターネット端末になること」なのだ。一般人がITを使いこなすための王道は、もっとも身近な大衆的情報機器であるテレビのリモコンでインターネットのホームページを眺めたり、メッセージを送ったりすることなのである。 p62

 いわんとすることを理解する努力を怠るつもりはないが、やはり、これでは、本当の解決にはならない。テレビでインターネットをやれば、人々は生きがいを持つようになる、とでも言っているようで、おかしい。ITを「使いこなしている」のは高学歴、高収入で、若い年代である、と断定してしまう(この時代は確かにその傾向があったにせよ)この著者のセンスには、やはりついていけないものを感じる。 むしろ
、「パソコン・インターネットは貧者の娯楽?」 なんて、反対の見方さえ存在しているのである 。やはり、ITやネット社会を論じる論客の一人としては、ちょっと、独特な立場を保持している存在のようだ。

 きのう読 んだ
奥野卓司 についてふれている

文化人類学者の奥野卓司は、『第三の社会』という著書において、この問題に関して興味深い議論を展開している。奥野によれば、かつては家庭のなかで生産と消費とが融合し、人々は共同生活をおくっていた。これを「第一の社会」と呼ぶ。近代になると、「家庭=消費の場、企業=生産の場」という二極分化が生じ、会社という「第二の社会」ができあがる。成人の男性は第一と第二の社会のあいだを往復して暮らし、成人女性は専業主婦となって第一の社会にと閉じこもった。 (後略)p130

アルビン・トフラー の「 第三の波」を引き合いにだしながら、奥野の論説を検証したりしている。まぁ、いわゆる「評論家的」な姿勢には、どうもどこまでも首を傾げ続けている私がいる。

IT革命が日本経済を活性化するという議論はまだいい。だが、IT革命によってグローバルな完全競争市場が実現するとか、取引コストがゼロになるとかいった短絡的な言説ばかりが流布していくのは、やはり困る(もちろん、そういう面も皆無ではないが、状況はより複雑かつ多面的なのだ)。さらにそこにナイーブな「インターネット草の根民主主義」が絡むと、ただITビジネスを発展させ、あとは自由奔放のまま突っ走ればよいという楽観論が生まれる。 p181

 「ナイーブなインターネット草の根民主主義」、などと言われると、たしかに私はその傾向はある。「あとは自由奔放のまま突っ走ればよいという楽観論」とまで揶揄されると、さらに西垣の人格さえ疑い始 めてしまうが、
梅田望夫 あたりが オプティミズムを標榜するのと対比すると面白い。

 最後に、またまた孫引きだが、面白いところあったので、転写しておく。

「・・・人間の社会には、150人という自然の集団が隠されているようだ。この集団は特定の機能を持たない。ある社会ではある目的に利用され、別の社会では異なる目的に利用されている。むしろこれは、人間の脳が、所定の強さの関係を、同時に一定数を越えて維持できないと事実の所産なのだ。150という数字は、我々が本当の社会的な関係、すなわちその人物が誰であり、自分とのつながりは何であるか知っているような関係を持つことができる、最大人数を示しているらしい」(ロビン・ダイバー『ことばの起源』、109頁)。 p116





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Last updated  2009.02.11 12:58:48
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