「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」
北山耕平 2007/9 太田出版 単行本 217p
No.960 ★★★★☆
ブログを書いて、よかったなぁ、と思うことはいくつかある。自分の中が整理できたことが一番大きかっただろう。
1) 麻原集団事件
については、なんとも釈然としない気分で10年過ごした。だが、このブログを書いてきた中で、一通りの整理ができた。その頂点は林郁夫の 「オウムと私」
であろうし、その裁判記録 「慟哭」
佐木隆三であろうと、私には思える。 島田裕巳
の一連の仕事も、他の人々の仕事も、あるいは、なんとかジョウユウとかいう人の新しい動きも、注目していかなくてはならない。しかし、それは、次のステージに移っていると考えていいだろう。
2) チベット密教 についてもいろいろ思いをめぐらしてきたが、結果論として残ったのは、一つは チョギャム・トゥルンパ の一連の仕事。そして、現在も活躍中の ダライ・ラマ 。このふたつの仕事をナビとするなら、大体のことは俯瞰できそうだ、という結論に達している。
3) ネット社会
については、もともとこのブログは 「ウェブ進化論」
に触発されて始まったといえるのだが、まぁ、現在のところは、いわゆる セカンドライフ
の動きに注目しながら、 ティム・ゲスト
の二冊の本が、なにか他のことへの連なりを持続させてくれるようで、今後も注目し続けることになるのだろう。
4) マルチチュード
については、なぜか西洋哲学史のふり返りというサイクルになってしまっているが、いくつかのヒントはあるものの、 スピノザ
を中心として捕らえなおしてみれば、次なるなにかが生まれるのではないか、という予感がし始めている。
5)Oshoについては、ひとくちではいえないし、このブログの主テーマでもあるので、まとめるなんてことはとてもできないが、まったくの試論 [ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]
というカテゴリを転がしていくことによって、なにかが見えてくるに違いない、という強い確信がある。
6)その他 「アガータ」
については、本ブログの隠れテーマであるが、これについてもほぼ見通しができるところまで来ている。ただ、これが当ブログの主テーマになるには、いくつかのプロセスが残っているので、時間がかかりそうだ。
さて、そして7)についてであるが、アンソロポロジーとしてのネイティブ・ピーポーの動きについては、当ブログとしては、一連の北山耕平の仕事が一番親和性が高いと判断している。その ネットでの展開
を今後も注目していきたいと思っている。ただ、そのあまりに奥行きが深いので、どのように捉え直していけばいいのか思いあぐねているというのが本当だ。
今回もこの「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」を立ち読みして、ちょっぴり前半部を読んだだけなのだが、大幅に書き直されているとしても、ネットから受ける印象とそう変わるものではない。このカテゴリの、現在の問題は、あまりに対象のそれぞれの特異さに目を惹かれるあまり、そこから自らの立っている地平にもどってくるまで時間がかかりそうだ、というところだ。
ネイティブ・ジャパニーズという言葉で北山は何事か言おうとしているのだろうが、当ブログとしては、やはり今後もネイティブ地球人という原点を求めていきたいと思っている。
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