「Googleとの闘い」
文化の多様性を守るために
ジャン・ノエル・ジャンヌネー /佐々木勉 2007/11 岩波書店 単行本 166p
Vol.2 No.0114 ★★★★★
いまやインターネットの存在を否定する人はいないし、Googleの存在を否定する人はいない。生活のなかで、インターネットとGoogleはほとんでライフラインのインフラとして名実ともにグローバル・スタンダードになってしまった。その可能性、その有効性は 大きく取り上げられている
が、また、そのデメリットや、その暗部を指摘する声も決して少なくはない。
この本は、インターネットそのもの、Googleそのものと対峙している、というより、著者はごく最近まで5年間にわたりフランス国立図書館長をつとめた立場から、特に「Googleプリント計画」に対して警鐘を鳴らしているのだ。2004年、Googleは6年間で1500万冊の書籍、約45億ページをデジタル化する、という計画を発表した。ざっとひとことでいえばそれだけのことだが、とてつもないスケールであることは間違いない。
当ブログはなりゆきで、個人的な読書ノートのような形を呈しているが、公立図書から借り出して読める本というものは、約1日で1~2冊。年間で5百冊も読めればたくさんだ。これがかりに人生80年で、仮にすっかり読書生活にはまったと想定しても、全人生で読めるのは4万冊。調べ物で周辺の書籍を部分的に利用したとして、その10倍の本をめくったとしても40万冊が限界。これ以上の本を人生で読める人はまずいないだろう。
そこにGoogleが提示しているのは、1500万冊。通常人の400倍、超スーパー読書人の40倍。そのスケールの大きさがわかろうというものだ。しかもそれを6年間という短期間ですべてデジカル化してインターネット上で、しかもだれでも無料で見れるようにしようというのである。一見、私などはすぐに飛びつきたくなるような計画だ。大歓迎、と思いつつ、よくよく考えてみると、個人的にも、やや不満や疑問がのこる。
1)PC画面上で長文を読むのはきつい。寝っ転がったり、公園で日向ぼっこしながらページをめくる時の至福は、何物にも代えがたい。
2)それほど多くの本はいらない。私が読みたい本があればいいのだ。まずは日本語や英語やその周辺の言語で、まずは足りる。1500万冊と言われても、読めない言語は私には必要ない。
3)書店めぐりをしたり、図書館の新刊コーナーで、新しい本を目にするのは、新しい恋人との出会いに似たエクスタシーがある。そのタイトルや文章だけではなく、カバー・デザイン、本の質感、厚さ、文字組み、印刷インクのにおい、そしてその本の置かれている状況。ネットではそれらが排除される。
4)所有する喜びというものもある。稀少本、初版本、サイン本、贈呈本、書き込みをした本、そしてそれらの本を書棚に飾る喜び。並べ替える楽しみ。その背表紙の色たち、文字たち、デコボコなライン。これらはインターネットやGoogleがいくら発達しても、なんとも代えがたい。
個人的な嗜好性を考えただけでも、これだけの印刷本有利な条件がある。それを図書館レベル、あるいはそれぞれの地域の文化レベルで考えるとさらなる問題点が浮かび上がる。とくにアメリカン・スタンダードをグローバルに推し進めようという若馬Googleに対して、フランスあるいはヨーロッパを代表し、アジアや日本からの視点も含めながら、老練な紳士である著者は、Googleプリント計画の陥穽をするどく、しかも静かにしっかり指摘する。
この本を読みながら感じるのは、あの図書館のやや薄暗く、広く、そして音を吸い取るような静かさの中での、小声での図書館員とのやりとりだ。そんなジェントルネスを感じる一冊。
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