「チベットの死者の書」
原典訳
川崎信定 1989/05 筑摩書房 単行本 214p、
ちくま学芸文庫
1993/06 243p
★★★★★
「裸形のチベット」 を読みながら、 「チベット <歴史>深読みリスト」 にラインナップされている書籍も読みすすめてきた。その中でも、必ずしも意図したわけではないが、結果的に現在は、「ニンマ派をよく知るために」7冊の再読モードにはいりこんでいる。 「改稿 虹の階梯」 をちょびちょび読みすすめながら、横道に入り込んではうろうろ、引きさがってはちょろちょろ、という作業の繰り返しである。
そしてこの「チベットの死者の書」をまた読みなおすことになって、あらためてらせん階段の一段違ってはいるが、また振り出しに戻ったな、という感慨がわきあがってくる。この本を読み進めるには、中沢新一の 「三万年の死の教え」 を併読しながら、現代地球を考えながら、この「死者の書」を味わってみることも有効であろうかと思う。
存在本来(法性)が持つみずからの響きが千の雷鳴をもって轟く時に、これらすべてがオン・マ・ニ・ペェ・メェ・フームの六シラブルの声音となりますように。 p91
「チベット死者の書」あるいは「チベット の 死者の書」と通称されているこの本だが、「バルドゥにおける聴聞(トエ)による大解脱(ドルチエンモ)」という部分が中核となっているらしい。この書を読みすすめていくと、夥しいシンボルや特殊用語あるいは隠語が続出し、このまま字義通り暗証したり読み下したりしたとしても、現代人にとって、ましてやチベットの文化を知らず、ラマに帰依もせず、来世や輪廻転生システムを心底から理解しているわけでもない私のような者にとって、はてどれだけの価値があるのか定かではない。
ユングが絶賛したり、LSD体験と通底するとささやかれたりする本書ではあるが、ただただページをめくるだけでは、ほとんど意味がなさそうだ。これらのシンボルや用語をもう一歩深く理解するには、 「増補 チベット密教」 巻末の「チベット <密教>深読みリスト」に移行して、「密教」や「マンダラ」についての「土台」を作っていく必要があるのだろうが、それはまだまだ先のことだ。
密教の行者のなかで中程度から上級の者たちで<生起のプロセス(生起次題)>(ウトバッテイ・クラマ)と<完成のプロセス(究竟次第)>(ニシュパンナ・クラマ)の瞑想を行なった者やマントラ(真言)を唱えることなどの実修を行なった者は、この<チョエニ・パルドゥ(存在本来の姿の中有)>にまで彷徨ってくることはない。彼らの吐く息が絶えるとすぐにヴィディヤーダラとシューラーとダーキニーなどがお迎えに来て、かならず<清浄なクァサルパナ>の世界へと案内してくれるだろう。その証拠となる徴候として、空は曇りなく、彼らの姿は虹と光に溶け入り、花の雨や薫香のかおりが満ちる。虚空には楽器の音や光明が現れ、それに遺骨や舎利灰に聖像などが現れる瑞兆がでる。それがその証拠である。しかし、戒律を堅固に守る和尚とか顕教の学者や、誓いを守る意志を弱めてしまった密教行者や、一般の俗人たちすべてにとっては、この「パルドゥにおける聴聞による大解脱」の助けがなければ解脱のための手段(方便)がないことになってどうしようもなくなるのである。
p67
巻末にある「補注」や「解説」、「あとがき」など、ひとつひとつが興味深く、まだまだこの書を終了することはできない。何度も戻ってこざるを得ない原点のようなものだ。
悟りへの階梯 2008.10.27
ツォンカパ チベットの密教ヨーガ 2008.10.26
聖ツォンカパ伝<2> 2008.10.25
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