「チベットのシャーマン探検」
永橋和雄 1999/05 河出書房新社 単行本 237p
Vol.2 No.327 ★★★★☆
写真家・永橋和雄には、 「ブータンのツェチュ祭」 「チベット巡礼」 1997/02、 「図説チベット歴史紀行」 1999/09などの仕事がある。その彼にして、次の心境の吐露から始まる。
カメラマンとしてチベット仏教圏を徘徊しはじめてからもう20余年になる。時に私は、もうチベットのすべてを撮影してしまったのではないか、とさえ思える時がある。と同時に、私はチベットの何も見てこなかったのではないか、との自問も返ってくる。 p5
プロとしてのカメラマン・マインドを常時持ち歩くことはただ事ではないのではないか、と私は思う。少なくとも、私はカメラを持ち歩いていても、シャッターを押すことを忘れてしまうことはほとんどだ。むしろ、決定的な瞬間になると、シャッターを押せなくなる。大事なことは自分の眼に焼きつけるほうがいい、などとウソぶいては見るが、カメラマン・マインドは、相当に訓練されなければ、身につかないものではないか、と私はつくづく思う。
そこで私は、「チベットを見る」ための手掛かりとして、チベット仏教圏の人々が過酷な風土の中で、生死輪廻の火宅を生き抜くための規範として、また彼らの精神的バックボーンともなっているチベット仏教を深く知りたいと思った。 p5
シャーマニズムという世界は、当ブログでも入り込みそうでいて実はほとんど突入することができなかった。まだまだ足を入れにくい世界が展開している。
私は、その魅惑的な光源を求めてチベット・シャーマニズという漆黒の森に分け入ってみたい衝動にかられた。 p6
「魅惑的な光源」というあたりが、いかにも写真芸術家としての感性を感じさせる。
私は、チベットの原野を駆けるであろうシャーマンを求めて長い旅に出ることにした。その旅は、インド領チベットのラダック、ザンスカールに始まり、ヒマラヤ南麓の国ブータンそして中国チベット自治区にいたる、チベット仏教文化圏のほぼ全域を経巡るものとなった。 p10
当ブログはどちらかというと、現在は形而上的は方へ進もうとしているのだが、シャーマニズム探検は、その逆の流れもしっかり存在していることを思い出せてくれる。
峠や山頂で良く見かけるラツェ(積石塚)がある。小石を堆積したカミの棲み家であり、そこに小旗を立て、香木を焚いてカミを慰める。このカミは、山神とも道路神ともいうべきもので、観音六真言であるオン・マニ・ペメ・フーンを刻んだ石を納め、悪疫流行や干魃が続く時には、カミの怒りであるとして、ラツェでカミの怒りを鎮める供養を行なう。 p124
シャーマンはかならずしもチベット高原にだけ存在したものではないので、この切り口で地球全体を見ることもかのうであろう。しかし、この本においては、生半可な学者たちには見つけることができない、人びとの心の襞までが拾われているような感じがする。
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