初読時、 最初にいきなり「マンダラ」をキーワードとした世界探訪を迫られ、なんだか、自分の身の置き場がなく、全体を均質な視野に入れようとしたが、実に徒労感に襲われるようなめまいさえした。ところが、いざ、アガータ多火手はサンヴァラ神との合一を目指す行者であるかの如く規定して見ると、実にマンダラの世界は、イキイキとした新しい世界を現し始めた。
この本の構成はこうなっている。
1、マンダラの歴史と思想
2、主要なマンダラ
3、マンダラの仏たち
4、マンダラの儀礼と実践
5、アジアのマンダラ
6、日本のマンダラ
7、マンダラの文化
そして、2の「主要なマンダラ」は次のように分かれている。
2-1、マンダラの形態
2-2、胎蔵マンダラ
2-3、金剛界マンダラ
2-4、秘密集会マンダラ
2-5、理趣教のマンダラ
2-6、ヘーヴァジュラ・マンダラ
2-7、サンヴァラ・マンダラ
2-8、時輪マンダラ
2-9、陀羅尼のマンダラ
2-10、ヒンドゥー教のマンダラ
これまで、 当ブログにおいては、マンダラ探究はあまり望んではいなかったのだが、チベット密教の探訪には、マンダラ探究は必須ともいえる重要なポイントなのだ、とようやく気がついて、なかば嫌々ながらはじめたところだった。チベット密教の経典類は、多くの形や神々、あるいは色とシンボルたちに彩られており、その経文自体がなかばマンダラ化しており、もう、そうなら、最初からマンダラを直視してしまったほうが、直観的に理解しやすい。そう、あきらめかけていたところなのだった。
ところが意外や意外、これがなかなか面白い。ましてや、以前から持っていた一つのチベット時代におけるアガータ多火手のビジョンと、かなり奇跡的にサンヴァラ如来神がつながっていることを、直観的に了解した。そして、このサンヴァラを観想する旅路としてのマンダラ探訪は、当ブログにおいて、新たなる展開となったのである。
つまり、上における「主要なマンダラ」においてであっても、なにはともあれ、「2-7、サンヴァラ・マンダラ」あたりに焦点を合わせて、その前後である「ヘーヴァジュラ・マンダラ」や、「時輪マンダラ」へと意識をスライドしていけばよいのだ、と気がついた。
そして、また、他に、当ブログ独自に作成された「マンダラ」があったことが、脈絡なくつながってきた。つまり、正確なマンダラ作成技法に則ったものではないが、なにごとかのイメージを固めるために使用したマンダラがあるのである。それは、今にして思えば、不完全な形の、当ブログなりの「胎蔵マンダラ」であり、「金剛界マンダラ」であった。
今後は、この我流マンダラを点検し鍛え直していくとともに、そこから、我「秘密集会マンダラ」へと発展していく可能性があるのかどうかを探る旅へと変貌していく。あるいは、それらを迂回したとしても、現在、そして未来における我「サンヴァラ・マンダラ」とはいかなるものか、を観想する楽しみが湧いてきたのである。
2-7サンヴァラ・マンダラ
サンヴァラ・マンダラ(チャクラサンヴァラ・マンダラ)は、母タントラに属し、ヘーヴァジュラ・マンダラよりも、さらに発展した段階にあります。62尊と14尊の2種類が知られていますが、作例としては圧倒的に62尊の方が多く見られます。
62尊のサンヴァラ・マンダラは、中央に八葉の蓮華を置き、これを三重の同心円が取り囲みます。中央の蓮華は大楽輪と呼ばれ、その花芯には中尊のチャクラサンヴァラが、妃であるヴァジュラヴァーラーヒーを抱いて立っています。チャクラサンヴァラは4面12臂という異形の姿です。四方の蓮弁には4人のダーキニーたちが配されます。このような構造は、ダーキニーによって囲まれたヘーヴァジュラ・マンダラによく似ています。ただし、四隅の蓮弁にはダーキニーではなく、血のあふれたカパーラ(頭蓋骨の杯)が置かれています。
大楽輪の外の三重の円は、車輪(チャクラ)をかたどり、それぞれの車輪のスポークの上に、ひと組ずつのダーキニーとダーカが乗ります。ダーカというのはダーキニーの男性パートナーです。男尊よりも女尊が重要であるため、ダーキニーの名称が優先されます。彼らは各輪に八組ずついるので、全体は24組となります。
この三重の車輪の部分は内側から順に意密輪、口密輪、身密輪と呼ばれます。身口意の三密が配当されているのです。金剛界の五仏のうち、三密をつかさどるのは阿閃、阿弥陀、大日でしたが、ここでもその三尊の部族に対応し、意密輪から順に金剛部、蓮華部、仏部と見なされます。
このように、三重の部分が五部のうちの三部に当たりますが、残りの二部もマンダラにあります。中央の大楽輪が羯磨部で、一番外側の部分が宝部です。この最後の部分は他の部分とあわせて輪のひとつと見なされるため、三昧耶輪とも呼ばれますが、実際は車輪の形も蓮華の形もとりません。円と正方形に挟まれた余白の部分です。四方には獣面の女神、四隅にはヤマダーディなど、ヤマ(閻魔)の侍女と目される女神たちがいます。
サンヴァラ・マンダラは全体が五つの部分に分かれ、これが金剛界系の五部に対応するようにできています。もともと五部の思想は母タントラ系の経典やマンダラには見られないのですが、密教の主流を形成するようになって、次第に適用されていったのでしょう。サンヴァラ・マンダラは全体が62の仏たちで構成されますが、三密輪の48尊のダーキニーとダーカたちを24組と数え、これに残りの尊格の数を加えると37尊となり、これも金剛界37尊と一致させています。 p48
そして、 「曼荼羅と輪廻」 の森雅秀の論文に引用されていた図5のマンダラが挿絵として示されている。
さぁ、ここまでくると、このサンヴァラ・マンダラにゆかりの深いお寺はどこなのだろう、という好奇心が湧いてくるのだが、意外や意外、つながりはそう遠くではなかった。
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