「マイトレーヤ」
<3>
The buddha lord maitreya.
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1988/3 瞑想社 地方・小出版流通センター
「高僧謁見記」 VISIT TO TIBETAN MONASTERY
その1
「Oshoは『インドにおける仏陀以来最大の神性の化身』であり、『世界教師』たりえる唯一の現存する人物である」
彼はさらに言いました。
「Oshoは前世において悟りをひらいた。そして、彼は99人のチベットの神聖の化身(アヴァターラ)のひとりであり、二生前の彼の黄金の像がいまなお現存し、チベットのある秘密の洞窟のなかに大切に保存されている。
Oshoは、何世紀にも何生にもわたる努力のすえ、すべての秘教科学を収めて、今度は、霊的精神的な道を歩むすべての人々に役立つように、今世紀に生を選びました。彼はボンベイに住んで、インドでは、歯に衣を着せない、論争的な人物になりました。彼は最近、ヒンドゥー教に言及して、たとえば「こんなひどい乱雑状態」などと批判しました。たしかに、この鋭い批評は全世界の宗教団体に対して大方当てはまることです。
瞑想について、あまりにも多くの混乱と誤解があるので、人はどこを向けばいいか、誰を信頼すべきか、ほとんどわかりません。
「誰もが師になりたがる時代にあっては、導師であることは最大の罪になってしまっている」
このような傾向に対する反対をはっきりと語って、Oshoは世界の神秘的遺産の失われた意味や微妙なメッセージを明らかにしはじめました。
仏陀は、正しく聴くこと---聴聞(シュラヴァナ)---、正しく考えること---思惟(マナーナ)---について説きました。そして、Oshoと親しく接している人たちにとっては、彼は「正しく教えること」の達人であるようにみえます。Oshoは、あらゆる不可視の世界や、<アカーシャの記録>に精通しているので、自分自身の直接的、実在的な<知>から、クリシュナ、キリスト、老子、仏陀について語ります。ジャイナ教の創始者、マハヴィーラに関する講話を述べながら、Oshoは、聖典や借りものの言葉からではなく、姿なきマハヴィーラ自身との交流から自分の講話を説くのだ、と語りました。もちろん、疑り深い人たちも大勢いて、その大胆で型破りな議論のせいで、彼は幾度か命を狙われました。それにもかかわらず、彼は、禅、道教、タントラ、仏教などの神秘を、そして霊的領域への既知と未知のアプローチのすべてを、体系的に開示しつづけているのです。
スワミ・クリシュナ・クライスト記 The Silence Explosion(1973年初版発行)序文より抄訳。
質問
「スワミ・・ゴヴィンド・シッダルールタ師(ジー)、あなたがチベットのラマ僧、ラマ・カルマパ(カルマ派管長)聖下の僧院を訪問したことについて、私たちに詳しく話していただけますか?」
ゴヴィンド・シッダールタ
ダージリンには僧院がたくさんあります。ダージリンに近づくと、その途上に多くの僧院が見うけられます。私は、Oshoが何度もチベットの神秘家たちについて語るのを聴きました。彼らの超自然科学について、彼らがどのように瞑想しているかについて、そして彼らが仏陀から学んだ事柄について----。ですから、1972年6月、妻や二人の娘(13歳と10歳)とともにダージリンを旅していたとき、私はおのずと彼らの僧院を見ることに関心をいだきました。
私は、僧院について詳しい情報をそなえているダージリンの旅行会社を見つけました。彼らは、私がシッキムの首都ガントクの近くにあるルムテクの僧院をたずねるよう、提案しました。それはラマ・カルマパ聖下によって統治されている僧院です。それはチベット語で「パル・カルマパ・デンサ・シェド・ドラップ・チッホ・コーリン」と名づけられています。私は無性にそこへ行きたくなり、そういう経緯で聖下のことについて知るようになったのです。
ガントクは、標高5000フィートから6000フィートあります。私が着いたとき、そこは雨季でした。そこでは雨季は5月に始まるのです。どんよりとした空模様で、ほとんど視界がききませんでした。そこの気候は、ボンベイと較べると、雨季のあいだは肌寒く感じるでしょう。
聖下の僧院は、ガントクから25マイルほどのところにあります。それは、インド政府の援助をかりて、シッキムの大王(マハラジャ)によって部分的に建設されました。その場所はラマ・カルマパ聖下自身によって選ばれました。1959年、中華人民共和国による侵攻の後にチベットから来たとき、彼は自分の僧院をどこに建てたいかとたずねられました。彼はダラムサラという所の選択権を与えられ、またシッキムにも滞在するよう求められました。ダライ・ラマがすでにダラムサラに居を据えていたので、彼はシッキムを選びました。ガントクの向かい側、ヒマラヤ山脈の標高約5000フィートのところに、ヒマラヤの山頂カンチェンジュンガに隣接したもうひとつの山頂があります。その地点にこの僧院があります。
それは非常に大きな僧院で、そこにはおよそ200人の人たちが常住していて、彼らはすべてラマ僧です。出家し、放棄してしまわないかぎり、誰もその僧院のなかにとどまることは許されません。「ラマ」とは、世俗の人生を放棄して僧侶になる人のことです。
初めて僧院に行ったとき、私は言われました---ちょうどそのときは聖下は私に会うことはできないし、彼はふつう特定に人々にしか会わないが、たぶん私が会う約束をすることはできるだろう、と。あとになって、私は自分の滞在しているホテルの支配人が彼をよく知っていることを知りました。そして、彼は自分が面会の手はずを整えてあげようと言ってくれました。
翌朝、私たちは僧院へ向けて出発しました。しかし私は、電話をかけて私のために会う約束をとってくれるよう彼に頼むことを、すっかり忘れていました。あとで、彼に言っておくべきだったと想い起しましたが、ともかく私は家族とともにそこへ行きました。
私たちが車で到着したとき、僧院は完全に閉まっていました。私はひどくがっかりして、はたして聖下に会えるかどうか、僧院の内部を見ることさえできるかどうか、疑いました。そのとき突然、ひとりのラマ僧がやって来て、言いました。
「導師(グルジー)に会いたいのですか?」
私は言いました。
「そうです。そのために来たのです」
彼は、ただちに私を聖下のいるところへ連れていってくれました。彼は聖下の部屋のなかには数人の外国人たちがいて、あなたはしばらく待たなければならない、と言いました。そこで、私は答えました。
「私は待つのは平気です」
彼は私の名前と住所をたずねました。私は、ボンベイから来たスワミ・ゴヴィンド・シッダールタだと名乗りました。彼はなかへ入りました。そして驚いたことに、そのラマ僧がこう言って出てきたのです。
「ただいま奥で、聖下があなたをお待ちになっています」
私はなかに入り、あたかも予期していたかのように彼に挨拶されました。そのようにして、私は聖下に謁見できるようになったのです。
私はなかに入り、聖下の足にふれ伏しました。彼はただちに自分の両手を私の頭の上に置きました。これは実際、めったにない所作で、チベット・ラマの伝統において非常に重要な意味をもつのです。
彼らの習慣によると、なかへ入って聖下を礼拝するときには、彼の足にまとう飾帯を彼に献ずることになっているのです。もし彼が霊的精神的成長に関してあなたに特別なものを感じたら、そのときに彼はそれをあなたの首に掛けるでしょう。もし彼が、あなたが瞑想において前よりもいくらか進歩していると感じたら、そのときには赤いマークが三つ付いた特別な飾帯があって、彼はそれをあなたに掛けるでしょう。もしあなたに関してさらにそれ以上なにかを感じたら、そのときには彼は片手をあなたの頭上に置くでしょう。しかし、最高の徴候は、彼があなたの頭上に両手を置いた場合です。彼は、そういう徴候を感じないかぎり、かつて一度もそれをしようとしたことはありません。
聖下は、けっして私について前もって何にも知っていませんでした。私は一度も彼と会う約束をしなかったのですから---。もし約束していたとしたら私が誰であるかを知っていたでしょうが、彼は、私がサニヤシンの衣服を身につけていること以外には、私についてなにひとつ知らなかったのです。
あらゆるチベット僧院において、これは日常的な慣習です。この僧院を訪れる前にダージリンの別の僧院を訪れましたが、そこで私はこれらの飾帯について質問しました。なぜなら、あらゆる僧院でこのような飾帯を膝の上に掛けた仏陀の絵や像を見かけるからです。当然、それはヒンドゥー寺院での神の像に花輪を捧げるのと同じことを表している、と私は教えられました。それは敬意を示すためのものです。
聖下について言えば、彼は<神性の化身>であると言われています。チベットでは、誰であれ仏の境地に達し、光明を得た者が、もしみずからの意志によって世界の人々を助けるために再び生まれてきたとしたら、そのときには彼らは<神性の化身>---菩薩---である、と信じられています。仏陀自身の時代には仏の境地に達している人々が大勢いましたから、あるラマたちはそういう光明を得た者たちの化身なのです。聖下は、紀元1110年頃に生まれた初代カルマ派管長、ドゥススムケンパの16番めの化身である菩薩だと言われています。彼は、チベットの偉大なヨーガ行者のひとりであるマルパにまでさかのぼる導師(グル)たちの一群から降臨したのです。
ダージリン地方でもここは、悟りをひらき、光明を得た化身であるラマがいる唯一の僧院です。現在のところ、このような光明を得た、生きたチベットの化身(菩薩)はみんなで3人しかいません。彼らは・・・・
1、現在のダライ・ラマ---至高なる者。観自在菩薩の化身。
2、ラマ・カルマパ---観自在菩薩の化身。
3、パンチェン・ラマ---阿弥陀仏如来の化身。
この3人の各々が、チベット仏教僧院の団体の長です。彼らのもとにあるすべてのチベット僧院は、この3人の任命した者たちによって運営されています。光明を得た化身だけが僧院教団の長であることを許されるのです。そのわけは、ただ光明を得ている者だけが、ほかの者たちを同じ境地の達成に導き、助けることができるからです。ダライ・ラマは、チベット人たちの現世上の支配者であると同時に、すべての僧院の長でもあります。
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