「OSHO、聖典を語る」
<2> エッセンス集
OSHO /玉川信明 2003/12 社会評論社 単行本 310p
「和尚ガイドブック・シリーズ」 の4冊のうち、この本を読みこめば、一応当ブログにおける玉川本の卒業も見えてきたということだ。ただ、この本、4冊目のため、前3冊と重なるところが多い。参考文献リストも他書とほとんどがだぶっているが、念のためにリストアップしておく。
聖典について、Oshoは読んでもさして役に立たないと言う。先にインディヴィデュアルな自らの内面探究において初めて、聖典は蘇る。その挙げ句自己ならず、存在全体に光が放たれると言う。それはそうだろう。そもそも古代の聖典は乾燥し、とうに香りも消えた作品だ。[それらに私は再び呼吸を与え、生命を吹き込むことができる] その言の通りに、Oshoの聖典解釈は20世紀現在の言葉で、20世紀の人に語りかけている。
その作業は誠に困難、よくぞOshoは、これに至るまで聖典を現代に蘇えらせてくれたものと、ひたすら感銘を受けるのみである。
「まえがき」p5
和尚著作参考文献 309p
「イーシャ・ウパニシャッド」
「般若心経」
「愛の錬金術」上
「愛の錬金術」下
「ユニオ・ミスティカ」
「あなたが死ぬまでは」
私は今Oshoに対比して日本の浄土真宗を開いた親鸞研究をやっている。毎日毎日眼の開いている限りはと言っていいくらい、親鸞本をむさぼり読んでいる。それはなにせ若い頃から慕ってきた親鸞は私の恋人であり、長い間憧れてきた夢中の聖者であるからである。しかし、四か月、五か月と読み進めるうちに、不思議なことに次第に親鸞に疑念を覚え始めているのである。若い頃から慕っていたといっても、それは単に「嘆異抄」に魅せられていた自分であり、その余の親鸞本はほとんど未読であったので、ベッドの横に百冊あまりの本を積み上げて次から次と制覇してゆくと、一冊毎に疑問が百出してくるのである。 299p
Vijayがレポート してくれた通り、元気だったらもう一冊「親鸞と和尚の比較研究」本を出したいたかもしれないと思うと、ちょっと残念な気分になる。このような無謀な本を出す人は、他にそうそうはいそうにない。なにはともあれ、なにかの足がかりとしてこの4冊を残して、大きな意識の海へと帰っていった。
英知の辞典<16> 沈黙 Silence 2009.01.13
狂人ノート<3> ミルダッドの書 2009.01.12
私が愛した本<29> 維摩経 ヴィマルキ… 2009.01.12
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