地球人スピリット・ジャーナル1.0

地球人スピリット・ジャーナル1.0

2008.12.18
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カテゴリ: mandala-integral

<3>よりつづく

「エスリンとアメリカの覚醒」 <4> 人間の可能性への挑戦
ウォルター・トルーエット・アンダーソン /伊東博 1998/09 誠信書房 単行本 336p

この本の読み込みを虎視眈々と狙ってはいるのだが、なかなかチャンスがやってこない。なぜそうなのか、理由を考えてみると、いろいろあるのだが、結局、あまりにごちゃごちゃに多数の物事が輻輳して進行しており、なにがなにやらわけがわからなくなってしまっている、というのが本当のところだろう。

 まず、主人公であるべき二人の創立者についても、特段に関心がなければ、あとは、エサレンという湯治場に現れる出演者たちの中の誰かに注目して、その人の動きを追っかけてみる方法があるだろう。ということで、まずはアラン・ワッツに着目してみた。

 この本のなかでは第15章になると、「ラジニーシの動きまわる瞑想(東洋と西洋の統合)」という1章があるのだから、そこから入る方法もあるだろうが、結局は、この本における最終章の部分であり、全体とのかかわりがうすい。むしろ、エサレンの中の濃いキャラクターとなると、アラン・ワッツの姿を追うことが得策のようだ。

 だがしかし、この本においてもそうだが、実際に、アラン・ワッツとOshoの接点は、結局なかったものと考えられる。当ブログにおいてのアラン・ワッツについては、 「タブーの書」 「心理療法 東と西」 を読みこめた程度で、どうもいまいち納得がいっていない。アラン・ワッツの存在からして、日本語になっている文献がかなり不足しているようである。

 このアラン・ワッツについてOshoは 「私が愛した本」 のなかで2度、3冊の本に触れているだけでなく、この「私が愛した本」全体を、Oshoはアラン・ワッツに捧げると締めている。そして、転生したアラン・ワッツがやってくることを待っているとまで言っている。

 思うに、アラン・ワッツにおいては、代表的著作として「心理療法 東と西」があり、また、この本の中ではOshoは「東洋と西洋の統合」という章立てのなかで紹介されているが、エサレンという60年代から70年代にピークを迎えた、新しい人間の可能性を切り開く心理学のための実験場においては、東と西は、結局統合することはなかったのではないか、という印象が残る。

 なにはともあれ、部分的にではあるが、「アラン・ワッツ@エサレン」を抜き書きしておく。

プライスはそこに行ってはみたが、驚いたことにまたまた強く心を打たれてしまった。後でまた、スピーゲルバーグが推薦したアラン・ワッツという人の講演も聞きに行った。ワッツは以前は監督協会の牧師だったが、禅仏教の学者になった。ワッツはただ禅を研究するだけではなく、西洋心理学と禅を統合して、新しいものを作っていた。ワッツの講義でプライスは、フレデリック・パールズという名前を初めて聞いた。 p35

プライスは「アジア研究所」の講義を取り始めた。そこではアラン・ワッツがスターであった。ワッツは急速に、禅仏教の普及者としてリーダー的な人になっていた。サンフランシスコで彼は、禅または禅のような響きのあるものを、新しい時代精神の一部にしようとする若い芸術家・作家グループの知的な指導者になっていた。1958年の夏に「タイム誌」は、「禅仏教はますます粋なものなってきた」と述べ、アメリカにおける禅学者のリーダーであるとした。2,3カ月後に「ネーション」誌も同じような記事を載せ、彼を「アメリカ禅の仏陀であり、ブレーンだ」と呼んだ。こうした人びとが、いわゆる「ビート世代」として知られるようになった人たちであり、彼らの時代が「ビート・シーン」と呼ばれたのである。
 「ビート・シーン」は一部は文学運動なのだが、一部は旅行者の人気商品のようなものでもある。文学面では、ローレンス・ファーリンゲティ、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、ゲーリー・スナイダーなどという作家に代表されるが、この人たちはワッツの講義に出てきて、禅のテーマをその作品の中に織り込んだ。
p35

「禅ヒッピー」は簡単に謎の解けるロマンである。その主人公のジャフィ・ライダーはゲーリー・スナイダーその人であり、またアレン・ギンズバーグもアルヴァー・ゴールドブックという詩人として現れてくるし、アラン・ワッツはアーサー・ウェーンなのである。 p36

1962年の1月にはアラン・ワッツがロッジでセミナーを開いた。それは彼が自分で計画したものであり彼の弟子たちが出席したもので、マーフィーとプライスが計画したものではなかったが、その場所を試運転する機会であり、その部屋のなかに漂うささやかな哲学を明確にする機会にもなった。当時ワッツは40代半ばだったが、哲学者、神学者、作家、講演者として、いささか分類困難ではあるにしても、かなりの名声を得ていた。自分では哲学のエンタテイナーだと自称していた。イギリスでの学生時代から東洋宗教に強い関心をもち、15歳のときに仏教に改宗した。その後間もなく正規の学校教育を中断し父の仕事を手伝っていたが、その間に空いている時間のすべてを、哲学書を読むことと、ロンドンのアングラ宗教の多彩な人物との交わりに当てたのであった。 p49

神智学の運動はヨーロッパでもアメリカでも大事なものだった。多数のイギリス貴族を含んで、多くの人に、仏教やヒンズー哲学の偉大な経典を紹介したし、ワッツがロンドンで発見した精神運動の背後にある大きな勢力であった。この時期におけるワッツの師匠はクリスマス・ハンフレーズだった。裁判官であり、イギリスの大物仏教学者でもあった。ハンフレーズはケンブリッジの学生時代から神智学協会の会員であり、のちにロンドン仏教会も創立した。それはワッツの哲学研究の中心になったところだ。ワッツのハンフレーズの指導のもとで、まだ10代のときからまじめな仏教学者として身を立てた。彼の最初の著書「禅の精神」はちょうど20歳のときに出版された。この時期におけるワッツのもうひとりの指導者は、ドミトリユ・モチリノヴィクという神秘的なユーゴスラビア人だった。 p50

ワッツが彼の指導のもとで読んだ本のひとつは、バローの「意識の社会的基礎」という本だった。自我は、環境から切り離された個々の自己という意味であり、社会的圧力によって造られ維持される虚構の概念なのだと論じている。ワッツはこの考えに興味をそそられた。それは彼自身の仏教にういての考え方と両立するし、また心理学と東洋哲学との間に結びつきがあるという、当時としてはまだ新奇な考え方とも一致するからだった。ワッツはミトリノヴィクのスタイルが好きだった。ごろつきのような神秘的な人柄も魅力的であったし、ワッツの人生観にもその影響ははっきりと認められた。
 ワッツが師匠というよりは同僚として親しくしていたもう一人はフレデリック・スピーゲルバーグだった。ワッツは自叙伝のなかで、スピーゲルバーグは「極端につばの広い帽子をかぶり、ドイツなまの英語を話し、それが権威と豊かな教養という感じを与え、また宗教の最高形式は宗教を超越することだという彼の理論を宣伝していた」ことを想起している。

 ワッツはロンドン時代にクリシュナムルティに会った。彼は精神生活について偶像を破壊するような思想をもったインドのすぐれた導師だった。 p51

ワッツはクリシュナムルティに強く賛同した。ワッツは彼の、いかなる組織ともいかなる伝統的思想とも結託することなく自由に放浪する導師としての生活を送る、という立場とその決意を尊敬したのである。
 ワッツはアメリカ人女性と結婚しており、1939年にアメリカに移住した。しばらくニューヨークに滞在し、本を書いたり講演をしたりしていたが、やがて安定した職業を探すことにし、僧職につくという考えにたどり着いた。結局、神学者も生計を得るために働くということは論理にかなうものだと言って友人を驚かせた。どんな教団もこの目的に適うものだが、彼は監督教会(エピスコパリアン)を選んだ。
p51

ワッツはイリノイ州のある神学校の大学院の講師として迎えられた。そして1945年には30歳の若さで司祭に任命された。シカゴ郊外のエバンストンのノースウェスタン大学の監督教会の監督教会の牧師として活発な5年間を過ごしたが、その間に彼は、最高の音楽と儀式に彩られた華やかな礼拝を演出し、独特の神学に基づく説教をし、彼のもっともキリスト教的な本「たましいを見よ」を書いた。この時期は彼の人生においてかなり因習にとらわれた時期であったが、多くの問題について前衛的な見解をもち続けていた。 p52

1950年代のサンフランシスコにおいてワッツは、西海岸の芸術家や作家の導師の役をするようになったが、それによって彼は全国的な注目を浴びることになった。ワッツはビート族や彼らの仏教の取り上げ方に対しては態度を保留していた。 p52

ワッツは1960年代の初期には、かなりボヘミアン・ライフスタイルで生きていた。ヘンリー・ミラーの女友だちであった芸術家のジーン・ヴァーダとサウサリートのヨットのなかで同棲したこともあるが、当時の彼は非常に固い人で、講演旅行で地方に出かけるときなどは、角刈りの頭で、さっぱりとしたスーツを着て、ネクタイを着けていた。 p53

<5>につづく






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Last updated  2008.12.20 23:03:26
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