
「ラマナ・マハリシの教え」 ラマナ・マハリシ/山尾三省 1982/12 めるくまーるVol.2 No.500 ★★★★☆
この本の翻訳をしている 三省の本は過去何冊も読んできたが、当ブログにはまだ一冊もでてこない。 いつかはまとめて読み直してみよう。
翻訳家 Yは、その著書でなんどもエサレンのセラピストがOshoアシュラムを訪問した際のエピソードを、鬼の首でも取ったように大げさに表現して、まるでOsho全否定のごとくの言説を展開した。 しかし、事実を知っている人びと、自分で実際にPune1を体験した人々は、Yの言説に耳を貸さない。Yの話の展開には、まったく説得力がないからだ。
Pune1でいちばん大々的に行われていた最大のグループは、ラマナ・マハリシの「私は誰か?」という問いかけをベースに開発された「 エンライトンメント・インテンシブ」 というワークだった。詳細は別に譲るとして、日本や西洋からPuneにやってきた訪問者たちは、ほとんど例外なく、このグループを体験するように、設計されていた。
インドが日本の若い人々の興味を引くようになって以来、それはさまざまな形で紹介されてきた。とくにバグワン・シュリ・ラジニーシが一連の書物をとおして解き明かしてきた、インド的な悟りの風景は、この時代へ新しい息吹を与えてくれるものであった。シュリ・オーロビンドの、思弁的な匂いはするものの、オーロビンド市というひとつの理想都市を作り上げるまでに至った哲学的営為、クリシュナムルティの、神という言葉を極力避けつつそれに到ろうとする純哲学的営為、あるいはまた、裸足の聖者として知られている初代のシルディ(西インドの小都市)のサチャ・サイババ。インド的なるものを支えている、これらの人々の思想や言葉に、現在の私たちは比較的容易に接することができるようになった。
今ようやく、ラマナ・マハリシ、この最もインド人らしいインド人の魂が日本の魂にも知られる時が来たのだと思う。
p207 訳者「あとがき」
「私は誰か?」
この問いかけは永遠の問いかけだ。もっともパワフルでもっとも難解。それでいて、問いかけそのものはいたってシンプルだ。
「私は誰か?」
追記
三省と並び称される日本カウンタカルチャーの鼻祖にして重鎮、 サカキナナオ が昨年末に亡くなった。感謝しつつ冥福をお祈りいたします。 合掌
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